「お母さんの自慢の子どもになれなくてごめんなさい」



親の期待に応えるのは喜んでもらいたいから。
その思いで頑張ってきたものの、本来の自分とかい離している場合はやがて応えられない時期がやってきます。
それは本来の自分を生きるチャンスなのです。

 子どもは親のことが大好きだから、その期待に応えたい。
 親が望むことをして、それを喜んでくれる顔が見たいから頑張る。
 もちろん、親も子どもが可愛いし、その未来のために期待する。

お互いの愛が悲劇に変わるシーンがあります。
それは

 親が期待した子どもの姿が実はその子本来の姿ではなかった。

という場合。

むしろ、親の期待に応え続けることで本来の自分からは遠ざかっていくことが多いのです。
親は理想の娘・息子像を子どもに求め、子どもも必死にそれに応えようとするのですが、そこに「本当にしたいことは何?本当に心がワクワクすることは何?」というテーマはないのです。

自分が子どものとき勉強を頑張って成功した、と思っている親は自分の子どもにも成功してほしいから勉強させようとします。
逆に、自分が子ども時代に勉強ができなくて苦労した、と思っている親は、自分の子どもには同じ苦労をさせたくないとの思いからやはり勉強させようとします。

医者などの仕事に就けば周りから尊敬もされるし、経済的にも安定するし、また、多くの人の役に立つからと親が思って医学部進学を子どもの頃から志向させます。そして、親の期待に応えたいその子は一生けんめい頑張って勉強し、親を喜ばせるために医学部を目指します。
でも、もし、その子が文学に秀でていたら?語学が堪能でコミュニケーション能力が高くて営業に向いている子だったら?という思考はあまり入る余地はないようです。

親が子供を野球やサッカーの選手にしたい、歌手として成功させたい、海外に通用する人材に育てたい、と思って、それがきっと本人も幸せだと思っていても(もちろん、自分の欲求を満たしたいだけの親もいますけど)、子ども自身がそれにフィットするかどうかの検証はなされないのかもしれません。

繰り返しになりますが、子どもが頑張るのは、自分がそれに向いているかどうかではなく、純粋に親を喜ばせたいから。

それで親の期待に子どもが答えられないと親は嘆き、悲しみ、そして、責めます。
「あんたは不出来な子だ。失望した。」
という言葉を投げかけられることもあります。
そして、親の期待に応えられなかった子どもも
「自分は情けない人間だ」
と思い、自分自身に失望し、自己嫌悪し、自信を失います。

それを『挫折』と言います。

しかし、それは大きなチャンスでもあるのです。
本来の自分自身に戻るため、そして、自分がしに来たことを現実化させるため。

親の期待に必死に応えようとしたけれどどうしても自分の頭は理系には向いていないみたい、と医学部進学を断念し、ずっと大好きだった絵の世界に向かう人もいます。
その方にとっては本来自分がしたいことをするためには、親の期待に応えられず、親を失望させ、そして、親に「あんたのことは知らん」と匙を投げられる必要があったのです。
そこでは大きな罪悪感を感じますが(もちろん、それは感じる必要のない感情なのですが、愛ゆえに感じてしまうのです)、その一方で、大好きなものに触れられる喜びを得ます。
ただ、こういうケースでは親とは断絶状態になることも多いですけどね。

この挫折は早ければ早い方がいいことは言うまでもありません。
ところが、特に「いい子」を期待されてきた子に多いのですが、中には本来向いていない世界だったとしてもその適応能力が高すぎて、ずっと期待に応え続けられる方もいます。
でも、それが本来の自分の姿ではない分だけ、表の自分と内側の自分にギャップが生まれ、それがどんどん自分を苦しめるようになります。

そうすると以前紹介した「アンダーグラウンド」が必要となり、表には出せない思いをアンダーグラウンドで処理するようになってしまいます。

>「ココロのアンダーグラウンド(1/3)~表社会では処理し切れない、行き場のない思いがたどり着く場所~」
http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/11899

そして、大人になってから子ども時代に抑圧してきた「反抗期」を迎えることもあります。
これも先日ご紹介しましたね。
>「遅れて来た反抗期~30を過ぎて父を嫌悪するのは親不孝なのか?~」
http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/13311

