父を失くしてから世界が灰色になってしまいました。



早く立ち直ろうとか、ちゃんとしようとか、無理なことをすればするほど無気力になって何もできなくなるものです。
今の自分の気持ち、体の状態にただ向き合うことが大切です。

根本先生、こんにちは。先生の新刊、読みました。少し重めのネタですが、取り上げていただけたら嬉しいです。
数年前に父が自殺しまして、第一発見者は私でした。どうしようもない人でしたが、世界で一番父を愛していました。と同時に、憎んでもいました。
父の死後、パニック障害や不安障害を患い、色んなことで気を紛らわせながらなんとか今日まで生き延びてきたものの、この1年、どんどん無気力で無感情になっています。
何か考えようとしても頭が回らず、何に対しても興味が持てず、人とも上手く関われません。
父を失くしてから世界が灰色になってしまいました。何を食べても同じ味、何をしていても心に虚しさがあります。
父を思い出すもの全てを避けてしまうので、日常生活もままなりません。記憶障害もあるようで、私どうなっちゃうんだろう?と不安になります。
何ひとつ自分で決められなくなってしまったことが、今何よりもつらいんです。
多分、責任を取りたくないんだと思います。父の死が私のせいではないことは理解しているつもりなのですが、「自分のせいで」という罪悪感を、もう感じたくないんだと思います。このままでは、いつまで経ってもしんどい他人軸のままです。
完全に依存に突き落とされてしまいました。どうすればいいでしょうか?
(Mさん)

私のお勧めは「どうもしないこと」です。

今のMさんは何とか降ってくる雨を止ませようとしているのかもしれません。

鬱陶しい雨が続くのは嫌なものかもしれませんが、天気に文句を言っても始まらないので、傘を差してレインブーツを履いて出かけます。
「早く晴れの日が見たいなあ」と思いながらも。

悲しいものは悲しい。
寂しいものは寂しい。
罪の意識を感じるならば、それはそれでしょうがないのです。

だって、それが今、目の前にあるものだから。

大人になれば
「何とかしよう」
「うまくやろう」
と考えて行動を採ることも多いのですが、そうは問屋が卸さねえ、とばかり感情は言うことを聞いてくれません。

特に感情は目を逸らそうとすればするほど強くなります。

「おーい!」って声がしてその声を無視すると、さらに大きな声で「おーーーーい!!!!」と呼ばれるのと同じように。

それが時に無気力さやパニックを生むこともあります。

何とかしようと自分の気持ちをコントロールしても、やっぱり何ともならないので、どんどん感情に振り回されるようになりますよね。

でも、不思議なもんなんです。
感情って自分のものなのに、どうしてそれに振り回されてしまうのでしょう?

その答えは感情をコントロールしようとしているからですね。

ただただ、自分の心に寄り添う、そんな時間が必要なのではないでしょうか?

お父さんが亡くなられてから始めの内は変なアドレナリンが分泌されて、不思議なほど元気だったのではないでしょうか。
しかし、時間と共にその現実を受け入れ始めると、心が鉛のように重たくなって、無気力になることがよくあるものです。
燃え尽き症候群に似たような感じですね。

昔、こんな記事を書きました。
https://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/7465

大切な人の死についても触れています。
https://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/10793

https://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/11844

また、本ではアルフォンス・デーケン先生のものをお勧めしています。

なんか、ショックなことがあったときに立ち直るプロセスをブログか何かで紹介したのですがどこか分からなくなってしまいました(笑)

※6/19追記:読者様より記事のリンクを教えて頂きました(^^)ありがとうございます。以前所属していた団体で書いた記事でした。
「心がショックから立ち直っていくプロセス(1) ~第一段階:心理的パニック状態~」
https://www.counselingservice.jp/lecture/14348/

自死は残された家族にとてつもないダメージを与えるものです。

理解、納得できないことも多いでしょう。

救えなかった自分を責めてしまうものですし、誰かを責めたい衝動に駆られます。

>何か考えようとしても頭が回らず、何に対しても興味が持てず、人とも上手く関われません。
>父を失くしてから世界が灰色になってしまいました。何を食べても同じ味、何をしていても心に虚しさがあります。
>父を思い出すもの全てを避けてしまうので、日常生活もままなりません。記憶障害もあるようで、私どうなっちゃうんだろう?と不安になります。

それでいいんじゃないでしょうか?
それはいけないことだと思いますか?

心や体がそうなっているんです。
それが「自然」なんですよね。
だから、いいとか悪いとかではなく、ただ、そうなっているだけなのです。

それをいけないこと、ダメ、ほんとうはこうすべき、このままではダメになっちゃう・・・という思考が私たちを苦しめます。

それくらい愛する人を失ったのだから、当然のことでしょう?

逆に言えば、それくらいの心身に影響が出るくらい大好きな人を失ったということなのです。

お父さんに会えるなら何て伝えたいですか?

どうして?なんで?って疑問をぶつけますか?
怒りや理不尽さをぶつけますか?
悲しみや寂しさを伝えたいですか?
それとも謝りたいですか?

私がお勧めしたいのは、そうした自分の気持ちに素直になる、ということです。
感情を怖れず、自分が今感じていることにただ素直になることです。
そして、その感情を否定せず、ただ、受け入れようとすることです。

辛いものは辛い。
寂しいものは寂しい。
悲しいものは悲しい。
涙が出るならそれをただ流してあげましょう。
怒りがあるならそれをただ認めます。

思考は心の問題を解決することが苦手です。
自分よりはるかにパワフルな存在が感情だから。
だから、心の問題は感情に処理させるのがいいんです。

「感じる」ということ。考えるのではなく。

そうして、自分の気持ちとただ向き合っていきましょう。

お父さんのことを扱うのはその次です。

お父さんを亡くして絶望している自分が心の中にいると思ってください。
あの時で時間が止まってしまった自分です。

その自分に声をかけてあげるとしたらどんな声をかけてあげたいでしょうか?

これもまた自分と向き合うレッスンです。

「日記を付けるといいですよ」という提案をすることも多いです。

何を書くわけでもなく、ただ、自分が感じていることを書くだけのノートです。

少し気分が落ち着いて来たら、お父さんと対話するノートを書いてもらうこともあります。

こうしてお父さんと向き合っていくのです。

でもまずは自分自身を受け入れるところからです。

私が感じていることをそのままOKしてあげる。それだけです。

たくさん泣いて、たくさん怒って、たくさん寂しがっていると、不思議と心は元気になって行きます。
それくらい心って強いんですよね。

深く自分を見つめ、向き合うなら

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