自分の感覚が人と違っていることは素晴らしい個性なのです。



私たちはつい他の人と自分を比べて「同じ」であるとホッとし、違うとつい自己否定をしてしまうところがあるものです。
でも、そうした「違い」は素晴らしい個性なので、それを否定してしまったら自分らしく生きることができなくなってしまうんです。

グラウディングと個々人の個性についてお聞きしたいです。

「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」と言ったとある文豪いましたが、私は非常にこれに共感するところがあります。

以前まではそんな自分を現実逃避と考えグラウディングなどを中心に取り組んだりしてきました。

でもどうにも要領をいつまで経っても得られず、現実に真正面から取り組もうとする程疲弊して身体が動かなくなり燃え尽きを繰り返してました。

そんな時に根本さんのブログ読み返してたら「あらゆる問題は自作自演」「この世はテーマパーク、辛いこと怖いことも人生を愉しむために自ら選んでる」
(いずれもうろ覚えで間違ってたらスミマセン)という言葉に出会い、ふに落ちる感覚があり、また同時に心身の膠着も極まってたので、もういいや!と人間関係も仕事も人生のあらゆることに距離をとったら(物理的というよりは心の距離です)スッーと楽になりました。

また根本さんの本のワークなど通して辛くなるまでの自分(20歳くらいまで)を振り返ったら、私は元々そういう性質の人間だったかもとも思いました。

また学生の頃、研究論文で私の書くもの何本も読んでる担当の先生に「極端な俯瞰視点が特徴的だよね」と言われたことも思い出しました。
(女子の多い学部だったので、自分にグイグイと引き寄せてエモーショナルな主観で対象を情緒豊かに紐解く人が多かった)

そういう主観に立たないことは他人軸なのかな?感情を感じることから逃げてるのかな?ともずっと考えて来ました。
また「グラウディング」も気になって。
俯瞰視点て地に足がついてないというか。

それでも人によっては一般的に見たら地に足がついてないようでも、そのスタンスが本来的な性質ということもあるのかな?と根本先生にお聞きしたくなりました。

また私はごくたまに依頼で楽曲制作をしてるのですが、その際に「夢と現実の狭間な感覚で~」とか「この世とあの世のたゆたう感じで~」などの内容で依頼されます。
(※かなり擬態する形でライスワークをしてて疲弊するので出来れば制作仕事のライフワークに収入面でも移行出来ればと長らく希求しております)

グラウディングと個性について根本さんのお考えお聞き出来ればとても嬉しいです!
(Yさん)

「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」って聞いたことがあるなあ、と思って調べてみたら江戸川乱歩の言葉なんですねー。彼らしい言葉ですね。
(「今見ている現実の世界は実は夢で、夜寝ているときに見る夢こそ真実」ほどの意味でしょうか。)

>また私はごくたまに依頼で楽曲制作をしてるのですが、その際に「夢と現実の狭間な感覚で~」とか「この世とあの世のたゆたう感じで~」などの内容で依頼されます。

こういう依頼が舞い込むってことは、そういうキャラだってことが依頼者には伝わっているんですよね、きっと。ってことは、Yさんは少し浮世離れをしたような、不思議なキャラなのかもしれないですねー。

それはそれで魅力的だなあ、としみじみ思うところです。

さて、心理学というのは様々な観点から物事を見るのに適していて、どんな状況にもそれらしい言葉や考え方やあり方が用意されているものです。まあ、「ああ言えばこう言う学」と言われる所以ですね。

Yさんの状況についても、そうした俯瞰的視野において物事を観察する目というのは、ある意味才能みたいなものなのかもしれません。

・・・つまり、それはそれでありですよねー。そういうキャラなんだよねー、ということでいいんじゃないかと思うんです。

「家族の5つの役割」という話がありまして、詳しくはこのリンクをタップ/クリックするといいと思うんですが、その中に「傍観者」という役割を担う人が出てくるんですね。

少し離れたところから家族を眺め、客観的立場を取ることによって家族を守ろうという役割です。火の見やぐらに上って街をずっと眺め、問題をいち早く見つけ出す役割を担っているのです。

