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自分に合わない環境の中で頑張っているならば、それはすでに修業、というか、苦行ですね。十分、根性は鍛えられたのではないでしょうか?
自分の夢や喜びに向かうことが「逃げ」に感じられるのであれば、それは大いに逃げたほうがいいと思います。
なぜ、逃げることって悪いこととされているのでしょう?素晴らしいことでもあるのに!
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お返事をいただいてから半年以上経ってしまいましたが、長い冬眠の末、俗世へ這い出してきたので感謝の報告と神様のテスト攻略のご相談です。
相談後、背負いに背負った罪悪感に押し潰されそうになる度に瞑想やアファメーションを繰り返しました。
過去の私とも対話をし、抱きしめ、大丈夫だよ。私がついてるからね。と伝えてあげました。不思議なもので、以前の私の無意識の自己イメージはずっと非力な少女だったのが「私は大人なんだ!」と思い出しました。笑
その成果もあり少しずつエネルギーが蓄えられ、バイトですが年末には新しい仕事を決め、働き始めて本領発揮し2ヶ月で「奇跡のバイト」と呼ばれるまでになりました。笑 現在働きながら小さな頃からの夢を叶えるための勉強をしています。
4月頃はコロナの影響で勤務形態が変わり、自分の心地よい環境が分かりました。その期間は自分の人生を生きている実感がありました。私の望んでいた環境はこれだ!と閃きました。
そして現在、職場ではここぞとばかりに神様のテストが開始されました。私の魅力に(笑)嫉妬したおばさまがドリームキラーとなっています。
以前の不安げな私が顔を出し、心が挫け、無価値感が出てきました。これまで見てきた夢は、ただの逃避の手段ではないかという気がします。
勤務形態も通常に戻り、心地よい環境作りのため仕事を変える準備をしていましたが、今やそれも逃避なのではないかという気がします。
結局逃げ回ってるだけの人生。この神様のテストは、逃げずに根性を鍛え直せ。というメッセージなのでは感じ始めました。(我ながら武闘派修行僧モード全開ですね。)
逃避と自分の幸せを選ぶことの違いは、なんなのでしょうか?
こんなですが以前だったら逃げ出してた状況。底辺から浮上してきた私は少しだけ耐久度が増したみたいです。いつも大感謝です。どうぞお力添えを、根本先生様!
(Mさん)
実は現在、締め切り前で焦りを感じている執筆中の新刊のテーマがまさに「逃げても良いぜよ!逃げるときは全速力で逃げるが良いぜよ!」という本なんですよね。
さて、半年少々で猛烈な勢いで成長を遂げられたようですねえ。すごいですぅ。さすがは武闘派ですぅ。
小さい頃からの夢を叶えようってのがまず猛烈に素晴らしいので全力で応援したい次第ですけれど、それと「私の望んでいた環境」というのは一致するものでしょうか?それはあくまでバイトをする環境ということでのことでしょうか?
さて、
>4月頃はコロナの影響で勤務形態が変わり、自分の心地よい環境が分かりました。その期間は自分の人生を生きている実感がありました。私の望んでいた環境はこれだ!と閃きました。
同じこと感じられた方、多いんじゃないかなあ。
自宅にいること、自然とともに暮らすこと、あくせくせずに丁寧に毎日を過ごすこと、自分のケアをちゃんとすること、地に足の着いた日々を送ること。
それが通常に戻った途端、今まで以上のストレスを感じ始めている方も多いと思います。
私はそこは決断の時だと思うんですよね。
「自分の心地よい環境が分かった」わけだし、「自分の人生を生きてる実感を味わった」わけですから、その環境をおいおい捨ててしまうのはものすごくもったいないと思うんですよね。
で、そんなとき現れましたか、ドリームキラーが。
※「あなたの夢や変化を打ち砕く“ドリームキラー”という存在。」
※「成長すると応援してくれる人が出てくる一方で、ドリームキラーも登場するから要注意!」
通常勤務になることで理想的な環境から離れちゃって心が弱っているときに、うまいことツッコミを入れてくれるおばちゃんが現れたわけですね!
そういうときって、「あんたはこの職場にいる人間じゃねーよ。さっさと出て行きな!」と、夢に向かって踏み出すことをネガティブな方向からサポートしてもらってると思えばいいんじゃないかなあ?
