自立系武闘派女子は豊かな女性性と後天的に身に着けた男性性が対立するのであれこれ悩みやすいのです。



女性性が豊かな方はそれゆえに器もデカく、エネルギーも強いので、後天的に育てる男性性もまたパワーを持ち、その結果、女性性vs男性性みたいな図式が生まれるものです。
そこは喧嘩するんじゃなくて仲良くさせることでバランスが取れ、楽になるものですし、それが投影されればパートナーシップもうまく行くんです。

根本さん読者歴は4年ほど。心の仕組みを面白く分かりやすく説明してくれていてとても勉強になっています。

この人が絶対いい!て想いを一度も抱いたことのない彼と10年以上付き合い、その間に2度、別の人と恋愛をしました。浮気相手は2人とも20歳以上離れた年上。1人目は本気で互いに好きでした。2人目は4年間付き合っている野良猫ロックマン。

10年つき合っている彼は愛情をたんまり受けて育ってきたせいか、私に対しても素直で真面目です。でも何か深いところで繋がれない感覚があって、それは愛(人だけでなく、物や文化や時間とかに対する愛情も含め)への渇望を共有できないからなのかもと思っています。

愛すより愛される方が幸せになれると自分に言い聞かせてきたけど、本当は自分はもっと与えたい人なのかもしれないと思うようになりました。でも、嫌われたり重くなったり拒絶されるのが怖くて、与えたい気持ちに素直になれません。

母が厳しい家庭の末っ子として育ち、特に辛い過去を持っているわけではありません。でもなんだかいつも孤独です。そして私自身野良猫な気質がある気がします。
幼い頃から我が強く努力家で、愛情にいつも飢えている感覚がありました。愛なんて消えてしまう。勉強や特技は裏切らない。だから後者をがんばる。裏切られるのが怖くて愛を出し惜しみしてしまう。そうすることで自分を守れると。。

どうしたら上手く愛せますか。笑 自己肯定感をもっと上げていけば自然と人をうまく愛せるようになるのでしょうか。でもやりたいことに没頭すると再び野良猫化が加速しそうです。仕事ならまだしも、恋愛関係での相互依存のイメージが湧きません。

歳の差なんて気にせず、野良猫に本気になったらいいじゃない、て友達には言われます。もちろん野良猫の彼は大好きだし、これからは自分の感情に素直に生きたいと思っています。でも将来、先立たれて寂しい思いをするかと思うと。。
先々のことを考えて選択することは、将来の自分の人生を楽にしてくれ、ある程度守ることにもなると思うのですが、今の一時的かもしれないこの感情をどこまで信じていいのでしょうか。

愛情への渇望が強い私ですが、どのように愛への欲求をうまく活かしたらいいのでしょうか。仕事や趣味に対しての愛の傾け方はそれなりにわかりますが、人に対してどうしたらいいのかが分かりません。
(Yさん)

まあ、なんて文章力の高い(=コミュ力高い)方なのでしょう。
文面からもほとばしるほどの女性性を感じますねー。(女性性がほとばしるという表現はちょっと変ですけれど!)

必要な情報を網羅してくださっているようでツッコミどころが満載なのでとてもありがたいです。笑

女性性が豊かだとやっぱり「愛される」ということを求めるし、寂しいのは嫌いだし、つながりは必須だし、モノよりも精神的なものに安らぎを覚えるわけなので、そう思ってしまうのは無理もありません。

Yさんの葛藤というのは、後天的に身に着けた男性性(=自立)とその先天的であろう女性性の豊かさが対立しているから生まれるものです。

つまり、それくらい器がデカく、エネルギーもとても強い方ですね。

器がデカい人はその器でおぼれることがよくありまして、あるときは「愛されたいし、安心したいし、好きな人と一緒にいたい」と女性性が前に出てくるのですが、同時に男性性が「将来のことを考えると・・・」「愛なんて消えてしまうものだから・・・」と思考を動かします。

その4年付き合っている野良猫君との関係についても女性性と男性性が見事に対立しちゃってるわけですよね。

「好きだし、一緒にいたい、けれど、年上だし将来寂しい思いをする」という風に。

その葛藤は当然ながら10年付き合ってる表の彼に対しても言えることですね。

「素直で真面目で居心地はいいから頭で考えればこの人といれば幸せになれるんだろうと思うけど、けど、深いところでつながれないし、そもそもこの人だ!!とは思えないし」という風に。

男性性vs女性性という図式はかなり簡略化していますが、多くの方にとって葛藤を生むのはこの対立図が原因なのかもしれません。

そもそも「エネルギーが強い=器がデカい=女性性が豊か」という方は「男性性を鍛えまーす!!」と宣言すれば、ロックマンが足元にひれ伏すほどの男性性を育ててしまうものです。

>愛なんて消えてしまう。勉強や特技は裏切らない。だから後者をがんばる。裏切られるのが怖くて愛を出し惜しみしてしまう。そうすることで自分を守れると。。

この辺はとても象徴的なお話ですよね。
まさに「力こそ正義!」という戦場に生きる武闘派女子そのものだと思われます。

ちなみに、彼のことも、野良猫のことも選べない、迷う、右往左往してしまう、はっきりできない、どっちつかずで優柔不断、決断ができない、みたいな状況って私もよく伺うんですけど、

「まあ、女性性が豊かだからそうなっちゃうのもしょうがないよねー。あきらめな」

と一蹴することにしています。笑

だって、そうじゃね?

