病気の再発や転移とどう向き合えばいいのか?~より意識を広げること、肚を括ること、もっと自由になること~



一度良くなった病気が再発したり、転移したりするのはほんとうに心にダメージを与えるものと思います。
そこでもう一度ふんどしを締め直して自分に向き合うにはどうしたらいいのか?を考えたいと思います。
ちょっと難しい話が出てくるかと思いますが、腹を括って読み進めてもらえればと思います。

根本さんご無沙汰しています。過去に何度か個人カウンセリング受けさせて頂きました。

病気の治療も一段落して、自分の人生生きるぞ!と思って前よりだいぶゆるんで生活していましたが、まさかの転移が見つかりました…。
これもまた、さらに自分らしく生きろという啓示かと前向きに捉えたいですが、好きなことが海外旅行、ライブ、外食、ジム、などコロナで制限されるものばかりで鬱々としています(因みにコロナにもかかりました…)。
そしてこういうネガティブな気持ちがまた、病気を加速させるのではと不安になります。

初発のとき病気になったことで何か「許された」感じがありました。会社を休むとか、しんどいと言うとか、そういうことやってもいいんだと思って、病気を印籠のようにしていた面もあり、一方で、そういう私は遊んではいけないのではみたいな気持ちもありました。飲み歩くのが大好きなのですが、それに罪悪感があるというか。

そして今回の転移。

怖くて一人で泣いたり、急に大丈夫な気がしてきたり、気持ちのアップダウンが激しいです。

治療を進める中で、病気の不安との付き合い方についてアドバイス欲しいです。もしよければネタにしてください。
(Aさん)

それはそれは心中お察しいたします。
転移や再発ってのはほんとうにメンタルやられるものですよねー。

もう大丈夫!次に進むぞー!と思ってるときに急にブレーキかかるようなもので、どうしていいのか分からなくなってしまうことも多いでしょう。

またあの辛い治療が待ってるのか…と思って気持ちがどんどん落ちていくこともあります。

しかも、コロナ禍では「好きなこと」に制限がかかってしまっていてなかなかできませんよねー。

で、こういうときはいろいろな捉え方があって、Aさんもご存じのようにカウンセリングでいろいろとお話しさせていただくこともあるのですが、より肚を括ってお読みいただけたらと思う次第です。

「乗り越えられない問題はやってこない」という言葉がブログでもちょくちょく出てきますが、その言葉はシンプルですが様々な意味が込められているものです。

今のAさんの病気もまた「乗り越えられる」から訪れたと言えるのですが、この「乗り越える」という意味のひとつは「100%受け入れる」とか「腹を括る」とか「覚悟を決める」というものだと思っています。

転移したことを100%受け入れること。
この病気と向き合う覚悟を決めること。
逃げてもしょうがないから正面から向き合うこと。

不安や怖れが止まぬ嵐のように次から次へとやってくる中で、その感情から逃げることなくただただ受け入れ、向き合っていくこと。

そして、向き合うたびに自分が強くなっていることに気づくこと。

最終的にその言葉は「なるようにしかならん」という境地に至らせてくれるものと思っていますが、その不安や絶望や嘆きをすべて受け入れられたときに「まあ、しゃあないわなあ」と心から思えるようになり、そして、不思議な安心感がやってくるものと思います。

それはある意味「死」を受け入れることかもしれません。
その病で死ぬことを覚悟するってわけではなく、どんな形であれ、いずれ訪れる死を受け入れること。

その覚悟ができたとき、その病は怖いものではなくなるでしょう。

また、少し大局に物事を見てみるとこういう世界観もあります。

「何か大きな存在が自分にこの問題を与えている」

「大いなるものに導かれて今この問題が起きている」

もちろん、それはAさんを罰するためではなく、Aさんへの愛として与えられているものです。

これは「自意識」を手放して「大いなる意識」にフォーカスを向けるあり方で、ある種の自己超越的な感覚をもたらしてくれるものです。

「この問題が今起きているということは何か深い意味があるのだろう」

「必要なものしか与えられないということは、この病気が今の自分にとって必要なものなのだろう」

という思いに転じることもありますね。

こうした大局に立った見方をするのもまた「今」を受け入れるためにとても役立つものです。

そこで「天が自分を罰している」などと解釈する必要はなく、ただそこには愛があって、愛のなせる業として今の病気が起きている、という風に見ていくのです。

なぜ、愛が病気を作るのか?というのは一見、理解に苦しむものと思いますが、それを受け入れ、理解できるようになることで、またより深い見地を得られるでしょう。

ちなみに、この「大いなるものに導かれている」という見方は30代で医者が見放す病気を得た著者の体験談も役立つと思います。
私がとても尊敬している方なのですが、良かったらご一読ください。

「すべては導かれている: 逆境を越え、人生を拓く 五つの覚悟」(田坂広志著)

で、そんなAさんにお伝えしたいことは山ほどあるわけですが、

>初発のとき病気になったことで何か「許された」感じがありました。会社を休むとか、しんどいと言うとか、そういうことやってもいいんだと思って、病気を印籠のようにしていた面もあり、一方で、そういう私は遊んではいけないのではみたいな気持ちもありました。飲み歩くのが大好きなのですが、それに罪悪感があるというか。

ということであれば、さらに「自分を許す」ということが求められているのかもしれません。

病気にならなければ「会社を休む」「しんどいと言う」ことができなかったのが、病気のおかげでできるようになったとするなら、それは大いなる恩恵ですね。

しかし、まだまだそこに罪悪感があり、遊んではいけないという思いがあるならば、今回の転移はさらにそれを許しなさい、というメッセージなのでしょう。

「もっと自由になりなさい」
「もっと好きに生きなさい」
「もっと自分を解放しなさい」
「もっと自分を出しなさい」
「もっと自分らしく生きなさい」

そんなメッセージが与えられていると解くのはいかがでしょうか?