子ども時代からずっと親の期待に応えて頑張ってきました。
厳しい親で勉強を頑張っても褒めてくれることはなく、逆に少しでも点数が悪いとひどく叱責する人でした。
いい学校に行けば褒めてくれるかな?
生徒会長をやれば自慢にに思ってくれるかな?
いい子にしていれば愛してくれるかな?
そんな思いでずっと頑張ってきましたが、全然自分のことを認めてくれません。
ひとつの課題をクリアするとすぐに次のより難しい課題が与えられました。
そして、またその瞬間から自分は頑張って走り続けたのです。ほかでもない、親の笑顔のために。
それを長い間、自分はまだ親の期待に十分応えていないし、そんな自分はダメだ、と思ってずっと頑張ってきました。
大人になってもいい会社に入り、花形の部署で活躍してもまだ認めてくれず、むしろ、あれができていない、これができていない、と更なる課題を与えられるのでした。

その親の期待する姿が自分の本来の姿とギャップがある場合、当然疲弊していきます。
これだけ頑張っても認めてもらえないんだ、褒めてもらえないんだ、笑ってくれないんだ、という失望絶望もだんだん諦めになります。

そうすると内なる自分はこんな声をささやき始めます。
「ぼろぼろになったら許してくれるかな?」
「傷つき疲れ果てたらもうこのゲームを辞めさせてくれるかな?」
「これだけ頑張ってでもできなかったらもう許してくれるかな?」

自ら挫折を求めるようになります。
でも、自分からその舞台を降りることはできないので、仕事での大失敗、病気や事故、失恋や人間関係の破たんを望むようになり、それを形にします。

親に「あんたには失望したわ。もう知らん」と言われて、すごく悲しいのだけれど、ホッとします。

そういう頑張り屋さんたちに、ある過酷な宿題を出すことがあります。

「もう限界だって分かるでしょう?とっくに気付いているでしょう?
 このままでは無理だって分かっているでしょう?
 白旗を上げませんか?参りましたって認めませんか?」

そして全面降伏をお勧めするのです。

「親にこう言ってみてください。
 『お父さん、お母さんの期待に応えられなくてごめんなさい。
  お父さん、お母さんの望む子どもじゃなくてごめんなさい。
  あなたの自慢の子どもになれなくてごめんなさい。』」

当然、強い抵抗が出てきます。
自立したマインドは「負け」を認めることを良しとしません。
そして、子ども時代から親を喜ばせるために頑張ってきたのだから、この言葉は間違いなく親を失望させるものだと思えます。

「そんな、お母さんを悲しませるようなことは言えません。」
「そんなこと言ったら、お父さん、すごく絶望すると思います。」

そんな言葉をたくさん聞いてきました。
それだけ頑張って来たのですね。親の期待に応える、ということを。
それだけいい子なんです。素晴らしいんです。

そして、親を会社や上司に投影し、親の期待に応えるだけでなく、会社、上司、同僚たちの期待にも応えようとしてきたのですね。

それを手放します。
本来の自分に求めるために。

その言葉が「あなたの期待に応えられずごめんなさい。あなた望む子供じゃなくてごめんなさい。」なのです。

グループカウンセリングでこの話をしました。
隣で聞いていたある女性がすぐにそれを実践しました。

***
お疲れ様です。
今日は、ありがとうございました。

泣いたついでに、
実家の母へ電話しました。

自慢の娘でなくてゴメンと。

すると、母から無理させて
ゴメンと言われました。

元教師で長女で、厳しかった母
からその言葉が聞けて
また、泣きました。

仕事も無理ならやめなさいと
言われました。

これから仕事ですが、
ちょっと気持ちが楽に
なりました。

急には、仕事は
辞められませんが、
良かったです。

ありがとうございました。
***

彼女もお母さんをずっと愛し、そして、お母さんも娘をずっと愛してきたのです。

もちろん、ひどい言葉を投げかけることもあります。
でも、それは先ほど書いたように「解放」なんです。
本来の自分に戻るための。
そして、自分自身を生きるための。

白旗を挙げる・・・これは自立を手放す方法です。
歯を食いしばって誰かの期待に応え続ける人生から、自分自身を生きる人生への転換期です。
勇気は要りますが、ピンと来られた方はぜひ実践を。

まずは先ほどの言葉をアファメーションとして呟いてみてください。
それだけでも少し心が軽くなるかもしれませんから。

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