だから、そういう場合は「自分の心の中に深く深く潜っていきましょうねー」「同時に、自分自身を縛る鎖をほどいてどんどん自由になっていきましょうねー」という風に提案するものです。

で、いきなり話は飛ぶわけですが、

>母が厳しい家庭の末っ子として育ち、特に辛い過去を持っているわけではありません。でもなんだかいつも孤独です。そして私自身野良猫な気質がある気がします。

というところをもう少し見ていきましょうか。

辛い過去はないと感じるのは単に象徴的なできごとがないというだけで、辛くなかった(寂しくなかった)とは言えないわけです。

そもそも末っ子というのは寂しがり屋が多いものです。
だから、甘えん坊も多くなるわけです。

しかも、母が厳しいということはあんまり甘えさせてもらえなかったと思いますし、また、末っ子だからちょっと放置されてた分もあると思います。

だから、愛情に飢えている感覚があるのは無理もないですね。

一般論ですけれど、20歳以上も年上の彼を求めるのはやはり父性・母性に飢えているからと言えますから、よくうちのブログで出てくる「早く自立しすぎて子ども時代にちゃんと子どもができなかった」ということもあろうかと思います。

これはYさんだけでなく、多くの武闘派女子に当てはまる話で、何度も書いていると思うんですけど、大事な話なので何度も書いちゃうんですが、

「親が厳しい、あるいは、放任などの理由で早くに自立せざるを得なかった子は、子ども時代に十分子どもとしての愛情を受け取っていないので、愛情に飢えた心を持ちながら、早くに自立した分だけ幼少期より大人びた子どもになる。
それが“手のかからないいい子”になったり、“先を読んで動ける優等生”になったり、“自分のことは何でも自分でする子どもっぽくない子”になったりする。
そうして、外側は大人、内側は子どもの2面性を持つようになり、仕事上はむしろ成功しやすいが、パートナーシップなどの距離の近い関係性では満たされていない子どもの部分が露呈して自分自身もその部分に振り回されることになる。」

というわけです。ちょっと長いね。難しいね。頑張って読み下してください!笑

つまり、Yさんの中にはそんな2面性があるので、男も2人必要になるってことです。

表向きの彼氏は「大人の自立女子」としての私にとってふさわしい存在。
浮気相手の年上彼氏は「満たされてない子どもの私」にとって必要な存在。

で、器がデカいんだからしょうがないよねー。その辺のバランスを取るには「常識」とか「世間体」とかに縛られても意味がないからねー、どんどん「ありのままの自分」を感じていこうねー、という風に話を持って行くのが最近の私の流行です。

「ありのままの自分を感じる」というのは、あらゆるしがらみを脱出し、ただただ「自分でいる」ということを実感していくもので、これがいわゆる「女性性の解放」に当たるものです。

個人セッションでもただただ自分を感じる、自分を自由にする、という感覚を掴んでいただいて、そこで出てくるしがらみや観念(こうあるべき、こんなことしちゃだめ)をはぎ取りながら「自分自身を感じる」ということをやっていきます。

当然ながらそこに至れば「あたしってこんな女だったの?」とか「すっごく楽。そりゃ、日常生活がしんどいわ」みたいな感覚が得られて自然と笑えて来るんですけど(たいがいそこでクライアントさんはニコニコ、ニヤニヤしてるものでして)、その感覚をまずは体感することを目指します。

要するに、ダラーっと椅子に座り、脱力し、深呼吸し、自分が不快だと思うモノ(特に女性性の強い方は“束縛”を嫌いますね)をどんどん捨てていくイメージをしていくんです。

「これはいらない」と思ったものをただ捨て去る。
「これは窮屈」と感じたら外していく。
ただただ感じるままに、ただただ自分が好きなようにそこで振舞っていきます。

幸い神楽坂のセミナールームはそこで叫んでも奇声を上げても誰にも迷惑をかけないので自由に振舞える場所ですし、椅子に座るのが邪魔くさければそのまま床に寝転んでもらっても汚れないですから、自由に振舞っていただくわけですね。
(これはたぶん自宅でもできるので、自分なりにやってみてもいいと思います。)

そうして、「ああ、これがほんとうの私なんだー」という感覚を身をもって体感していただくと、日常のしがらみがどんどん抜けて行きます。

そうすると案外迷いがなくなるというか、「まあ、しょうがないわよねー。これがあたしなんだから」と自己肯定できるようになるので、何に悩んでいたか忘れてしまうものです。

