自分と関わると何かが終わってしまい、まるで自分がクラッシャーのように感じてしまう~自分は毒であるという観念、恵まれていることへの罪悪感~



行く先々の会社がよく潰れる方々にお会いすることもあります。また、自分が関わることで相手のパートナーシップを終わらせてしまう方にお会いすることもあります。
それって罪悪感を刺激されやすく、自分は毒であるという観念が出てきたり、自分だけいい思いをしていることへの罪悪感が出てきたりするのです。

先生、以前は投稿いただき有難うございました!
最近「あれ?昔からこのパターン多いな」と言うシーンが昔よりも多く発生してきて…なぜなんだろう?と考えるようになりました。良ければ先生のアドバイスを頂きたいです。

私は昔から何かに所属すると、結構な頻度で「終わり」を迎えます。

例えば若い頃、同時に3人の既婚者と不倫をしていました。私は独身でしたが、結果的に皆さん奥さんと離婚されています。
でも私はどなたとも結婚する気はなかったのと、不倫をしていた罪悪感で仕事だけに集中する選択をしました…

そんな時、勤務先の社長から今の支店を閉鎖するか相談されました。結局、いろいろな悩み、閉鎖を進めたところ支店を閉鎖をすることになり仕事を失いました。

仕事も恋も疲れた時、ある男性に出会ったのが今の旦那さんです。旦那さんは当時、独身ではあるものの彼女がいて同棲歴8年。事実婚状態でした。
ですが出会ってすぐにその方とはお別れし私と交際3ヶ月で結婚。
それから10年経ちました。

私は今個人事業主になりご契約先が何社かありますが、私と契約するので直接雇用の方を切ったりなどが何件かあったり…

私のゲスさや、昔モテてました!!をアピールしたい訳じゃないんです(^_^;)ゲスいけれど今は幸せですし、不倫など全く興味ありません。
ただ、この「終わり」を迎えるケースが他にも沢山あって、それに出くわす度に疲弊してしまうんです。
平坦に生きたい。だけど実際はクリフハンガーの様な人生。どうしたら平坦な道で歩けるのでしょうか。
(Yさん)

「クラッシャー○○」という異名を持つ方がいまして「勤め先が次々倒産する」みたいなパターンを持ってらっしゃるわけです。もしかしたらこの記事をお読みの方の中にも思い当たる方もいらっしゃるかもしれません。

それが経営者ではなくいち従業員だったり、何なら派遣先であったりするのでなんか不思議なんですよねー。

なんでなんですかね?

終わらせる運命(才能)を持っているのかしら?

ただ、それが「終わり」なのか「始まり」なのかはまた見方によって変わるものだと思っていまして、「離婚」というのも確かに結婚生活は終わるんだけど、その後の人生から見れば始まりですよね。

「死と再生」というのは我々の体もそうなんですけど、心の世界でも言われることでして、何かひとつのプロセスが何らかの形で終わるんだけど、でも、それは新たなプロセスの始まりを示しているわけです。

そして、古い細胞が死ぬことによって新たな細胞が生まれることができますし、クローゼットの洋服を断捨離することによって新しい服が買えますし、彼氏と別れることで次の恋に向けた一歩が始まるわけです。

どこに意識を向けるか?
それをどう解釈するか?

それによって見方が全然変わってくるわけですね。

さて、カウンセラーというのはこういうお話を耳にすると「終わりとは何ぞや?」という哲学的命題に入ることもありますけれど、本質はこっちなんです。

「その終わりに際し、あなたの中にはどんな感情が浮かび上がってくるのでしょう?」

・不倫していた頃に、皆さんが離婚されたわけですけれど、そのときYさんは何を感じたのでしょう?

・勤務先の閉鎖が決まったとき、あるいは閉鎖したとき、どんな感情が出てきたのでしょう?

・今の旦那さんが当時付き合ってた彼女と別れたことを聞いて何を思ったのでしょう?

・Yさんと契約するために直接雇用の方を切ったことを聞いてどう感じたのでしょう?

「あたしのせい?」と思ってしまうのでしょうか?
それとも「その人たちの今後」を思って重たい気持ちになるんでしょうか?
あるいは終わるということで寂しさや悲しみのような感情を持つのでしょうか?

