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「幸せを感じたいなら今すぐ誰かを愛しなさい」
「幸せを感じられないならあなたは愛を出し惜しみしている」
そんな話です。
「愛とは何ぞや?」を始め、仕事とは・・・夫婦とは・・・大人とは・・・等々、人はちょくちょく哲学者になります。
そういうときって実はほんとうにそれを知りたい、理解したいというよりも、それを否定したい気持ちがあるから哲学者モードに逃げてしまうと考えられるのです。
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唐突ですが・・・わたし、人の愛し方がわかりません。
自分では、この人好きだなとか、大事にしたいな、大事にしてるなって思っていても、夫や親に、さみしい思いをさせてしまいます。
傷つけたり、受け取れていなかったり、「これをしてくれないから愛されてない」と言ったりしちゃいます。
こんなに、夫のことも、親のことも、大切に、想っているのになあ~なんででしょうか?
私にとっての愛情表現ってなに???と考えても、「胸の内や本音をはなすこと」「本気で怒ること(ちゃんと向き合いたいと思っているからこそだから)」「報連相をきちんとすること」などしか思い浮かびません。
だから相手にとっては、愛されてるって思いにくいみたいです。
それとも私は本当は誰のことも愛していない???
地球って、愛って、難しいです~~
しいて言えば、セックスは、私が愛情をとても感じられるし、本気で与えられる・愛情を表現できる場です。
でもすることが当たり前になったり、義務化すると、飽きるというか、しなくていいかな~・・・という思いに、なります。元カレたちに対してそう思いました。
夫とはなが~~いことレスではあります。
親に対しても、きつく当たってしまったり。
大事な人を、大事にできていません。
あとで、とてもとても後悔する気がします・・・
愛 って、なんなんでしょうか?
相手が喜ぶことを、自己犠牲してまで、すること?
私は自分がまず幸せでいたいです。
そしてしたくないことは、したくないぃ・・・。
切実に、、、おしえていただきたいです。
自分は、人を愛せないんだろうか?とモンモン。。。
(Iさん)
よく人は哲学者になって「愛とは何ぞや」「恋とは何ぞや」「仕事とは、お金とは何ぞや」と思考されるのですけれど、そもそもそうなるときって単に疑問を感じているだけではないことが多いんです。
「愛とは何ぞや」と考えるときってたいていは「愛したくないとき」です。
「なんで愛さなきゃいけないのよー!」という気持ちがあって、それで「愛するってどういうこと?ねえ、何をもって愛って言うの?それってほんとうに愛なの?あたしが与えてるものは愛じゃないの?」という風に思考がぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる回るのです。
本当に愛を知りたいというよりも、愛を否定したかったり、愛するのがめんどくさくてイヤだったりするときなので、結論を出したいというよりも、不満や愚痴を言いたいって感じのときが多いようです。
そういうときは、E.フロムの「愛するということ」を読んだり、根本先生のブログを検索したり、講座などに参加したりすることなく、ひとりで考え続けるものです。
じゃあ、なんで「愛したくない」のでしょう?
様々な理由があるわけですけれど、感情的に見れば「怒っているとき」が多いのです。
じゃあ、なぜ「怒っているの」のでしょう?
それは「自分のニーズが満たされないから」です。
そう、人が哲学者になってしまうときって「ニーズ」があるんです。
それはたいてい「なんであたしを愛してくれないのー!」という心理に至るものです。
でも、そのニーズに素直になることに人は抵抗があります。
「十分愛してもらってるのにー」
「自分が愛してないのに、愛してほしいってのは都合が良すぎるしー」
「そもそも自分がどう愛してほしいのか分からないしー」
「そんなこと思ってる自分て子どもっぽいと思うしー」
「ニーズってそもそもダメなものでしょ?」
なんて風に思うからです。
それで人は哲学者になり「愛というものがよく分からん。どういうことが愛することなのか、どれが愛で、どれが愛じゃないのか?」ということをモヤモヤしながら考え続けるのです。
ということは、Iさんにとって何らかのニーズがあり、それが不満や怒りになって溜まっているんじゃねえか?と推測するのですがいかがでしょうか?心当たりはありますか?