>好きなことが海外旅行、ライブ、外食、ジム、などコロナで制限されるものばかりで鬱々としています

同じように感じている方はめっちゃ多いと思うのですが、そこで「変わる」ことを意識してみるのも面白いゲームになるかと思います。

まあ、海外旅行もほんとうにできないか?というとそうでもないみたいなので、帰国後の隔離期間も計算に入れた上で遊びに行ってみるのも一興かと思うのですが、この「好き」を解析するともう少し違った見方が得られると思います。

海外旅行がなぜ好きなのか?どんな感情を得られるから好きなのか?

同様に、ライブも外食もジムも飲み歩きも、自分が好きなことについてちょっと掘り下げてみましょうか。

例えばAさんのようなガチ中のガチな自立系武闘派女子にとって「刺激物」というのは何物にも代えがたい垂涎の獲物ですから、そうした刺激を求めたくなるのは自然なことだと思います。

他にはどんな要素が好きで、どんな感情を感じられるのが喜びで、それらを求めるのでしょうか?

そうすると「私は○○や△△や××といった感情を感じるのが大好きなんだ」ということに気づけます。

じゃあ、その感情を今得られる方法は何だろうか?というゲームを遊んでみるのも楽しいんじゃないでしょうか?

「海外旅行でしか得られない」と限定してしまえば希望は絶たれますが、「感情」ベースに落として見れば「海外旅行で得られるのと同じ感動」はほかにもあるはずです。

そこを本気で探してみるのも面白い試みではないかと思うのです。

そんな風に病気というのは不安や怖れを引き起こすものですが、同時に新たな世界を開いてくれるカギでもあります。

生き方を変えるためにも、また、より自分らしく在るためにも、今、目の前の扉が次々と開かれているように見えませんか?

例えば、病気になったことでいろいろな治療法があることに気づかれたでしょうし、また、サバイバーと呼ばれる方々に勇気をもらうこともあるでしょう。

また、様々な方法でその病気と向き合っている治療家との出会いもあるかもしれません。

どれもが新しい世界を自分に与えてくれるものです。

もし、その新しい世界に踏み出すことを自分に許可できれば、それはむしろ海外旅行よりも刺激的な旅になるのではないでしょうか?

その際、とても大切なことは「過去は過去として切り離す」という作業です。

執着を手放す、ということなのですが、Aさんはもちろん、私たち全員が今求められている意識の転換ですね。

「あの頃は良かったなあ」と過去を振り返り、過去の住人になるのではなく、「その時代はもう終わったんだ」ということを受け入れ、新たな時代に踏み出していくことを私たちは求められているのです。

海外旅行や外食が自由にできなくなったから辛い・・・で終わるのではなく、だからこそ、今、どうしたら自分を喜ばせられるか?もっと自分を楽しめるか?に意識を向けるときだと思うんです。

海外旅行などから得られていた「喜び」を違う形で自分に与えようとするのはそういう意味なんですね。

でも、そこで過去にしがみついていると「あの頃に戻りたい」という願望ばかりが募って過去に生きることになります。

私たちは「今」にしか生きられないので、過ぎ去った時代を嘆くのではなく、「今」に意識を向けることなのです。

だからこそ、「ゲーム」という表現をしています。
今をどう楽しむか?というゲームなんです。

そこに意識を向けられるとAさんの病気に対する向き合い方も変わっていくものと思います。

>そしてこういうネガティブな気持ちがまた、病気を加速させるのではと不安になります。

そう思っちゃうのも無理ないと思いますが、ネガティブな気持ちも出てくるのは当たり前のことですし、出てきちゃったものはしょうがないのでちゃんと向き合ってあげればいいと思います。

ほら、よく「感情とウンコは同じ!」て言うじゃないですかー。

出ちゃったものをないことにするのは厄介なので(だってどうします?ウンコってなかなか隠せないでしょ?都会では特に。)、それを上手に処理する方がいいと思うんです。

ネガティブな気持ちが出てきたら、そこから逃げずに徹底的に向き合ってみる(感じてみる)ことをお勧めしたいです。

そこから逃げることが心にとっては良くないことですから。

もちろん、無理やりポジティブな気分になろうとしたって、ネガティブな気持ちがすでにあるんですから後の祭りですね。

だったらとことん向き合った方が強くなれるんです。それは先ほどもお話ししましたね。

ということで、なかなか過酷な状況だと思うのですが、肚を括って向き合っていくことで、感情のアップダウンにも容易に乗って行けるものと思っています。


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