罪悪感は愛の物語に変換することで解放できる。



自分を幸せにしないように振る舞う罪悪感はとても魅惑的かつ刺激的なので、ついついそちらに意識を取られてしまうのですが、そこを愛の物語として書き直すことで、その罠から抜け出し、自分を幸せにする選択が可能になるのです。

根本先生、こんばんは。何度目かのメールで、すみません。いつも気持ちの整理をしながら書かせていただいています。

ここ1年で色々あったことから、少しずつ元気になってきてはいるものの、何か心に重りのような物があります。
自分の中に大きな罪悪感があるのが分かります。約1年前に旦那がガンで闘病の最後の数ヶ月となり、なのに大事に優しくしてあげれなかった自分。嫌いではなかった旦那ですが、私は結婚して数年後から、他に好きな人がいたり、仕事に没頭していたりしました。
ガンになってから、逃げたい、考えたくないと無意識に思いながらの1年半でした。

同時期に倒れた父親のことで(今はだいぶ回復)ゴタゴタし、同じような罪悪感とイライラを感じていました。
口では、面倒臭いとか言ったりして、逃げたい気持ちと同時に、そんな自分が辛くて悲しくて、よく泣いていました。

旦那が最期の数ヶ月の頃に、私がすごく好きになってしまった(恐らくロックマン的な)不倫相手と1年続き、今から3ヶ月前にバッサリ切られたのも辛いのですが、それから立ち直ってきてもこの罪悪感が残っています。
今でも弱って助けが必要となってきている親に対して、面倒な気持ちと同時に、辛い悲しい気持ちになります。
この状態はこれからも続くと思われるので、ちゃんと元気になって幸せも感じたいのに…。
今の私を阻んでいるのは、コレなのかな…と最近、思っています。

色々な要素が盛りだくさんで、まとまらず申し訳ありません。
好きな趣味を見つけたり、アファもしてみたり、色んな男に会ったりして(笑)自信も取り戻してきたのですが、すぐ落ち込んでしまいます。時折、苦しさが襲ってきます。
何かアドバイスいただけると、すごく嬉しいです。

またセミナー伺いますね!よろしくお願いします。
(Yさん)

ちょうどこの冬休みに罪悪感の本を書こうと思っているところにナイスなネタをありがとうございます(手もみしながら)(笑)。

罪悪感ってひとことで言えば「あっしなんざ、幸せになっちゃいけねえぜ」という感情でして、そのため自分を幸せにしないためにあらゆるアトラクションに招いてくれる存在ですね。

私のブログの98%を占めると思われる武闘派読者の皆さんにとってはたいへん馴染み深い感情で、皆さんが大好きな「刺激」「ドラマ」「トラブル」などをガンガン創り出してくれるものでもあります。

そういう意味で、我が社の営業上、罪悪感が癒されてしまうと売り上げがガタンと落ちる可能性がありますので、皆さまには程よい程度に罪悪感を持ち続けてくださいますことをお願いする次第でございます(笑)

この罪悪感という感情はたいへんディープなものですので、Yさんのように自覚していなくても、きちんと心の奥深くの特等席に陣取っていることも多いものなんですね。

そして、罪悪感はYさんが感じておられるように「重い」ものです。
その感情は時に「十字架を背負って坂を上るようなもの」と表現され、自分を苦しめるためにあらゆる手段を尽くします。
ちなみに「ガン」は「罪悪感の病気」という表現もあります。

さて、そんな人生に刺激を与えてくれる罪悪感ですが、あなたの中に愛が強ければ強いほど、その感情もまた力を持ってくるという見方を私はしています。

愛が強いからこそ、罪悪感も強くなる、ということです。

だから、罪悪感を癒し、手放すためには、罪悪感で書かれたストーリーをすべて愛の物語に変換することで成されるものです。

とはいえ、自分を責めたいし、傷つけたいし、幸せにしたくない罪悪感氏からすれば、愛の存在は最も忌み嫌う敵なわけでして、だから、愛の物語に変換されるということは、ものすごい抵抗を感じるものです。

