「相手を喜ばせてあげたい」という気持ちは「与える」なのか?「自己中・自己満」なのか?



相手を喜ばせてあげたら自分も利益が得られる、という思いが強いのならば、それは押し付けだったり、自己中・自己満かもしれません。
与える、というのは「相手を喜ぶことをしてあげて、それが自分もうれしい」なので、与えること自体に喜びを感じられるのです。

こんばんは。
以前、「鬼軍曹みたいに厳しい脳内セコンドが自分を責め続けるので、いつしか存在感が希薄になってしまった。」で取り上げていただいたDです。
また、お聞きしたいことが出てきたのでお送りさせていただきます。

あれからセミナーにこっそり参加させていただいたり(参加日に記事の掲載を知り叫びそうになりました)、ブログを読んだり、お弟子さんのカウンセリングを受けたりする中で、少しずつですが自分はこれで良いんだな、と思える瞬間がでてきました。
特に「今この状態が自分にとって必要なことなんだ」、「自分で選んでいるんだ」「しょうがないや」と思えることが増えています。
今までセコンドの顔色を伺い受け身だったのが、主体的になれた瞬間に、辛かったことも文字通りストンと自分の中に収まった感覚です。すごいです。

そんな中で自己中・自己満かそうでないかの違いは何か、疑問がでてきました。

今、これまでの「してくれない」という不満・不安が転じて、「相手のために何かしたい」という欲求に変わってきています。
自分そっちのけにならないように意識しながら、相手に何ができるのか、考えることが増えたのは楽しいです。

ただ「相手のために何かしたい」という気持ちと、自己中心的な「してあげたい」と押し付ける気持ちの差はどこにあるのでしょうか。

先日友人に、「彼にこういう風にしたいな」と話したら「それは相手が辛いでしょ」と一刀両断されてしまいました。

鬼軍曹セコンドは辛い存在でしたが、自分が傷つくのが怖いという自己防衛心が作り出した存在でもあったのだろうなと思ってます。
そう考えると受け身でも主体的でも、結局は自分が一番かわいくて、人のことなんて見えていないのではないか、と思います。

「自分のため」に生きることは良いと今は思えます。
でも、他人にも優しい人間になりたいです。

自己中・自己満で良いのでしょうか。
相手の受け取り方までコントロールはできないので、そこは手放す範疇なんでしょうか。
相手に与える感覚ってどんなでしょうか。

教えがありましたらいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
(Dさん)

>参加日に記事の掲載を知り叫びそうになりました

おー!そんなことがー!でも、ちょくちょく耳にするんですよねー。なんかやっぱり引き寄せ的な、ご縁的な、何かがあるんでしょうねー!不思議です!これからセミナーのたびに今日の記事のネタ元さんいらっしゃいませんか?とか聞いてみようかな(笑)

>今までセコンドの顔色を伺い受け身だったのが、主体的になれた瞬間に、辛かったことも文字通りストンと自分の中に収まった感覚です。すごいです。

おぉ、すごいです。おめでとうございますっ!素晴らしいっす!!ほんと見事な変化ですねー。脳内セコンドさんとだいぶ仲良くなれて来てるのかもしれないですねー!

さて、いいネタをありがとうございます。
昨日の「自分軸・他人軸の見分け方」に続く、見分け方シリーズっすね!笑

でも、結論を言っちゃうとすぐに今日の話が終わっちゃうんだよなあ・・・。
どうしようかなあ・・・。

ということで、少し遠回りしながら(でも、大事な話だよ!たぶん!きっと!そう思って!)話を進めてまいりたいと思います。

自己肯定感があがる=自分と仲直りができるようになる=自分軸が確立される=主体的に行動できる、ということになるのですが、そうすると人は自然と「他者貢献」に興味を持つものです。

それは自分が満たされてきた証で、人に与えたくなるのですね。

お金を稼ぐことについても、始めは自分の生活費のために働くわけですが、そこに余裕ができてくると他人のためにお金を使いたくなります。
寄付はもちろんそうですが、潰れてほしくないお店にふだんよりも多くお金を使ってみたり、他人にプレゼントすることが楽しくてしょうがなくなったり、困っている人に支援することに喜びを感じたり。

分かりやすく「お金」を例えに出しましたが、要するに自己肯定感があがると、それと同じような心理が形成されるようになるんです。

自分ではあまり自覚がないかもしれませんが、心に余裕ができたり、他者に目を配る視野が広がったりするようになったわけです。

そうすると「こういうことしてあげたい」「あんなことしてあげたい」という思いが出てきて、勝手にワクワクしてくるようになるものです。

「与えること」って実は人にとって最高の喜びで、めちゃくちゃ楽しいことなんですよね。
人の笑顔を見るのが好きだから、人を笑顔にさせるのが大好き!なわけです。

だから、偉大なる先人たちはみんな「与えなさい」ということを教訓にしているんです。
与えることの喜びを知ることが幸せである、と教えてくれているわけですね。

さて、その「与える」とは何か?というと、私はこういう風に定義しています。

「相手を喜ばせることをしてあげて、自分もそれがうれしいこと」

相手を笑顔にしてあげることそのものに自分が喜びを感じられる、ということで、そこでは相手の反応は一切関係ありません。

実際のところ、与えることそのものに喜びがあるので、相手の反応は関係ないんですね。
そこで相手が喜んでくれたらさらにうれしいし、逆に喜んでくれなくても自分は満たされる感覚があるのです。

