1/15 名古屋・心理学講座

ご参加くださった皆さんありがとうございました。
アンケートにて頂きましたご質問に回答させていただきます。
参加されていない方にもできるだけ分かりやすいようにさせて頂いているつもりですので、どうぞお時間のある時にお楽しみ下さい。

*心理学講座(名古屋)*
2005/1/15(Sat) 18:30~20:30
名駅・中小企業センター

テーマ『欲しいものを手に入れるには?』

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(10/17)自分が毒である観念

すっかり冬空な大阪です。
さわやかに気持ちよく、空気がとても美味しい。
いやー、素敵な季節です。

前回のミニコラムで「まだまだ半袖」と書いたんですが、その翌日から早速長袖を着始めました(弱っ)。
今度の休日には衣替えを本格化させる予定です。

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友人がやっているカフェまで足を伸ばして行ってきました。
少し遠いんですが、居心地がよく、そのつもりはないものの長居をしてしまいます。
住宅街の中にあるせいか、静かで、のんびりとした風情です。

しかも料理もパンもとても美味しい。
オーガニックで、手作りで、ベジタリアンで、というあまりに健康的な食事のため、ついつい反動で、自分を汚したくなるくらいです(笑)
よって、店の外に出て一服(当然、店内は禁煙のため)。
それもまた美味で・・・。

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ここ最近の流れは「罪悪感」。
その研究家を目指さん勢いで、いろんなタイプの罪悪感をお伺いしています。

その現れ方の一つに「自分は毒である」という観念があります。

自分が毒な存在だとしたら、自分の愛するもの、大切なものをどう扱うでしょうか?
自分の近くに置きますか?
それとも・・・。

そう、多くの場合、自分が大切にしたいものであればあるほど、自分からすごく遠くに置こうとします。
大好きなものを遠くに置くのは辛いものですが、そうして相手を守ろうとするんです。

ある人は、自分に近づけさせないようにします。
暴力や暴言を使う場合もあれば、わざと嫌われるような行動を取る場合もあります。
そして「僕(私)は穢れた存在だから、近くに来ちゃ駄目」と相手を遠ざけようとします。

または、コンプレックスを使う場合もあります。
「私の体はとても醜いからきっとあなたを苦しめてしまう。だから、近づかないで」という風に。

特にこうしたコンプレックスはセクシャリティと繋がり、口、胸、性器、体毛などへの嫌悪感(コンプレックス)として表に出てきます。

これが相手に対して拒絶する態度として出てくる場合はまだ分かりやすいんですが、無意識の中に入ってしまうと逆の形で出てくることもあります。

つまりは、自分ではなく、相手に暴言、暴力を使わせる、コンプレックスを刺激させるなどして、自分から相手を遠ざけようとするんです。
これはちょっと理解が難しいですね。

自分に近づけさせない他は、逃げ出そうとするパターンもあります。
これは理解しやすいかもしれません。
「自分は毒な男だから、あなたを愛する資格なんてない」と相手のもとを去るんです。
で、いつも孤独感を抱え、自分を傷つけてしまうんですね。

また、罪悪感があると自分を愛させないように持っていくこともあります。
相手を選ぶ際に、自分を愛せなさそうな人を好きになってしまうんです。
典型的なものは不倫
相手には帰る家があるとすれば、自分を愛させることを制限させてしまいますね。
他にも、暴力、借金などの問題がある相手を選んでしまう場合には、自分が毒である観念が影響している場合も少なくありません。

そして、それがパートナーシップの問題として出てくるときには、お互いに同時にその観念を使って、相手から遠ざかろうとしてる・・・という見方もできます。
私も彼も、お互いに自分が「毒である」と思っていて、相手を守るために、同時に距離を置く(問題を作る)んですね。
私は自分のことをすごく嫌い、彼も自分自身を嫌っているケースがあります。
そうすると自分をひどく扱う一方で、パートナーを大切にしようと犠牲してしまうんですね。
その結果、癒着してしまい、共依存の問題として浮かび上がります。