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まあ、このまま話を展開していくと決め付けや思い込みになってしまうので、ほんとうはネチネチとあれこれお聞きしたいところなのです。
夫や親に愛情を持っていることは間違いないですけれど、じゃあ、彼らからの愛情はどれくらい受け取れてる?
そもそも夫や親との関係ってどんな感じなの?
友達との関係は?
動物に対してはどう?
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少なくともセックスが愛情を感じ、表現できる場なのに、長いことレスだったらそりゃあ愛に飢えちゃうと思いませんか?
性欲だけじゃなく、不満や怒りだって思い切り溜まっちゃうと思いません?
なのでこの辺を掘り下げていくと良いかもしれませぬ。
なぜ、愛し、愛される場を遠ざけるのか?という風に。
でも、「あたしにとって愛するってセックスをすることなんです~!」というのって恥ずかしいでしょうか?はしたないように思うでしょうか?
愛=セックスだとしても全然問題はないのですけれど、そこに何か抵抗があるとしたら、愛することに対してブレーキを踏んでしまう癖があるかもしれません。
これに関してはIさんの本質に迫るとても大切なテーマだと思います。
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>大事な人を、大事にできていません。
>あとで、とてもとても後悔する気がします・・・
そう感じてるってことはもっと愛したいんですよね?
自分の思いをもっと表現したいんですよね?
でも、不満や怒りが溜まってたら「ふん!愛してなんかやるもんか!」と拗ねてしまうのも無理はないと思いませんか?
なので、やはり不満や怒りに目を向けることもすごく大事なことですよね。
シンプルに見れば、その不満や怒りを解消していきましょう!というのが喫緊の課題となるでしょう。
でも、愛を表現することが苦手だとすると、こうしたレベルでの怒りを出すのもやっぱり苦手なのかな?
そもそも私たちは「愛してもらえなかったこと」よりも「愛せなかったこと」で自分を責めるものです。
そう、罪悪感が出てきて私たちを苦しめ、後悔させるのです。
だから、このことに気付いていることはとても素晴らしいことです。
大事な人を大事にする、ということを今自分ができる範囲で実践していくことは私たちの人生を後悔しない、すなわち、充実させるひとつのポイントになります。
みなさんはいかがでしょうか?
“今の自分ができる範囲で”ベストを尽くしているでしょうか?
そして、この「大事な人」の中にちゃんと「自分」を入れてあげてますか?
「人を愛したいならまず自分を愛しなさい」なんて言葉もありますが、自分を大事に扱えるかどうか?ってのは私たちにとっては大きな課題のひとつですね。
そして、この“今の自分ができる範囲”というのがカギでして、不満や怒りを抱えつつも、その中で愛するってことが求められています。
夫に不満はあるけれどちゃんとご飯を作ってあげているなら、それはできる範囲で愛を与えていることにもなるでしょう。
親に怒りはあるけれど、定期的に連絡したり、帰ったりしているのであれば、それもできる範囲で愛していると思ってもいいかもしれません。
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しかし、「愛してほしい」という、愛を求めるニーズってのはときに「期待」に変わるものです。相手への期待もあれば、自分への期待も生まれちゃいます。
これぐらいはしてもらわないと!という期待だったり、これくらい愛さないと意味ない!という期待だったりが出て来ちゃうってことです。
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後悔しそうだと感じているってことは、Iさんがちゃんと愛を持っていて、たぶん、できる範囲で愛を与えているんだろうと推察できます。
しかし、不満が大きすぎるのか、他にやることがあって追われているのかは分かりませんが、自分がしていることに愛を感じられなくなっているのかもしれません。