与えるというのは自分軸で行われるものですから、相手の反応に振り回されないんですね。ここが「与える」ということの最大のポイントです。

しかし、私たちには「欲」があります。

与えてあげたんだから喜んでほしい、とか、これをしてあげるからあれしてね、とか、嫌われたくないからしてあげる、みたいな。

これを別の専門用語に置き換えると「期待」「取引」「犠牲」と言います。

「欲」っていうのは、自分を満たすことが第一で、見返りを求めたり、相手の反応を期待したりするもので、Dさんが気にされている「自己満」というのもそれにあたります。

自己満なときは、相手のことは実は見えていなくて、自分の満足度にしか興味がない状態です。

でも、「与えたい」という気持ちもまた「欲」とも言えますよね。

それで、

>そんな中で自己中・自己満かそうでないかの違いは何か、疑問がでてきました。

という疑問が出てくるのだろうと思います。

でも、いつもお伝えしているように「純度100%の気持ちで与える」というのは、それこそ聖人か神様か仏様の領域でして、人間なんだから「欲」はなくならないもんですし、「与えたい気持ち」に「自己中・自己満」な気持ちが混じり込んでいるのがふつうだと思うのです。

もちろん、純粋な愛から与えることもたまにはあって、例えば親が子を思う気持ちとか、皆さんがまだピュアだったころに抱いた恋心とか、熱血社長が従業員に対して抱く気持ちなどにそれが見えるかもしれません。

けど、毎度毎度それを求めていたんじゃ、とても体も心も持たないと思うんですよね。

なので、現実的には「欲(自己中・自己満)」を受け入れながら誰かを喜ばせてあげたらええやん?というわけです。

「相手に与えてあげたい」と思うことにもちゃんと愛があるわけですし、それが自己中心的なことだと思えたとしても、別にいいじゃないですか。

ただ、そうは言っても大事なのは「自分軸」であり、期待・取引・犠牲には大いに気を付けたいところです。(もちろん、多少はそんな気持ちが入るのは無理ないことなので、そこは大目に見てあげましょう)

>先日友人に、「彼にこういう風にしたいな」と話したら「それは相手が辛いでしょ」と一刀両断されてしまいました。

にしても、また厳しい友達を持ったもんですね(笑)あるいは、よほど過酷なことを与えたかったんでしょうか??

>そう考えると受け身でも主体的でも、結局は自分が一番かわいくて、人のことなんて見えていないのではないか、と思います。

これって誰にでもあるものなので、当たり前ですよね。
だからこそ、自分に余裕がないと与えることなんてできないんです。
そもそも「自分を愛せなければ人を愛せない」という言葉があるように「自分自身に与えられない(自分を自分で満たせない)ならば、他人に与えることなんてできないよね!」とも思います。

なので、現実的には「私はあの人にこういうことをしてあげたい!」と思ったならば、それを実践するか、あるいはその前に相手に聞いてみることをお勧めするんです。

「こういうことしてあげたいんだけど、いい?」って風に。

コミュニケーションの基本は相手に選択肢を与えることですので、「こういうことをしてあげたいんだ。だから、させて!」というのは押し付けに聞こえちゃいますね。

相手の許可を得ずにやるときは、当然ながら相手が期待通りの反応を示してくれないばかり、すごく嫌悪感を示されることもありますので、そこは素直に謝る余裕も必要です。

「喜ばせようと思ってやってあげたのに、何その態度!」と不満を持つのはそれこそ自己中の極みです。(そもそも相手の反応を期待している時点で、それは「与えること」にはなっていませんけど)

一番大事なことは、あくまで自分が「良かれと思って」してあげることでして、そういう気持ちがあるなら、欲が混じっていたっていいんじゃないでしょうか。

喜ばせてあげたいと思い、笑顔にしてあげたいと思い、その苦痛を少しでも楽にしてあげたいと思い、寂しさを多少なりとも癒してあげたいと思ってしてあげたことであれば、あなたに何の罪があるというのでしょう。

それが優しさとも言えると思うのです。

そして、与えた後の反応は自分にはどうしようもできないことですから、相手にお任せします。ただ、当たることそのものに喜びがあるわけですから、相手が期待通りに喜んでくれなくてもその喜びを否定してはいけません。

与え上手な人って皆さんの周りにもいますよね?
どうしたらそんな人になれるのでしょう?

もちろん、元々持ってるセンスなどもあるかもしれませんが、誰でも与え上手になる秘訣はトライ&エラーを繰り返すことだと思っています。

「喜ばせてあげようと思ってしてあげたのに、全然ダメだったー。何があかんかったのかな?じゃあ、次はこうしてみよう!おお、前よりはマシだけど、まだまだ響いてないなあ。じゃあ、こういうのはどうだろう?おっ!これは良さそうだ。けど、もっともっと喜ばせてあげたいなー」という風に。

いきなり一発目でダメだったとき(期待通りの反応が得られなかったとき、など)に、ああ、やっぱりあたしじゃだめなんだー、あたしには与える力なんてないんだー、と自己嫌悪することこそ、気を付けたほうがいいと思います。

与えるのもけっこうスキルみたいなもんですから、料理や車の運転やベッド上のテクニックなどと同じように経験を積み重ねていくことで磨かれていくものです。

与え上手な人ってたぶんそれなりの失敗も経験してると思いますよ。
けど、与えることが好きなので何度も何度もチャレンジして上手になってると思うんです。

これもまた今できることしかできないってわけで、これを読まれた皆さんは身近な誰かに「与える」ということを意識して今日を過ごされてみるといいかと思います。

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それって与えることになるの?それとも単なる自己満足?
 


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