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頭で考えれば愛されてたってことは分かるのに、その実感が伴わない、ということは、親子関係のみならず、パートナーシップや職場でもよくあることかもしれません。
そんなときはまずは自分の素直な気持ちを見つめるところから始めるのがおすすめです。
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ただ、両親にはきちんと愛されて何不自由なく育った…と思っていました。
しかし、どういうわけか、私には愛されていたという感覚がないことに最近気が付きました。
思考では理解しています。愛されて育ったのは客観的には事実だと思います。
金銭的にも不自由なく、過干渉でもなく、親子の仲もよく、理想の両親と友達複数にも言われます。
でも、私の中の実感が乏しいのです。
さらに言えば、父や母に愛されて幸せとか嬉しいとか、子供の頃に感じた記憶が思い出せません。
逆に何か嫌なことをされた記憶もありません。
わりと記憶力は良いのに、両親に関する記憶が妙に薄いです。
愛されていたという感覚が生まれれば、今の私の中にある空虚感のようなものがなくなるのでしょうか。
ちなみに、恋愛における親密感へのおそれはご多分に漏れず強いです。
もし採用していただけたら嬉しいです。
(Mさん)
なるほどー、確かにMさんだけでなく意外とそう感じている方も多いかもしれません。
小さい頃から「いい子」で育ってきませんでしたか?
いろいろと周りの空気を読んできませんでしたか?
両親に気を遣うところってありませんでしたか?
両親共働き+一人っ子ですから、それだけの情報から見ると、ひとり遊びが得意で、ひとりでいることに慣れてしまってるのかもしれませんね。
つまり、寂しかったけど、そんなこと言えないから、寂しさに慣れちゃってる、という状態。
「思考では理解しています」とあるように、両親との関係や家族を客観的に見ると「愛されてたんだろうなあ」と理解できても、実感が伴わない方って意外と多いんです。
でも、実感が伴わないんだったら、とりあえず「愛されてると思ってたけど、実際は愛されてなかったのかも」と思って見るのもアリです。
つまり「寂しかったの―!子ども時代、めっちゃ寂しかったのー!」って思ってみるんです。
そうするとどんな感じがするでしょうか?
「そんな風に思っちゃいけない!」って抵抗が出てきますか?
それともなんか心がモヤモヤ、モゾモゾする感じでしょうか?
似た話もいっぱいあります。
夫婦関係でも「周りから見れば仲が良くて幸せな夫婦に見えると思うんですけど、全然その実感がないんです」とか、仕事でも「ブラック企業と言われる会社も多い中で、うちの会社はめっちゃホワイトでいい会社だと思うんですけど・・・」という話もよく出てくるんですね。
そういうとき、根本先生という人は「ああ、それは幸せじゃないんですよねー」とか「今の会社に実は満足してないんですねー」なんてあっさり言ってしまってざわざわした空気を作り出すのが得意らしいですよ!気を付けたほうがいいですよ!笑
つまり、とりあえず「愛されてなかった」とか「幸せじゃなかった」という風に一旦思って見ることをお勧めしたいと思います。
「私は両親からちゃんと愛されていたの!絶対愛されてたの!」という思い込みを一度外してみる、ということですね。
だって感じられないもの、しょうがないじゃない?って感じで。
で、ここからちょっと掘り下げていくことになるんですけど、頭では分かってるってことの多くは思考が発達してくる思春期以降に生まれるものなので、それ以前はどう感じていたのか?ってところを見ていきます。
>わりと記憶力は良いのに、両親に関する記憶が妙に薄いです。
とあるように、もしかすると自分が望んでいる/欲しているほどの接触がなく、少し距離の空いた親子関係だったのかもなあ、と推測できます。
寂しいけれど、一生懸命働いている両親を見てるとそんなことは「わがまま」だと思って言えなかった、とか。
いつも両親は疲れていて大変そうだったので「迷惑をかけちゃいけない!」と手のかからない子を必死に演じていた、とか。
両親に愛情はあったと思うけど、あまりスキンシップがなくて、ほんとうは寂しかった、とか。
客観的に考えてしまうと「お金に不自由したわけでもないし、両親が不仲ってこともないし、両親と仲良くやってきたつもりだし、そんな不満や寂しさを抱えていたわけでもないし、、、」と思う状況でも、子ども心ってのはそんな大人の理論で割り切れるものではないんですよね。
今の時代に意外と多いんですけど、そして、Mさんの家族がそうだった、という話ではないんですけど、「表面上、うまくやってる家族」というのは意外と多いものです。
裏を返せば、感情的にぶつかることや踏み込んだ議論をすることなく、「もめごとを起こさないように、波風が立たないように」という平和主義を貫く家庭とか、「私たちは仲いいもんね!いい家族だよね!」という暗示を自分たちに言い聞かせて、クサいものに蓋をするような家族だった可能性も考えられるんです。
「平和が一番よ!」とか「いい家族だよね!」という思い込みの元では、当然ながら「不満」だったり、「寂しい」だったりする“気持ち”はタブーになってしまいます。
仮に不満を言おうものなら何となく丸め込まれて「そう感じた自分が間違ってた」という方向に誘導されることも良くあるものです。
また、両親の距離感というのも結構重要で、放任主義じゃないですけれど、それぞれが独立して行動しているような、一応、家族だけど、どこか会社的な雰囲気を漂わせるところもあったりして、そうすると個人は尊重されるように見える一方で、人間臭いというか、感情的な部分が欠落している家もあるものです。
そうすると早くから大人として扱われるといういい面もあるんですが、感情的になることが許されない空気があったり、暗黙のルールに従って生きなきゃいけないような感じだったりするところもあります。
さらに、子どもは空気を察する上に、そんな両親でも愛しているので、やはり迷惑かけたり、困らせたりしたくないんですね。
そうすると、両親のそうしたノリに自分も合わせてしまって、「うん、幸せよね!うちの家族、最高!」とか演じちゃったりするんです。ほんとうは寂しいのに、そんなこと言えないですもんね。
つまり、「特に問題はなかった」かもしれないけれど、「幸せとは言えないかもな」というのが私の見解です。
とはいえ、そこで終わらせるわけもなく、一旦、自分が感じている気持ちを丸ごと受け入れた上で(つまりは自己肯定感ね)、ちょいと視点を変えてみるのがいいかもしれません。
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せっかくなのでワーク(実習)的にお話を進めますので皆さんもお時間見つけてやってみてください。おそらく、Mさんをカウンセリングするなら、この辺を見ていくんだろうなあ、というところです。
(1)両親の性格ってどんなでしたか?どんなお仕事をしてましたか?
