可能性を自ら狭めていませんか?



ライフワークのお話。
ライフワークに関するセミナーをしたり、コンサルしたりしてるのですが、私の考えとかやり方はだいぶ甘いようで、ほんとにそれで行けるんですか?みたいな声もいただきます。

自分が好きなことを、好きなように、好きな人たちと、好きな場所でやっていくことがライフワークだと思ってるので、好きかどうかがすごく大事だと思ってるんです。
(この「好き」を「ワクワク」とか「ぐふふ」に置き換えるのも可)

でも、人によっては集客頑張らなきゃ、とか、明確なビジネスプランがないとダメだとか、資金計画がちゃんとしてないとうまくいかないとか、言います。
また、人付き合いが苦手な自分はライフワークなんて難しそう、とか、自分がやりたいことでは食べていけなさそう、とか、自分はビジネスの経験がないから無理だろう、とか。
ほんといっぱいあります。

苦手なことを克服したくてチャレンジするのはいいことだと思いますし、応援します。
でも、苦手なことを克服しなきゃと思って頑張るのは私としてはあまり賛同しかねます。
その辺が私の甘いところかもしれません。

苦手なことで、やりたくないなら、それを得意にしてる人ややりたがってる人に任せればいいじゃん、と思っちゃうのです。
「自分が苦手なことは誰かを幸せにするもの」と思ってます。

言い換えれば「自分が苦手なことを自分でやろうとすることは誰かの幸せを奪ってる」ことになると思ってます。

私は自分では事務作業が得意だと思っているのですが、それは私だけ思っていることのようで現実はかなり穴だらけです。実際は苦手なことなのですな。
ので、数字のことは税理士さんに丸投げして、その他のことは寛大なるお客様方の広い心に救われることにしています。

また、スケジュール管理が不得手で自己管理もままならない性格のため(要するにその気にならないと何もできない)、忙しいときはめちゃくちゃ忙しく、暇なときはとても暇です。

今月もスケジュールの読みが大変甘く、意外なほど余裕ができたのでこの2週間で10日もジムに行っています。
その時間があるときにセミナーのネタを考えるとか、執筆計画を立てて今のうちから準備しておけばイザってときにバタバタもイライラもしないのに・・・と思いながらも、その気にならないので放置してます。

でも、それでいいんだと思ってます。いや、それしかできないのが私なんです。
昔は頑張ろうとか何とか前倒しで、とあれこれ先読みして準備してたこともあるのですが、そういうときに立てた企画はイザってときに気に入らなくなり、結局、全部書き直しになりました。
なので、ああ、そういうことは無理なんだな、と思うようになりました。

集客が苦手なら得意な人に協力を頼めばいいし、人付き合いが苦手なら最低限の付き合いでやっていくか、数少ない仲間に手伝ってもらえばいいんです。

でも、それをならやきゃ、と思ったら、そこに縛られて可能性を狭めてしまうと思うのです。
「方法は100万通りある」と福島正伸先生はいつもおっしゃるのですが、すなわち、あなたがライフワークを生きる方法も100万通りあるんです。

Aさんがうまく行ったやり方があなたに合うとは限りません。
でも、Aさんはきっとあなたに「自分がうまく行ったやり方」を伝えるでしょう。
しかも、Aさんがけっこう押しの強いタイプだったり、教えたがりなタイプだとすると「絶対こうした方がいいよ。そういうことはダメだよ」と言ってくるでしょう。
でも、繰り返しになりますが、それはAさんだからうまく行ったことであなたがうまく行くとは限りません。

Aさんと同じ方法を採らなかったって、あなたがライフワークを生きる道は残り99万9999通りあるんです。

しかし、Aさんが凄く成功者で、Aさんのことを憧れていて、Aさんの言うことがとても説得力があって、Aさんがとてもあなたのことを親身に思ってくれているとすると、あなたの中の「いい人」が「Aさんの言うとおりにしようよ」と悪魔のささやきをしてきます。

また、あなたの中の「自信のない人」もまた、「Aさんの言うとおりにした方がいいんじゃないか?」と不安な分だけそれに流されそうになります。

さらには、あなたの中の「早く成功したい人」は、「Aさんの言うとおりにしたら確実なんじゃないか!現にそれで成功してる人が何人もいるし!」と、あなたを説得しにかかるかもしれません。

でも、あなたの感覚はそのアイデアに「Yes」と言っているでしょうか?
あなたの感覚はAさんのその提案にワクワクしているでしょうか?
ぶっちゃけ、あなたの感覚はAさんが言うやり方が好きだと言ってるでしょうか?

「好き」で生きるのならば、この時点で「好き」を選んだ方がいいんじゃないかと思うのです。

ちなみにこの「Aさん」の中に「私、根本」も含まれますよ、もちろん。

視野を狭めてしまう、と言えば、例えば、自分がやりたいことや欲しいものに対して「こうしなきゃいけない」「こうしてはいけない」「これしかない」というのもあります。

先日、ある方が「やっぱりカウンセラーやコーチとして成功するならブログをバンバン書かなかダメなんでしょうか?私、書くのが苦手で」とおっしゃっていました。

「じゃ、ブログを書かずに成功する方法を考えてみたら?」と言ったら意外そうな顔をして、「え?それで大丈夫なんですか?」と。

「僕は成功したくてブログを書いてるんじゃなくて、それが好きな自己表現だからブログを書いてるのよね。書きたくない日もあるから、そういう日は更新しないしね~」ってお伝えしました。

書くことが苦手なのに無理にブログ書いても「無理やり書いてます感」が出ちゃうと思うんです。
そういうブログはいいこと書いてあってもやっぱり読者に響かないんじゃないかと思います。
そもそも続かないですよね?そして、続かないことでまた自己嫌悪しちゃいますよね?そうするとカウンセラーやコーチというやりたいこと以外で自信失っちゃいますよね?

ライフワークを生きるなら、今から「自分らしく」行動することがお勧めなんです。

ライフワークについて私が語るとき、その視点はすでにライフワークを生きてる自分を見ています。
その時の自分は苦手な事務作業をちゃんとこなしてるんだろうか?
スケジュール管理がきちんとなされているのだろうか?
広い人脈を持っているのだろうか?
バンバン営業してるのだろうか?
仕事がバリバリできるスタッフに囲まれているだろうか?

私の答えはNoです。

ライフワークを生きてるときにしないことを、今、する必要があると思います?
ライフワークを生きてるときにきっとしていないだろう苦手なことを今やって、それがそのライフワークに繋がると思います?

だから私はもうすでにライフワークを、生きてる体で生活することを心がけています。

きっと私が今よりもっとライフワークを生きるようになっても「あー、締め切りがーーー!!」とブログで愚痴ってるでしょうし、「講師もスタッフもポンコツばかりですいません~!」と嘆いているでしょうし、読者様から「根本さん、セミナーの日付が間違ってます」と教えてもらってるでしょうし、セミナー受講生から「根本さん、今日もチャックが空いています」と指摘されているでしょう。

ライフワークを生きようとすればすでに今から自分らしい道を進むことがいいと思うんです。

今さらながら私にとってのライフワークの定義を再び。
ライフワーク=仕事というイメージで、それは確かにそうだと思いますが、私の場合、仕事だけでなく、パートナーシップ、家族、友達・仲間、趣味、住む場所等、ライフスタイルそのものを自分らしく構築することをライフワークと呼んでいます。
だから、専業主婦がライフワークという方もいるし、サラリーマンがライフワークな人もいます。
それで幸せを感じられる生き方がライフワークだと思うのです。


あわせて読みたい