すぐに受け入れようとせずに、徐々に愛を見つめていくレッスンをするつもりでお読みいただけたら幸いです。

> 約1年前に旦那がガンで闘病の最後の数ヶ月となり、なのに大事に優しくしてあげれなかった自分。嫌いではなかった旦那ですが、私は結婚して数年後から、他に好きな人がいたり、仕事に没頭していたりしました。

もし、ほんとうに旦那さんのことが嫌いであるならば、どんな事情があれ、離婚を選んでいたはずですよね。
他に好きな人ができたりして旦那から目を逸らしていたのであれば、そこにもきちんとした理由が存在しているはず。
仕事に没頭するのも同じ理由。

何か、旦那さん(=近しい存在)と向き合えない理由が何かあるのでしょう。
それがもしかしたら古くからある罪悪感の存在かもしれませんが。

しかし、旦那さんに罪悪感があるということであれば、その罪悪感の量だけ愛があったということです。
彼のどのようなところに愛を感じていたのか?(長年連れ添ったゆえの情も含め)を考えてみるのも良いでしょう。

旦那さんが最期の数か月という時であれば、どんな方であれ「もっとできることがあったんじゃないか?」という罪悪感が出てくるものです。

しかも、元々旦那さんに罪悪感がある関係でいらっしゃったのであれば、さらに旦那さんと向き合うことが辛くなる罪悪感を上積みしてしまうものです。

その感情とがっつり向き合うことは相当な勇気と強さと覚悟がいるものですから、「自分なりにできることはやったんだ」と認めてあげて欲しいと思うのです。

> ガンになってから、逃げたい、考えたくないと無意識に思いながらの1年半でした。

それはふつうの人間であればだれにでも起きるものです。
大きな病気や死というものを直視することなど、なかなか人はできないものです。
始めは否定し、拒否します。そして、自分が被害者になったり、逃げようとしたりします。そこに罪悪感という感情が入ってくれば、なおさら向き合うものは難しいものです。

だから、これは誰にでも起こりうること、として受け入れて頂きたいと思っています。

> 同時期に倒れた父親のことで(今はだいぶ回復)ゴタゴタし、同じような罪悪感とイライラを感じていました。
> 口では、面倒臭いとか言ったりして、逃げたい気持ちと同時に、そんな自分が辛くて悲しくて、よく泣いていました。

悪いことは重なるとよく言いますよね。旦那さんが病気になり、同時期にお父さんまで倒れたとなれば、ふつう、逃げたくなるものですし、心底、辛い気持ちになります。

そうなると人は神を恨むことがあります。
なぜ、自分にこのような状況を与えたのか、神様に中指立てちゃうわけですね。

そして、そんな状況を「辛い」と捉えられるのはどうしてなのでしょう?

自分に全然関係ない人であれば、きっとそんなに辛くなったりはしないはずですよね。
そこに家族への愛情がなければ、そうはならないのです。

> 旦那が最期の数ヶ月の頃に、私がすごく好きになってしまった(恐らくロックマン的な)不倫相手と1年続き、今から3ヶ月前にバッサリ切られたのも辛いのですが、それから立ち直ってきてもこの罪悪感が残っています。

さて、罪悪感にとっては恰好の自分をいじめるネタなわけですけれど、その彼の存在にだいぶ救われた部分もあるんじゃないでしょうか。

実は身近な人の闘病中に、しんどい自分を支えてくれる存在が出てくることはよくあるものです。
一人で抱えきれないものを一緒に持ってくれたり、あるいは、気を紛らわせてくれるもの。

それが異性であることも多いですが、他にも、仕事、ギャンブル、アルコールなども自分を助けてくれる手段になることがあります。
良くないこと、と一般的に言われるものですが、逆に「そこにしか頼れない」という自立的な自分がいることも事実。

