喪失感から始まる様々な感情について。



被災された皆様へ、心からお見舞い申し上げます。
そして、少しでも自分にできることをし、お役に立てれば、と思っています。

さて、今回のような大きな災害が起こると、心にぽっかりと穴が空いてしまい、呆然としてしまうのではないでしょうか。

それが「喪失感」という感情。

これは災害に限らず、誰かの死、事件や事故、病気、リストラ、失恋・・・、必ず起こる感情といってもいいでしょう。

始めのうちは、どうしていいのか分からずに悲嘆にくれたり、「そんなことはあるはずがない」と現実を受け入れられなくて否定的になったり、悲しみで涙が止まらなかったり、先々に対する不安に苛まれます。
眠れなくなったり、一人でいることが怖かったり、ずっと揺れてるような感じがして不安が強くなったり・・・。

でも、心の動きはそれだけではありません。

徐々に状況が落ち着いてきたり、情報が安定して入ってくるようになると、様々な感情が揺り動かされることになります。


○怒り

神や運命に対する強い怒りを持ったり、周りの人たちや政府、企業に対して攻撃的になることもあるのです。
いわば、「なんで自分がこんな目に合わなければいけなんだ・・・」という“やり場のない怒り”が生まれます。

しかし、それは「そうするしかない、他にどうしたらいいんだ・・・」という苦悩の表れでもありますし、実はこの怒りや攻撃性は、自分が助けて欲しい人に対して向かうことが少なくありません。
だから、多くの場合、身近な人、とても深く関わっていた人に対して、この怒りを感じやすいんです。
神様を信頼したいから神様に怒りを感じ、運命をより良いものと信じたいから運命に怒りを感じ、周りの人に甘えたいから、周りの人に怒りを向けるのです。

でも、怒りを感じることに抵抗を感じたり、いけないことと思ったり、またそんな自分を責めてしまったり、罪悪感を感じてしまったりしませんか?

大切なことは、怒りを感じることを許すこと。
癒しへの一つのプロセスなのです。
怒りを感じることは当たり前で自然なこと。だから、「怒ってもいいんだ」と許してあげましょう。

あなたの近くに怒りを感じている人がいたとしたら、本当はそれを静かに見守ってあげるといいでしょう。
嫌な気持ちがするかもしれませんし、あなたがその怒りに反応して、その人に対して怒りを感じるかもしれませんが、怒りの方ではなく、その人のやるせなさ、悲しみ、痛みなどの感情を見つめてあげてください。

○空想化、現実感の無さ

また、一方で、「アレは無かったことなんだ」と思い込む心理もあります。
それは現実が目の前にあったとしても、私たちの意識を別の空間(いわゆる空想、ファンタジーの世界)に飛ばすことによって、「あれは嘘よ。あんなことは無かったのよ」と自分に思いこませることが可能になります。
いわゆる「現実逃避」と言われるものですが、これが過剰になると、「あの人、大丈夫?」と言われてしまう状態になります。

しかし、これは一種の“防衛本能”と捉えることもできるんです。
あまりに辛い現実を目の前にして、自分を守るための心が取った手段なんです。

また、今の毎日の生活がふわふわ、ふらふらしているようで現実感がないな、と感じたときも同じこと。
「私のこころはちゃんと生きてるんだ。私を守ってくれているんだ」と捉えてみましょう。

少しずつ、あなたの心が現実を受け入れるにつれて、地に足が着いてきます。

あなたの近くにそういう人がいたとしたら、できるだけ側に居てあげたいですね。
その人の心が安らぐように、ホッとできるように。

○罪悪感と無力感

そして、罪悪感、無力感。

「もっとこうしてあげれば良かった」
「何かできることがあったんじゃないだろうか?」
「私のせいで、こういうことになってしまった」
「助けられたんじゃないだろうか」
「私は何もできなかった」

罪悪感は激しく自分自身を攻撃します。
皆さんも、何かショックなできごとがあったとき「これは、私への罰なんだ」と思ったことはありませんか?その感情こそが「罪悪感」そのものなのです。

分かっていても出てきてしまう感情ですが、そのとき、自分を責める必要はないよ、ということを繰り返し、何度も何度も自分に言ってあげてください。

罪悪感を選ぶよりも「今できること」を自分なりに探してみませんか。
無力感で自分を責めるよりも「今自分ができること」をやってみませんか?
できないことはできません。
できることだけをやっていくことが、今の私たちにできることだと思うのです。

○無気力、抑うつ状態

怒りや罪悪感で自分を責めたり、その感情を抑圧してしまうと、徐々に抑うつ状態になっていきます。
無気力になり、心が麻痺して何も感じられなくなり、心が閉ざされていきます。
「もういいよ」と投げやりになったり、「うん、大丈夫、大丈夫」って空元気になったり、でも、一方で、心が閉じた分、強い孤独感を感じます。
「どうせ、自分の気持ちなんて誰も分かってくれない」と感じることもあるでしょう。
そうして、引きこもりのような状態になってしまうこともあります。

そして、その引きこもった世界の中で、そのショックなできごとをずっと繰り返し見つめていきます。
私たちはそれを「時計を止めてしまったようだ」と表現します。

実はこうした段階は、喪失感からスタートして誰もが程度の違いはあれど体験するものだと思うのです。

そうした段階を経て、徐々に現実を受け入れ、新しい希望を見出す準備ができ、そして、再び“笑える日”がやってくるんです。

絶望の日、もう一生笑えないんじゃないかと思ったかもしれません。
世界はどんよりと曇っていて薄暗く、光なんてもう二度と拝めないと感じていたかもしれません。

でも、心はこうした段階を一つ一つ重ねていくことで確実に強くなり、そして、新たな希望を見つけていくのです。
それは冷たく閉ざされた冬の大地に春の訪れが見られるような感覚なのです。

心は決して死にません。
麻痺して感じなくなったとしても、とても強く、あなたを支えます。
どんな感情がやってきても、それは前に進むための心からのメッセージなのです。
だから、私たちは「今の、その感情を、ただ、感じてあげてください」と伝えるのです。
そうして、今の気持ちをきちんと受け止め、認め、感じることで、次の段階に進めるんですね。

だから、少し辛い状態かもしれませんが、そういう時は、その気持ちを「否定」するのではなく、「受容」してあげることが一番なのです。

1人で難しければ、友だちやカウンセラーのサポートを求めてください。
誰かが側で話を聞いてくれるだけで、この「受容」がとてもスムーズに進むのです。

だから、人と人とのつながりはすごく大切なものですね。
あなたの辛い気持ち、寂しさや不安、怖れ、誰か聞いてもらえそうな方はいらっしゃいますか?ぜひ、その人とのつながりを、求めてみてください。

心がオアシスに入ったことが、きっと感じられますから。

参考になりましたら幸いです。


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