(2)子どもの頃の自分はどんな子でしたか?どんな性格で、どんな風に過ごしていましたか?
(3)両親と自分はどんな風に接していましたか?(たくさん話をしてた、とか、あんまり話を聴いてもらえなかった、とか、お母さんの話をよく聞いていた、とか)
(4)きょうだいはそれぞれどんなキャラで、親や自分とはどんな関係でしたか?(Mさんや一人っ子の方はここ飛ばしてくださいな)
(5)子どもの頃の家族関係ってどんな感じでしたか?家族で話をしていましたか?スキンシップはありましたか?
(6)両親はそれぞれどんな風に愛情を表現する人なのでしょうか?
(7)もし、許されるならば、もっとこういう風にしてほしかった!!というところはありますか?
※ちなみにヒントとしては、歴代のパートナーに対して求めてることや、歴代のパートナーに自分がしている愛し方を考えてみると、それが子ども時代に自分がほしかった愛し方かもしれません。
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さて、結局のところ(6)の質問がポイントになってくるのですが、両親の愛情を受け取るには、その前にいろいろと準備が必要です。
「ほんとは寂しかったんじゃー!!もっとこうしてほしかったんじゃー!!もっと愛してほしかったんじゃー!!」という素直な気持ちを認めることが一つ。(これが今日の記事の前半部分ね)
頭で納得していても、心が納得してないことを受け入れるわけです。
それは両親を裏切ることでもないし、両親に対して失礼することでもないし、ましてや、両親の愛情を否定することでもありません。
「私はそう感じているのだ!」ということに素直になってみることです。
たぶん、これは「今」にも通じることかもしれません。
彼氏の前で素直になれない自分とかいませんか?ついつい我慢しちゃうような。
そうして、自分の素直な気持ちを認めて、受け入れて、さらには「よしよし、寂しかったよね、一人でよく我慢したよね、えらかったねー」と自分で過去の自分を認めてあげるんですね。
これが最初に必要なこと。意外なことに、これだけで心が満たされてしまう人も少なくないもんです。
その上で、両親なりの愛情を受け取っていきます。
そのためには、ちょいと両親を自分に憑依してみたほうが早いかもしれません。
お父ちゃんやお母ちゃんはどんな気持ちで毎日を過ごしていたんだろう?
彼らはどんな風に自分のことを見ていたのだろう?
彼らはどんな風に自分のことを愛してくれたのだろう?
例えば・・・子どもはスキンシップが大好きです。お母ちゃんのお腹の中で10か月も肌をくっつけてきたわけだし、生まれてからもおっぱいやら、あやしたりすることでめちゃくちゃスキンシップがあって、それが愛情だと思ってきました。
けれど、人によってはスキンシップが苦手な人もいます。
あるいは、愛情があっても、それを表現するのが苦手な人もいます。
不自由なく暮らせるお金を稼ぐことで愛情を示す人もいるし、見守る愛もあります。
愛情表現は人それぞれなのですが、子どもの自分にはそれが受け取れないことも多いのです。
でも、大人になった今の自分はそんな親の気持ちや態度や愛情表現を「理解」することが可能です。
そっか、お父ちゃん、お母ちゃんはそういう風に愛情を示してくれたんだなあ、ということが分かってくると、じわじわと愛情を感じられるようになります。
お父ちゃん、めっちゃ不器用だからなあ・・・。素直に気持ちを表現することが苦手な人なんだよなあ・・・。けど、○○とか△△とかしてくれたり、お父ちゃんなりに愛情を示してくれたんだろうなあ。
お母ちゃん、けっこう毎日が大変だったから全然余裕なかったんだろうなあ。自分もお母ちゃんのこと気遣ってわがままとか言わないようにしてたしなあ。そんな中でも、ちゃんとご飯作ってくれたり、学校の行事に来てくれたりして、一生懸命やってくれてたよなあ。
そんな風に彼らのことが“感情的に理解”することが可能になっていきます。
そのためには、両親それぞれの生い立ちを考える必要があるかもしれませんが。
そうすると、「あのとき、両親は両親なりに精一杯愛してくれてたんだな」ということが“実感”として捉えられるようになっていきます。
そしたら、その空虚感も消えますし、堂々と「あたしは愛されてたぜ!」と自慢することができるようになりますね。
まずは、子どもの頃の自分の思いに気持ちを馳せること。その上で、両親の愛し方を受け取ること。この2ステップで取り組んでみてはいかがでしょうか?
ただし、子どもの頃の自分が意外なほど怒っていたり、想像以上に寂しがっていたり、びっくりするくらいわがまま言い出したりするかもしれませんが、それは情熱の女だからしょうがないよねって話ですね。そういうときはたくさん話を聴いてあげてください。
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