で、その「傍観者」というポジションがフィットする人は、人とあまりつるむことをせず、単独行動が多く、物事を客観的に見ることに長けています。
感情的というよりは、冷静な分析家・理論屋になり、状況を見定めることが得意です。
それゆえ、性格的にも人からは「ちょっと変わってる」とか「不思議な人」とか言われ、グループに属してしまうと、気が付けば「浮いてる」ようなタイプです。

それが自分の素であるならば、そうした生き方が自然なので、何ら不都合はないんですね。

つまり、そうした客観的立場から物事を見る生き方が合っているわけで、それがその人にとっての「地に足の着いた生き方」になるわけです。

ということは、Yさんはたぶん、それが素なんだろうな、と思うんです。
だからこそ、夢と現実の狭間な感覚で~」とか「この世とあの世のたゆたう感じで~」という依頼をされるんだろうと思うんです。Yさんの感性ならば、そうした楽曲を作ってくれるだろう、と期待されるにふさわしいキャラなんだろうね、と。

で、傍観者が自分に合ってる人が無理にグループに入ってみんなと仲良くしたり、集団行動を取ろうと頑張ったりすると、当然ながら疲弊・疲労してしまうものですから、あんまりお勧めしません。

それこそ、右利きなのに左利きで生活するようなもんで、ゲーム的には面白くても、人生的にはあんまり意味がないことだろうと思われます。

だから、

>もういいや!と人間関係も仕事も人生のあらゆることに距離をとったら(物理的というよりは心の距離です)スッーと楽になりました。

こういうことなんだろうなあ、と思うんです。そこがYさんにとっては心地よい距離感だし、おさまりのいい場所なんだろうと思うのです。

で、人それぞれに個性があり、その人にふさわしい距離感や生き方やあり方があるので、他人と比べることや、他人と同じことをするのはあまりお勧めではないのですが、なかなか「自分はそのままでいいんや!これが自分なんや!」と思いきれない分だけ、違う人間になろうとしてしまうものです。

>そういう主観に立たないことは他人軸なのかな?感情を感じることから逃げてるのかな?ともずっと考えて来ました。

Yさんがそういう風に解釈したのはなぜなんだろうな?というところも気になるところですが、やはり、周りの人と自分が違うということを長らく気にされてきたのでしょうか?
あるいは、どこか「みんなと同じにしなければならない」ような環境に身を置いてこられたのでしょうか?(まあ、みんなと同じような学校に通っていたり、個性をあまり認めてくれない環境にいたら、やっぱり自分のことをおかしいと思っちゃいますよね。)

言葉をこねくりまわすならば、「主観に立たない」ということと「他人軸かどうか」ということは、そういう場合もあるし、そうでない場合もあるってことで、そもそも「客観的立場が自分にとっては主観である」という言い方もできるので(傍観者の人はたぶんそうです)、そこは安心してもらってもいいと思います。

小説でも自分語り(「私はこう思った・・・」という書き方)のものもあれば、客観的な記述をする(「根本は思った・・・」という書き方)ものもありますよね。

そのどちらの書き方をするにせよ、作家は主人公に自分の思いや考え方を語らせるもので、それが「私は~」と表現されるか、「根本は~」と表現されるかの違いだけだと思うのです。

それと同じように自分自身の客観的視野をとらえてみてはいかがでしょうか。

なので、Yさんにとっては「極端な俯瞰視点が特徴的だよね」という先生の言葉が的を得ていて、「それが私」だし、「それが個性」だし、「それがあたしのキャラなのよー」ということだろうと解釈していいと思われます。

感情にしても、周りの情熱系女子がほとばしるほどに感情を噴出させていたとしても、それが「正しい」わけではなく、それをその人の個性として捉えることが大事で、翻って、自分はそんなに感情を出したい人でもないんだな、という風に理解することをお勧めしますね。

なので、Yさんは「グランディングはもうできてるみたいやし、他人軸でもないみたいだし、感情の感じ方だって今の自分でOKっちゅうことやんな!」と思い込んでみると良いと思うのです。

だから、ライスワークに励む際も、他の人と同じようにしようとしたり、群れたり、「一緒に」何かをするのはたぶんあんまり向いてないと認識された方がいいでしょう。

それでもチームで作業をしなければいけない立場にいらっしゃるのであれば、それは「世を忍ぶ仮の姿」として「演じる」つもりでやったほうが疲れもマシになると思います。

そして、「これがあたしだもん」という形で堂々と過ごしていれば、ライスワークで消費するエネルギーも減りますから、制作の方により意識を向けることも可能になると思うのです。