「愛の不感症問題」ってのは案外ありまして、不満や怒りが強い他、罪悪感や競争心、怖れや自己否定といった要素から、愛すること、愛されることに鈍感になり、感じられなくなっちゃっている現象です。
十分愛されているのに愛を感じない。
十分愛しているのに愛を感じられない。
そんな状態はとても孤独で寂しく、また、不安も強くなりやすいものです。
だから、「愛したいけど愛せない!十分与えられない!」と感じているのであれば、ちゃんと自分の心を整理した方がいいのです。
後悔しないようにするためにも、自分の心と向き合う、思考ではなく感情を見てあげる、ということが求められているのです。
その勇気を持ってもみてください。
感情と向き合いたくないから哲学者になってしまうわけですから、できれば逃げたいところだと思いますが。
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また、もしかするとIさんは愛を表現することが苦手なのかもしれません。
伝わりにくいというか、思いがあってもそれがうまく表現できないというか。
そもそも感情表現が苦手なのかもしれないし、恥ずかしがり屋なのかもしれません。
「表現」って「スキル(技術)」だと思ってください。
だから、練習すればある程度はできるようになります。
ただ、練習しなきゃいけないわけですから、そこは「愛をちゃんと表現したい」というモチベーションが必要です。
表現にはいろいろな方法があります。
ちょっと前のブログでも触れた気がしますが、主に視覚派・聴覚派・触覚派に分かれます。
モノで愛情を表現する人。言葉で表現する人。スキンシップで表現する人。
となるとIさんは触覚派が強いのかな?
だからセックスレスになって、愛の行き場がなくなってしまってるのかもしれません。
自分の愛情表現を知ることもとても大切なこと。
そして、ここでもやはりできる範囲で与えてることが大事なんですよね。
だからやはりレスの問題はIさんにとって大きいんじゃないかなあ?と思います。
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愛するってことについては職業柄長年研究してきました。
何が愛で、何が愛ではないかはなかなか見分けが付きづらいものですが、始めは愛だったものが、だんだんそうじゃなくなっていくことも多いですから、なかなか繊細なものです。
そして、純度100%の愛なんて求めんじゃねーぞ!ということでもあります。
完璧主義者はご注意くださいませ。
大人になっていけばそりゃニーズもあるし、不満もあるし、罪悪感なんててんこもりですから、そんな中で100%の愛を自分や相手に求めるのは現実的ではありません。
ただそこを目指すことは大切だと思うんですけどね。
>相手が喜ぶことを、自己犠牲してまで、すること?
それは違いますよね。
でも、自己犠牲をしてでも相手を喜ばせたい!と思うこともありますよね。
愛するってことは、与える、受け取る、信頼する、委ねる、任せる、手放す、許す、見守る、信頼して待つ、等々、様々な表現に置き換えられるものと思っています。
どれも犠牲や我慢を伴うものではなく、それ自体が幸せなことであり、喜び、感動、充実感、楽しさ、嬉しさなどの感情を生み出してくれます。
推しがいらっしゃる方はよく分かるでしょう。
「存在が尊い」「存在してくれるだけで嬉しい」って。
早い話、「幸せを感じたければ愛しなさい」ということになるんです。
逆に「愛していない」から苦しみがやってきます。孤独も怒りも怖れもやってきます。罪悪感もてんこもりになります。
つまり「あなたが今幸せでないならば、愛を出し惜しみしている状態である」ということが言えるのです。
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そういう意味では今ある愛に目を向けてみるといいでしょう。
自分をもっと認めてあげることも大事だし、自分の気持ちに正直になって嫌なもんは嫌だと受け入れましょう。
そして、大事な人を自分なりに愛することを意識しましょう。
私のリトリートセミナーはそんな風に愛を学び、愛することを体感する場です。
Iさんや同志のみなさま、隠れてないで出てきたらいいと思うよ!笑
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