分かってるつもりで当たり前になってしまう「ありがとう」。



わかっちゃいるけど難しい、って意外と多いです。
ある原稿を書いているとき、「感謝をしましょう」ってすーっと書いてる自分がいて、それはもう当たり前のように大切なことって分かっているんだけど、ふと我に返って、どれくらい感謝できてるだろう?と思うと、反省会が始まるのです。

ありがとう、という言葉はよく使っています。
意識的に言ってるときもありますが、「すいません」や「ごめんなさい」よりも「ありがとう」を優先して使うことが多いです。


家族や友人の存在に、そこにある空気に、今日もちゃんと動いてくれている体に、冷蔵庫に食べ物がある状態に、その食べ物に、足を運んでくれるお客さまに、時間通りにやってくる電車に、道を譲ってくれるお兄さんに、「ありがたいなあ」と思うことはよくあり、「ありがとう」と伝えることもよくあります。
最近は体を洗いながら「今日もありがとうね~」とかお風呂で言ってますし。

でも、もっと感じたいなあ、その気持ち、と思うのです。
もっともっとリアルに、こうして思うように指が動いてタイピングが出来てるこの瞬間にも、「おお、指をありがとう!」と感じたいわけです。
そしたら、人生、感動だらけですよ。すごいじゃないですか。

ホ・オポノポノ・ウォーキング(歩きながらホ・オポノポノをぶつぶつ呟くこと。勝手に命名)をしてる時、きれいな花や木を見ると「ブラボー!」とか「ありがとう!」って自然に言ってる自分がいます。

昨日、きれいな花を見て、きれい、ありがとう、そう思った時、そうそう、この感覚、この自然と湧き出る、嬉しい、ありがとう、出会えてよかった、きれい!すばらしい!の感覚を覚えておきたい、と思ったんです。

それってすごく幸せなものです。
同時に、人って一瞬で幸せになってしまうんだな、すごい!と思いました。

#道路脇の木に咲いた白い花をじーっと見てにやにやしながらぶつぶつ言ってる、マスク姿でジャージを着たおっさんは傍目にはかなり怪しいと思いますが、気になりませんな。ふふふ。できれば、そこで感動の涙を流すくらいでありたいと思うくらいで。

以前、「ありがとう」の反対言葉は「当たり前」と教えてもらいました。
感謝にしても、「当たり前」「分かってる」「できてる」と思ってしまうところがあります。

ほんとちょっとしたところにも、感動を共にした「ありがとう」を感じられるようになりたいものですね。

今は自然のものが芽吹く季節ですから、そうした感謝をしやすい時期ではないでしょうか。
でも、そもそも季節に関係なく、家族や身近な人は自分のことを思ってくれているわけですから、そこにも素直に感謝の気持ちを湧き出させたいですね。

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