きっとYさんはとても個性豊かな方だと思いますから、その個性を存分に出しまくってみるといいと思います。

手っ取り早く、新年初出社の際は「思い切り自分が好きな服や髪型で行ってみる」とか「2021年は単独行動を重んじることにする」などをテーマにしてみるといいかもしれません。

たぶん、今の職場でもすでに浮いてしまってると予想されますので(笑)、今更個性を出したところで周りは「だよねー」としか思わないんじゃないでしょうか?

で、Yさんのようなことってけっこう頻繁に起きてるようで、「それが自分らしさなのに、なぜかそれをダメだと思い込んで直そうとしてしまう事件」や「他人と比べて自分の個性を否定して“ふつうの人”になろうとする事件」などが頻発しているようです。

再度引用することになるんですが、

>もういいや!と人間関係も仕事も人生のあらゆることに距離をとったら(物理的というよりは心の距離です)スッーと楽になりました。

ってことならば、たぶん、それが自分にとって心地よいものなので、「ああ、私にとってはこれがちょうどいいんだな」と理解する力が必要なんです。

特に「和」を重んじたり、「一緒であること」を求められる日本の文化においては「個性的」であることは生きにくさをもたらすのですが、よくよく思えば、誰もが個性的であるはずなので、何となく周りが求めてるように感じる「和」というのは実態がないものなのかもしれないのです。

※ほんとうの意味での「和」というのは、それぞれが自分軸を確立した上で、お互いに与えあい、支えあう形を言うのではないでしょうか?そこでは、みんなが同じことをするのではなく、ある人は火の見やぐらに登り、ある人はみんなの面倒を見、ある人はリーダーとして活躍するなどの役割を果たすことで成り立つものではないでしょうか?

だから、みなさんの今の生活で不自由さや違和感や苦痛を感じるものがあるとしたら、それは自分に合っていないってことを示唆してると捉えてみるのも大事です。

それは自分が間違ってる、とか、自分がおかしい、とかいうのではなく(確かに変人であることは否定しませんけど)、自分の関わり方、距離感に無理があってそのストレスを感じてると解釈してみるとすーっと楽になるかもしれません。

私自身も「周りの人が違和感なくやっているサラリーマンという生き方」にものすごくストレスを感じており、それは自分がおかしいと否定的に捉えてきた時代がありました。
でも、それは自分がおかしいのではなく、自分の生き方がそこに合わないんだ、ということに気付いたとき、ほんとに心が軽くなりました。

ちなみに今でも単独行動が好きなので、チーム作りやチームとしての行動はけっこう苦手なんですね。なので、あまり仕事の規模を大きくしない、今の形がほど良いと思っています。

ライスワークにおいても「自分の個性」を活かすことを今年のテーマにしていただいて、どんどんそこでのストレスを減らしていきましょう。

ライスワークってことはそれなりに力を抜いたほうがいいわけで、その余った分をライフワークの方に振り分けていくんです。

とはいえ、すでにYさんのキャラは依頼者たちに浸透しているみたいですので、そうした自分の個性をちゃんと活かしてあげたら自然と依頼が増えていくのではないかと思います。

なので、あと一つチャレンジすることがあるとしたら、今まで自分に楽曲制作を依頼してくださった方々に「今年は制作を頑張りたいので、私の楽曲を求めていそうな人がいたらぜひとも紹介してください!」と言ってみることですね。

ライフワークを無理やり(!?)実現する方法として、そっちを忙しくしちゃって、ライスワークに手が回らなくなるような状況を作り出すって方法がありますので。

★ライフワーク本&セミナー動画

「つい「他人軸」になるあなたが7日間で自分らしい生き方を見つける方法」(あさ出版)

*セミナー動画:ライフワークをデザインするワークショップ~こんなご時世だからこそ、「自分らしい生き方」改めて見つめ直してみませんか?

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東京/オンライン:1/17(日)13:00-17:00 / 2/27(土)13:00-17:00
ワークショップ「決断力を身に着けて人生を変える~自分らしく、自分の人生を決めていく!~」(2days)
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