ネガティブな見方もできるけれど、Yさんの精神を救ってくれた存在が彼なのではないかと思います。

だから、彼は自分の役割が終わったときに、そういう形で去って行ったのでしょう。
そういう意味で彼はいいボランティアをしてくれたんじゃないでしょうか。

ネガティブな見方をすれば、好きな人ができたことって、罪悪感氏に格好のネタを提供することになるわけですけれど、そこに救いを見ることができれば、その思いを軽くすることもできます。

Yさんは自分が弱い存在だということを知っていますか?
もちろん、ほとんどの人が弱い存在です。

しかし、その弱さを否定し、禁止し、拒否している分だけ、自分の行動には罪悪感が付きまとうようになります。

自分が弱い存在であることを肯定することは、自立系な皆さんにとっては大変苦しいものですが、実は、それがもっとも自分らしく生きるための重要なアイテムであることも多いのです。

だから「私は弱い。だから、ダメだ。強くならなければ」と鞭を振るうのではなく、「私は弱い。だから、誰かの助けが必要なのだ」と受容していくことをお勧めしているのです。

> 今でも弱って助けが必要となってきている親に対して、面倒な気持ちと同時に、辛い悲しい気持ちになります。
> この状態はこれからも続くと思われるので、ちゃんと元気になって幸せも感じたいのに…。
> 今の私を阻んでいるのは、コレなのかな…と最近、思っています。

弱さを受け入れられずに否定していると、自分が弱くなる現象が次々に起こります。
(というか、起きてる現象をそのように解釈します)

こうした大きな問題が起きると、今まで隠していた内面的なものがぶわっと噴出してくるのです。
Yさんの場合は罪悪感がそうですし、また、頑張って自立して来た陰にある弱い私がそうなのかもしれません。

そう、弱って助けが必要なのは親ではなく(親だけではなく)、Yさん自身なのかもしれませんね。

だから、罪悪感を抜け出すカギは「誰かに助けを求める」ということです。
その許可を自分に下ろしましょう。
だって、今のYさんはそれを望んでいらっしゃいます。でも、自分にそれを堂々と許せないから、アンダーグラウンドに心のよりどころを求めてしまうのかもしれません。

逆に言えば、それだけ今まで自立的に生きてこられたんだと思います。

やはりYさんも平坦な道よりも茨の道を好む方ですよね?(笑)

とはいえ、幸せになる資格はYさんにも当然あるわけです。

そのために必要なことは罪悪感などにより自分を否定的に見るのではなく、今までの人生を、今までの自分を肯定的に見て自分を愛してあげることです。

それが今、最初にすべきこと。

親のことはその後でも構いません。

「ようやってきたよね。
めっちゃ頑張ってきたやん。
すごいよなあ。
なかなかできることじゃないよね。
それでももっと頑張ろうとしているんだよね。
どれだけ愛があるんだよ。
もう少し自分のことを面倒みてあげてもいいんじゃない?
ボロボロになってない?
休んだり、甘えたり、頼ったりするの、苦手でしょ?
そういうと否定するかもしれないけれど、きっとそうだよね。
ドMだってことはわかるけど、そんな自分を責めまくらなくてもいいんじゃない?
そういうプレイが好きなの?
楽することだって大事なんよね。
じゃないと自分が潰れちゃうじゃない?
そりゃ、情熱の女だからいつも恋をしていたいわけだしさー。
鎧着込んで、バズーカ背負ってるけど、ほんとはか弱くて、かわいい、女の子なのかもしれないよね。
弱くてもいいんじゃね?
ちゃんとしなくてもいいんじゃね?
それが今の自分なんだからしゃあないやん」

要するにYさんに伝えたいのはこれだけなのですが、それだとすぐに終わってしまうので、これだけ長い文章に仕立て上げるプロの技を発揮した根本くんを大いに褒めたたえると良いですよ。みなさん。

愛の物語に描き変えるならばコレがお勧め。

『人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本』(大和書房)

罪悪感で自分を責めるよりも、愛することを選択するレッスン。

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