そうして自分を解放しながら深く深く自分を掘り下げていくと、深い自分とつながることができますから、なぜか不思議な安心感がやってきます。

このセッションをしていると意外なほど「ただただ涙が出てくる。何の涙か分からないけれど」という方がいらっしゃって、そりゃあ、感受性も豊かだからねー、とお伝えするんですけど、それは「窮屈な洞窟の中に閉じ込められていた自分がお日様の元に解放された喜び」を表す涙なのかもしれません。

そうすると世間の常識とか周りの人の目とかが気にならなくなるので、「まあ、男が二人いるのもしょうがないかー」なんて思えるようになります。

で、1回セッション等でそんな自由を体感しても、日常に戻れば元に戻ってしまうんですけど、でも、1度体感したことは体で覚えているのですから、今度は日常に違和感を覚えるようになっていきます。

それで2度3度とこうしたセッションを繰り返す(あ、別に自宅でやってもらってもいいです)と、だんだんそっちが「通常」になってくるので、今度は現実の方が自分に合わせてくれるようになります。

それで男問題もおさまりがいい方向に向かっていくんですね。

Yさんと似たケースでは「やっぱり男2人は疲れるから1人に絞ることにした」とどちらかを切ることができたり、「しばらくはもっと自由に振舞いたい」と思って3人目の男が現れたり、「当分、男はいらんわー」と一旦一人に戻ったり、どんな変化が出てくるかは分かりません。

ただ、副作用と言いますか、「それまで猛烈に頑張っていた仕事や勉強への熱意が減少」「無理が利かなくなって上司から嫌味を言われる」「いろいろと制限が外れたせいで時間にルーズになり、かつ、体重が・・・(検閲削除)・・・」等の変化が訪れる方もいます。

その一方で、「部屋の断捨離がサクサク進む。ついでに人間関係も思い切り断捨離してすっきりした」「イヤなもんはイヤと素直に言えるようになった」「見える世界が色鮮やかになった」他、様々な変化も報告されております。

そうすると「ほんとうの私は何がしたいのか?どう生きたいのか?何が好きで何が嫌いなのか?」みたいなことも見えてくるので、ライフワークへの道筋も付けられるようになっていきます。

まあ、これが女性性の解放とかセクシャリティの解放と呼んでるプロセスの効能なのですね。

一方、その頃男性性はだいぶ鳴りを潜めるようになり、女性性をサポートする本来の形で役立つ存在になっていきます。

頑張りたいことについてはスイッチを入れれば頑張れるようになりますし、自分の感覚を実現するために思考を使えるようになりますし、その思考は以前よりもずっとクリアになっているのでストレスになりません。

というわけで、女性性の解放による効能と副作用についてご紹介する記事になってしまいました。笑

さて、Yさんの場合、

>愛すより愛される方が幸せになれると自分に言い聞かせてきたけど、本当は自分はもっと与えたい人なのかもしれないと思うようになりました。

という風に「愛するより愛される方が幸せ」と感じられるタイプじゃないことは明らかなので、やっぱり「愛する人を思い切り愛したい」方なんだろうと思われます。

愛したい人であり、与えたい人であり、すでにそれは多くの場面で発揮されてきてると思います。

そして、ここが肝心なのですが、「与えた分だけ受け取れる」ということを覚えておいてください。

これは自立系だとか、女性性が豊かだとか、戦地を駆け巡ってきたとかとは関係なく、「愛した分だけ愛を受け取れる」というのが心の法則なのですね。

だから「愛されること」ばかりを求めてもなかなかそれが手に入らないのは「愛していない」からですし、「愛を出し惜しみしているから」なのです。

そういう意味では「自分の感覚に素直に従って、与えたい愛を与えたいだけ与える」という意識を持ってみるといいでしょう。

こうしたら喜んでくれるかな?と思うことをやってみる。
これはちょっと嫌がられるかな?と思うことはやめてみる。
こうしてあげたら私もうれしいし、相手もうれしいだろうと思うことをやってみる。

それは女性性の感性に委ねつつ、男性性の思考を使って現実化させるとうまく行きます。
それは「勘が働く」というか「何となくわかる」という感じになるでしょう。

でも、愛を与えるとかいきなりうまくできるわけがないので、そこは試行錯誤しつつ経験を積んでいきます。

そうすると料理するときに調味料を目分量で調整できるのと同じように愛情もほど良く与えることができるようになります。

ま、経験は必要ってことですね。

なので、男性性vs女性性と対立させるのではなく、共に手を取り合いながら、協力していくことが目標になるんです。

とりあえず、自分自身を解放していくところから始めて見られると良いと思います。

◎女性性とセクシャリティを解放する3時間ワークショップ
 東京:8/28(土)13:00-16:00(キャンセル待ち)
 東京:8/29(日)13:00-16:00(キャンセル待ち)
 大阪:9/5(日)14:00-17:00(まもなく満席)
 オンライン:9/18(土)13:00-16:00(全然余裕っす)
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先天的な女性性の豊かさと後天的に身につけた男性性の対立
 


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