まあ、おそらくですけれど、ここでYさんの中に出てくるのが「罪悪感」なんだと思います。

ただ、罪悪感と言っても「彼が奥さんと別れたのは自分のせいだ」「あたしのせいで何人もの人を路頭に迷わせてしまった」というものもあれば、そうした経験を経て(あるいはそれ以前からある)「自分は毒である」という思いもあります。

「あたしと一緒にいると相手が不幸になる」という思い込みみたいなものでして、自分の存在を毒のような、人を困らせるような、人に迷惑をかけてしまうような、そういう罪悪感です。

また、そうして辛く、悲しい思いをする人がいる一方で、自分は全然安全なんですよね。

そうすると「恵まれていることへの罪悪感」というのが出てくる場合もあるでしょう。

「この人と別れた奥さんはきっと辛いだろう。あたしだけ幸せにしていていいのかしら?」という感じ。

そして、こうした罪悪感が「終わり」を目にするたびに出てくるのであれば、重たいし、しんどいし、疲弊してしまうのかもしれません。

じゃあ、なぜ、そのような罪悪感を持ってしまうのか?と言えば、たぶん、それ以前からYさんの心の中にあったものではないか?という推測が成り立ちます。

つまり、「自分のせいで誰かが不幸になる」「自分ばかり恵まれている」「自分は毒のような存在だ」という罪悪感が、早ければ幼少期よりYさんの心の中に根付いているということです。

そして、こうした罪悪感は「感じたくない」「認められない」だけでなく「ピンと来ない」という種類のものでもあります。

だから、自分の中にあるんだけど自分では気付きにくい/認めづらい感情なんですよね。

Yさんに対してもあれやこれやと質問していくと思います。子どもの頃の様子とか家族との関係とかそれぞれの性格とか。

そうすると「ああ、そういう表現をされるということは罪悪感があるんだね」ということが分かるわけです。

でも、「そういう表現」も自分にとっては当たり前になっていて罪悪感から出てくるなんて思ってないですから、それを伝えたとしてもピンと来ないんですね。

だからその感情があることに気付くことって難しいんです。

そもそも罪悪感という感情は自分でも向き合いたくないものですから潜在意識の中に押し込まれていますし、それを直面することを避けるものです。

ただ、自分を正当化しようとするのも罪悪感があるせいですし、「自分のせいではない」と思い込もうとするのも罪悪感があるからですし、「相手が悪い」と思いたいのも罪悪感があるからです。

また、「自分は毒である」「恵まれていることへの罪悪感」なんてのはそれを罪悪感として認識することはふつうは難しく、また見ないようにもしてしまいます。

さて、少し視点を変えたいと思います。

「平坦に生きたい」と切に願う読者様はたいへん多いのですが、たいてい「まあ、無理ちゃう?」と鼻くそをほじりながら一蹴されてしまうものです。

確かに平坦に生きたいと思う気持ちはわかります。
それだけ人生ハードモードで生きてきたらたまには平坦な道を歩きたいでしょう。

でもそれは「たまに」でいいですし、3日もすれば飽きてしまうので、「まあ、そういう風に思うのも分かるけど、たぶん本音では望んでないよ」とお伝えすることになるんです。

まあ、薄々お気づきかと思いますが。。。

平坦な道を歩きたい人は平坦な道をきちんと選びます。
つまり、既婚者や彼女のいる人には手を出さないでしょうね。

やっぱりドラマティックな方を“無意識に”選ぶということは、自分の無意識は平坦な生き方を望んでおらず、常にハードモードを選択し続けてるんだと思います。

そして、この人生をドラマティックに色づけてくれるのが「罪悪感」という感情なんです。

楽しい、嬉しい、幸せ!というできごとばかりですと私たちはそれに慣れてしまいますし、ありがたみを感じられません。

今日の東京は風は強いですけど晴れていますし、とても暖かいです。
「晴れてるのって気持ちがいいな!暖かいな!」って喜びを感じられるのは、「雨や曇りの日」を知っているからですし、「寒い日々」を過ごしてきたからです。

1週間ずーっと晴れの日が続いているときに得られる感動と、1週間ずーっと雨が続いていてそれがようやく終わって晴れた日に得られる感動ではどちらが大きいでしょうか?

つまり、私たちは「感情の振り幅」にドラマを感じるんです。
「生きてる!!!」って感じられるんです。

嬉しい、楽しい、幸せ!というポジティブな感情をより際立たせるのが、辛い、苦しい、もうやだ、というネガティブな感情なのですね。

そして、そうしたネガティブな感情を作り出すのが「罪悪感」というわけです。

だから、人生ハードモードをぶいぶい言わして闊歩している自立系武闘派女子というのはおしなべて罪悪感が強いんです。

だから「いい人なんよ。めっちゃいい人なんよ。仕事もちゃんとしてるし、誠実だし、あたしのこと理解してくれるし、顔もまあまあいいし、性格もすごくいいし、借金もないし、親とも仲良しだし、きっとこの人と結婚したらたくさん愛されて幸せになれるだろうな!と思うんよ。分かってるんよ!けど、けど、その人には男を感じられないのよ!!」ということでしょ?