つまり、神様はさっさと行動することをおすすめするために、このおばちゃんを差し向けてくれたんじゃないかなあ?
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そもそも「夢」を持つとワクワクしたり、未来がきらきらして見えたりするでしょう?
けれど、そのワクワク感やきらきらって裏を返せば不安や怖れとつながっているものなんですね。
怖いものにワクワクすることってありません?ホラー映画とかジェットコースターとか。
怖いものにきらきら感を感じるものってありませんか?大好きな人とのデートとか。
だから、自分の気持ちが前向きで元気な時は「夢」はワクワクや喜びや楽しみを与えてくれるのだけど、自分の気持ちが弱ってくると途端にそれが「恐れ」や「不安」に変わってしまうんです。
そうすると、「夢を持つなんて意味がないんじゃねーか?」と思ったり、「夢なんて捨てて現実的に生きたほうがいいんじゃねーか?」と考えたり、「夢を追いかけるのって、何かから逃げてるだけじゃねえのか?」と疑ったりしてしまうものです。
そして、そんなときにドリームキラーが現れたらイチコロでやられてしまうわけですね。
さらに、そうやってネガティブな気分になって不安や怖れにとらわれていると、何もかもが否定的に見えてくるものです。
つまり、自分の心地よさや喜びや楽しみを否定しにかかるわけですね。
Mさんの場合は「私は逃げてばかりいる」という風に思っちゃうのかもしれません。
>結局逃げ回ってるだけの人生。この神様のテストは、逃げずに根性を鍛え直せ。というメッセージなのでは感じ始めました。(我ながら武闘派修行僧モード全開ですね。)
まったくもって意外かもしれませんが、自分の夢や快適さや充実感をおいて、あまり心地よくない環境に身を置き、さらにはドリームキラーなおばちゃんの言葉を聞き続けることってすでに苦行なんじゃないでしょうか?
みなさんの中にも「自分にとって辛い環境(例えば、満員電車とか定時出勤等々)」に身を置くことはすでに修業であり、でも、それを修業として思っていないから、ひたすら耐えることにエネルギーを咲いちゃっているのかもしれません。
よく武闘派女子の方々は滝に打たれながら「これは逃げっすよね?もっと根性鍛えなきゃやばいっすよね?」とさらに大きな滝に向かおうとされるのですが、
「いやいや、すでに十分修業積んできたでしょ?相当な苦行に耐えてきたでしょ?」
ということをお伝えしたいわけでございます。
だから、Mさんは自覚ないかもしれないけれど、すでに相当な根性が身についていると思うけどなあ・・・。
>逃避と自分の幸せを選ぶことの違いは、なんなのでしょうか?
場合によっては逃避と幸せがイコールになることもありますよね。
でも、そもそもなんで「逃避」はいけないんでしょう???
みなさんもちょっと考えてくださいね。
なんで逃げちゃいけないんでしょう???
未だに武士道のように、逃げる=卑怯者=切腹って図式をしっかり埋め込んでいませんか?
逃げることは何ら悪いことじゃありませんし、時には素晴らしい勇気と行動であることも少なくありません。
「勇気ある撤退」とも言いますし、無理に戦わずに逃げることは賛美されることだってあります。
逃げちゃいけないと思って意地を張ったり、無理をすることにどれくらい意味があるのでしょう?
しかも、それが夢に向かう道筋ならまだしも、違うところでそんな頑張ることってどんな意味があるんでしょう?
「おばはん、うぜーな。こんなところに居たら夢がますます遠のいちまう。さっさとこんなところから逃げ出して、自分が喜ぶ環境に身を移した方がいいよな!」
そんな風にみんなが思って行動出来たらどれくらい素晴らしい日々がやってくるでしょうね??
自分がまず心地よいこと。
自分が心地よくなれば、誰かに優しくできるし、誰かに与えることもできます。
そして、自分が心地よいから心に余裕も生まれます。
余裕が生まれたらやりたいことにエネルギーを向けられます。
つまり、夢に向かって確実な一歩を踏み出せるようになるんです。
だから「逃げる」ことによって、そんな世界が手に入るんだったら、どんどん逃げればいいと思うんですよ。
そのためにもまずは「自分の心地よさ」を最優先にしてみましょ。
日々、自分が心地よい方を選択してみましょ。
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