こういう罪悪感からくる毒の観念は根深く、自分自身ではもう当たり前のようになっていることも少なくありません。
だから、なかなか気づけないことも多いんですよね。

そういう場合は、その観念を手放すために、その毒を浄化させるようなセラピーを使っていきます。
「アク抜きしましょうね~」なんて言いながらセラピーを始めていきます。
すぐには拭い去れないものの、徐々に緩和されていくことが多いですね。
そして、面白いなあ~と思うんですが、自分のその観念が浄化されていくと、今度は自分自身が人を浄化できるような(癒してあげられるような)アプローチが可能になっていくんです。
つまりは、自分のアクを抜いていくと、パートナーのその観念も癒してあげられるわけです。

改めて、人ってすごいなあ・・・と思うんです。

(9/24)呼び方と関係性

随分と涼しくなりました・・・
夜は窓を開けてるだけで、いい気分になれます。
秋の夜長は・・・といわれるだけあって、最近夜更かし気味なんですよねー。

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カウンセリングをしているとその言葉遣いやトーンなどから関係性や感情などが分かることが多いんです。
特にパートナーシップの力関係などは呼び方である程度想像が付いたりするから不思議です。

ここで言う呼び方とは、彼のことを人に話す場合、ということです。

一般的には恋人のことを人に話すときは「彼氏」「彼」「彼女」という呼び方をすることが多いですね。
また、ご主人が奥さんのことを話す際は「妻」「家内」「奥さん」「嫁さん」、逆に奥さんがご主人の場合は「主人」「旦那さん」「夫」などと表現することが多いと思います。

1.あの子

彼や彼女を「あの子」と呼ぶ方は、相手を下に見ていることが多いようです。
実際に年下だったり、年上でも弱いタイプのパートナーだと、ついつい「あの子」と呼んでしまいます。

これは問題が起きやすい状態でもありますから、実際に彼氏、彼女をこう呼んでしまってる方は注意が必要かもしれません。

2.あの人

恋人の場合は、少し相手に距離を感じてるようですね。
ちょっと遠い目で言ってるような素振りに見えたりします。
不倫関係には多いですね

また、夫婦の場合も、少し距離を感じていたり、不満や怒りをもっていると、こんな風に表現したくなります。

どちらにせよ、心理的な距離があるように思いますので、相手への気持ちや関係性をもう一度見つめなおしてみると良いでしょう。

3.うちの旦那

不満や怒りを溜めていて、ご主人を少し低く見ていると、こんな呼び方になることが多いようです。
この場合は、自分の気持ちを素直に見ていくことも大切だと思います。

ただ、長年連れ添ってイコールパートナーになっても、ニュアンス(トーン)を変えて、親しみを込めてこう表現する場合もあります。

4.あいつ

親しみが込められてます。
少し恥ずかしがり屋さんがこの表現を使うような気がします。

また、3と同様、怒りや不満を感じてるときにも出やすい表現です。

5.苗字で呼ぶ(例:根本さん、根本君)

パートナーを人前で苗字で呼ぶということは・・・あまり関係が深くなってない、あるいは、心理的な距離がまだまだ空いているときに多いようです。

6.名前で呼ぶ(例:裕幸さん、裕幸くん)

名前で呼ぶのは5に比べると親しみはアップしていますけど、少しかしこまった関係であることを想像させます。

7.呼び捨て、あるいはニックネームで呼ぶ(例:裕幸)