やっぱ女の影があったり借金があったり仕事してなかったり急にキレたり性格に難があったほうが燃えるでしょう?

そうそう、「なんでそういういい人を好きになれないんだろう?」という問題にも実は罪悪感が絡んでるってことですねー。

だから、一度、自分の中の罪悪感とがっつり向き合ってみましょうか?

自覚しづらい罪悪感を扱うなんてのは自分では無理ですから然るべき場を選ぶことがお勧めです。

こうした本や動画で自分なりに向き合ってみることもできます。

「いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本」(ディスカバー21)
*セミナー動画:『私の幸せを阻む「罪悪感」を「愛」で癒して「私」を自由に解放するワークショップ』

カウンセリングやリトリートセミナーなどを利用するのも手です。

*5/3,4,5 ザ・リトリートセミナー in 神楽坂~ゴールデンウイークに人生を変える旅に出てみませんか?~
https://nemotohiroyuki.jp/schedule-cat/48425

根本のセッション
お弟子さん一覧

あとその罪悪感をヒーリングするならこんな音源もありますよ。

光の瞑想~疲れや罪悪感などを癒すイメージワーク~

さて、罪悪感という風に決め付けてここまでお話してきたわけですが、別角度から見ると「あたしはあたし、あの人はあの人」という“自分軸”を思い出すのも効果的な方法かと思います。

離婚したご夫婦もふたりでその選択をしているわけですし、自分の人生をこれからまた自分で選ぶことができます。

だから、そんな彼ら、彼女たちを「信頼」してあげることもできるでしょう。

支店が閉鎖するなどして職を失った人がいたとしても、それが果たして不幸なのかどうかはその人たち自身にかかっていますよね?

むしろそれをチャンスと捉えることもできるわけですから、それを信頼してあげることもできますね。

その人にはその人の人生があり、自分には自分の人生があります。

そして、その都度その人たちにも選択があり、自らの人生を自らで創造していけるだけの力を持っています。

だから、そこで罪悪感を“使って”Yさんが背負う必要はないのです。

そうしてきちんと線引きを意識してみればそんな疲弊したり、自らをクラッシャーと命名する必要がないことに気付いたりできるでしょう。

そして、改めて「今の自分」に意識を向けて自らのライフワークを生きることを選択していくことが今できることではないでしょうか?

◎慢性的な問題と向き合うならばこのセミナーへ。

5/3,4,5 ザ・リトリートセミナー in 神楽坂~ゴールデンウイークに人生を変える旅に出てみませんか?~
https://nemotohiroyuki.jp/schedule-cat/48425

●この記事を読んで「ああ、自分の場合はどうだろう?」と思われた皆さん。そのネタ、聞かせてください!もしかしたらブログ上で回答させていただけるかもしれません!(不採用になっちゃったらごめんなさい!何度でもチャレンジ可!です)
また、感想を送ってくださったり、SNSで感想をつぶやいてくださったりすると根本がめっちゃ喜びます!

問い合わせフォームから「根本裕幸へのリクエスト(ネタ提供)」をお選びください。

また、お弟子さんたちのオンラインカウンセリング無料相談「ココロノマルシェ」でも随時ご相談を募集しています。
(こちらの方が圧倒的に採用率&回答率が高いです!!)


より深く学びたい方のためのオンラインスクール「根本裕幸のメルマガ&動画で学ぶ、めっちゃ使えるココロの法則」
無料で読める根本のメールマガジン「予約の取れないカウンセラーが送る“毎日使えるココロの講座”」


今日の話を無料アプリのvoicyで音声でラジオみたいに聴けます!

自分では自覚しにくい罪悪感のお話〜幸せでないならば罪悪感があるのかもよ?〜


★Youtubeの公式チャンネルでも同じ内容を公開してます!(チャンネル登録よろしくお願いしますー!)


★voicy/youtubeで配信した話を文字起こしして公開してます!テキストで読みたい方はこちらからどうぞ!

 『自分では自覚しにくい罪悪感のお話〜幸せでないならば罪悪感があるのかもよ?〜

★根本のSNS
Twitter:https://twitter.com/nemotohiroyuki
Facebook:https://www.facebook.com/nemotohiroyuki/
Instagram:https://www.instagram.com/nemotohiroyuki96/

★根本の個人セッション/グループセッションのご案内。
根本のセッション
★お弟子さんたちのカウンセリングはこちらから。
お弟子さん一覧
オンラインカウンセリング無料相談「ココロノマルシェ」
お弟子さんたちのセッション・セミナー予定


あわせて読みたい