「あえて鬼畜生になる」ことと、「感謝する謙虚になる」ことは矛盾しませんか?



謙虚になるとは自分を押さえたり、我慢したり、空気を読んで周りに合わせたり、自分を出さないこととは違いますよね?
我慢するよりも好きなことをやった方が周りに感謝の気持ちが自然と湧いてくると思いませんか?

先生のご著書やBlog、また講座やセミナーに恩恵を受け生永えているものです。
有難うございます。

だいぶ根本先生が教えて下さる心の仕組みを理解出来て来た気がするのですが、
いまだ何度も逡巡していることがありリクエストを失礼しました。

それは、
「あえて鬼畜生になる」ことと、
「感謝する謙虚になる」ことが自分の中で矛盾してしまうということです。

身体を壊してはじめて健康に感謝するように、私は元気な時は、置かれた環境や人に対する感謝を忘れ自分を過信し、何度となく失敗してきました。

ですが、同時に根本先生が教えて下さった「勇気を持って鬼畜生になる」ことを実行したら、状況が好転した実感があります。

謙虚に感謝しつつ、自分の気持ちを優先するとはどのように出来るのでしょうか?
それとも、そもそもこの2つは相反することだからこその「鬼畜生」という表現を使われたのでしょうか?

いつかの折にご教授いただけたら幸いです。
(Aさん)

おー、いいところ突いてきますね~♪
確かに「鬼畜生になる」のと「感謝・謙虚」というのは相反してますよねえ(笑)

困ったなあ・・・・・・・・・・・・(笑)

まず前提を確認しましょう。

「敢えて鬼畜生になる」というのは本の中でも紹介している処世術なんですけど、どういうときに使うか?というと、

・人に対して気を使い過ぎている
・周りの目を気にして自分らしく振る舞えない
・やりたいことがあるけれど否定されることが怖くて踏み出せない
・嫌われることが怖くて人に合わせてしまう
・空気を読み過ぎて疲れてしまう。
・自分を出すことが苦手
・やりたいことが見つからない
・自分がない、という感覚がある
・自分には何も取り柄がないように感じている

といったときに「鬼畜生道」をお勧めしています。

つまり、自分よりも他人を優先する「他人軸」になってしまっている状態ですね。

そんな状態のときはなかなか「自分」や「自分の気持ち」を優先することができないので、「鬼畜生になる」くらいの勢いがあった方がよいのです。

で、そういう状態にある「いい人」たちは「鬼畜生になる」ということについて、いい人だけに頭ではよく理解できるのですが、そうすると、

「人に迷惑をかけるんじゃないか?」
「わがままなんじゃないか?」
「そんなことしたら人に嫌われるんじゃないか?」
「私のことバカにするんじゃないか?」
「冷たい人になってしまうんじゃないか?」

などの疑問、不安、不満が出てきてしまいます。
この疑問、不安の中に、

「人に対して感謝ができなくなるのではないか?」
「謙虚に振る舞えないくなるんじゃないか?(偉そうになってしまうんじゃないか?)」

があるんじゃないでしょうか。

Aさんが感じる矛盾・疑問ってここにあるのかなあ、と思うんですけどどないでっしゃろ?

Aさんがそうしているのかどうか分かりませんが、「いい人」をついやっちゃう人の場合、たぶん、普段からとても謙虚で、人に感謝を欠かさない方が多いと思います。

そして、もしかするとそんな自分を好きだったり、誇りにしたりしているかもしれません。

もし、それで幸せならばいいんですが、そうでないならば人に対して謙虚であることが逆にあなたの幸せを阻んでいる可能性すらあるんです。

つまり、謙虚になりすぎてへんかのぉ?ということです。

また、「感謝しなきゃいけない」と思ってやっていませんか?という疑問も出てきます。
感謝することってもちろん素晴らしいことですけれど、感謝しなきゃいけないって義務として捉えているならば「自分が」苦しくなります。

謙虚さについても同じ。義務になってしまったらしんどいのは自分自身なんです。

で、

>謙虚に感謝しつつ、自分の気持ちを優先するとはどのように出来るのでしょうか?

という質問に対する答えなんですけど、

1.まずは自分の気持ちを優先して鬼畜生道を邁進してみたらどないでっしゃろ?

2.そうするともっと自然と感謝の気持ちが湧き上がってくるから、それを伝えたらどないでっしゃろ?

3.「自分の気持ちを優先して、人に感謝の気持ちが湧き続ける」ということを「謙虚さ」として捉えたどないでっしゃろ?

>「勇気を持って鬼畜生になる」ことを実行したら、状況が好転した実感があります。

こういう実体験もありますしねー。

そもそも「謙虚である」ということは、自分の気持ちを我慢したり相手に合わせることでも、周りの空気を読んで自分を出さないことでもないんです。

なので、「いい人」をやってしまってるんだったら、鬼畜生になって、自分の気持ち最優先で動いみて、状況が好転するのを実感してみてください。

そしたら自然に感謝の思いが生まれて来るから大丈夫。

そして、そういういい人をずっとやってきたあなただったら、そこで偉そうにしたり、自慢しまくったりすることもしないから大丈夫。

さて、鬼畜生になるには「自分の気持ちを最優先する」ということをするわけですが、どうしたらそうなれるのかを考えなくてもいいです。

「鬼畜生になってもいい!鬼畜生になってもいい!鬼畜生になってもいい!」とこぶしを握り締めて言い続けてください。

そうするとある瞬間に今まで言えなかった「No」が言えたり、自分がやりたいことを優先できたり、人目が気にならなくなったりしています。

このブログでもできるだけ紹介していますが、Aさんと同じく鬼畜生になったら物事が好転した方ってほんとうに多いんですよね。

一時的に悪化しても、長い目で見たらうまいこと行ってる人が圧倒的に多いですね。

そうして「自分らしさ」を軸にして生きていきましょうね~!

★そんな話を書いているのはこの本です。

『人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本』(大和書房)

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