人前で呼び捨てで呼ぶ場合は、相手を低く見ていることが多いです。
親が子供を表現をする時のような印象を与えます。

但し、友人や家族など、身近な人に対して名前で呼ぶ場合はこれの限りではありません。

・・・とまあ、これが全てとは思わないですし、必ずしも真ではないと思いますが、皆さんが友達の話を聞く際の参考になれば幸いです。

因みにうちら夫婦は、僕が「妻」あるいは「奥さん」、妻は「夫」または「主人」と呼ぶことが多いです。

(3/13)ファンタジーと現実社会

家を留守にするとき、ショコラ(パピヨン、牝2歳)の目線が痛い今日この頃です・・・。

ちょっと首をかしげて「え?どこか行くの?あたしを置いてくの?」と語りかける様は、何とも罪悪感を刺激されるもので・・・。
妻も定宿の山本家でも、この視線に随分とやられてたそうです・・・。

こうして仕事をしているときも、時折、こちらを見ながら「まだ、仕事してるん?遊んでくれへんの?」と眠たそうな目で訴えてきす。

こいつはいつしか「鏡の原理」を学んだようで、テレビや窓ガラスに映る僕の姿を観察しているようです。
「いつも監視されてるみたい・・・」という妻の言葉に嘘はありません。
眠っているとき以外は常に「今か、今か」と観察されてますからねえ・・・(笑)

罪悪感と向き合ういいレッスンになってます・・・。

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さてさて、辛い時代が続くと、僕達は自然と空想(ファンタジー)の世界で遊ぶようになります。
現実社会が辛いから、ファンタジーに救いや楽しみを求める心理です。

ただ、それでも現実社会ときちんと区別が付いていて、適応できている場合は問題にはならないのですが、時に、そこが乖離してしまって、まったくのパラレルワールドのように二つの世界が存在してしまう場合もあります。

こうすると、どこかのオタク達をイメージされるかもしれないのですが、実際は、僕達のすぐ身近に存在していたりするものです。
恋愛でも、仕事でも、趣味でも。
もっと具体的に言えば、夫婦の間でも「セックスレスなのに旦那はいつもエッチなサイトやビデオばかり見ている」というのもそうですし、「この人が運命の人なの・・・」と強烈に惹かれあって不倫をしてしまうのも、同じことと言える場合が少なくありません。

現実というのは、往々にして辛いものがあるので、僕達は何らかの手段でそこから逃避したくなります。
それがいいとか悪いとか言うわけではなく、場合によっては防衛本能によるものだってあるんですが、ただ、そのファンタジーの世界と現実の世界が乖離してしまうと色々な問題が起きてきます。
典型的なのが「話が合わない」「誰といても楽しくない」「自分は他の人とは違うって強く思う」といった感覚ですね。

そうして、社会との繋がりが切れてしまうんですよね。

自分の心の中にはバリとハワイとタヒチを足したようなパラダイスがあるとしたら、それをどう現実の社会に「生かすか?」というのがその人のテーマになります。

ファンタジーの中では、素敵な男性とめぐり合い、素敵な恋をしているとしたら、それを現実社会で、どう「実現させるか?」というのがテーマになるわけです。

たぶん、コンマ3秒くらいで「無理!無理!無理!」と決め付けてしまいそうですが・・・。

でも、それは不可能なことではありません。
現実社会が痛すぎて、ファンタジーの世界に行くとすれば、ファンタジーの世界で得た感覚を、現実社会に適合させていくことは不可能ではないはずです。

でも、そこにはきっと、社会との間になんらか見えない壁を感じていらっしゃるんじゃないでしょうか。
過去の痛み、トラウマ、辛い気持ち、寂しさ、ハートブレイク等々・・・。
あるいは、人の顔色を伺っている自分、人の意見に左右されてしまう自分、自分の意志をもてない自分などのコンプレックスがあるのかもしれません。

ならば、あなたにとっては、そんな自分を受け入れていくことが大きな一歩になるのかもしれません。
痛みを受け入れ、ファンタジーを必要としてしまうことに気づくだけで、その二つの世界は細い糸で繋がれます。

痛みをそのまま、ありのままに受け入れていくことで、更にその糸を太く紡ぐこともできるでしょう。

逃げ込まずに、現実社会を見つめる勇気がまずはその一歩になりますね。