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本来の自分はカリスマ性があってとても魅力的。でも、そんな自分になったら困ることがある。そしたら、そんな部分を隠せるように、遠慮した人生を送ろう・・・。
もしかしたら、そんな計算を潜在意識はしているのかもしれません。
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社内で不倫。3ヶ月前に振られました。
彼は、何事もなかったようにスマートに仕事をこなし、同僚と談笑し、保育園の行事だからと有休を取ります。独身の私はその全てが気に障り、寂しさから常にイライラ‥。彼に嫌味を言ってしまい、悍ましい顔をしている自分がとても惨めに思えてきます。
その反面、彼の出社時間に合わせたりする自分もいて、まだ好きな気持ちも自覚しています。
今できることをしよう!と、お恨み帳やアファメーションしたり、出会いの場にも出かけ、ヨガや買い物、バーに行って気分を上げようと試みるのですが、結局何をしても好きな人と一緒にいる幸せよりも劣っているような虚しさがあります。
思えば、彼だけでなく、常々他人の人生に嫉妬し不貞腐れ、自分の世界にこもってしまう私です。
毎朝、目覚めることが憂鬱で、自分の人生について本気で考えられないなんて、情けないなと思いながらも、こんな自分も受け入れないと!と思うから、こうして言葉にすることにも抵抗があります。(新刊の発売待っています!)
執着グズグズのどうしようもない私に、優しいムチをお願いします。
(Kさん)
優しいムチというのは鎖や革張りよりも、真綿とか筆の方が良いということですかね?
そういうプレイの方がお好みなんですね(笑)
売ってるかなあ・・・。
同じ職場での恋愛。しかも、不倫。さらには失恋。
ドMな恋愛至上主義者にとって垂涎物の環境でございますね。
傷口にレモンと唐辛子と塩を塗り込むようなもので、相当なMプレイを楽しんでいらっしゃるみたいですけどねー。
>結局何をしても好きな人と一緒にいる幸せよりも劣っているような虚しさがあります。
たぶん、Kさんの気持ちに共感されるドM系武闘派女子もたくさんいらっしゃると思うのですが、この気持ちには若干、補足が必要なんですよね。
「好きな人と一緒にいる」というのは、社内恋愛であればある程度叶っているわけです。
何事もなかったようにスマートに仕事している彼を眺められるわけですし、同じ空間にいられるわけですから。
だから、たぶん、ほんとうに欲しいのはそれじゃないんですな。
「好きな人を独り占めしたい」とか「好きな人が私だけを愛してくれる」とか、その辺がお望みなんじゃないでしょうか?
だから、一番望むべくは、好きな人と両想い(←死語??)になって、お付き合いして、それで一日一緒にいられること、なんじゃないかと思うんですよ。
私も彼のことが大好きで、彼も私のことが大好きで。
もちろん、彼も独身が良いわけですよね。
その状況が一番望ましいのに、なんか遠慮があるんです。
私にはそんな境遇は似合わない!相応しくない!と思っているのかもしれず、一番望む状態から「彼も独身」という部分だけでなく、さらに「彼が私だけを見てくれる」を引き算しちゃうわけです。
つまり、大好きなショートケーキに乗ってるイチゴを誰かにあげ、残った部分の半分くらいも「あたしいいからあげる」とやっちゃうようなものです。
「これくらいが私にはちょうどいいの」となぜか感じているみたい。
なぜ?
どうして?
・・・となると、たくさんの自己嫌悪や罪悪感や無価値感が出てくるのかもしれません。
これもなぜか恋がドMになっちゃう理由ですね。
だから、その辺をちゃんとケアしてあげようよ、自分を大事にしてあげようよ、という話になるのです。
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なかなか自覚することは難しいのですが、恋愛至上主義者って「恋してる私」でいることが何よりも目的になります。
が、当然、恋にはドラマが付き物です。
そうすると、ふつうに両想い(←死語??)になって幸せなパートナーシップを築く、というのはやはり飽きちゃうのかもしれません。
だから、「既婚者」「彼は私を一番にしない」という演出をかますわけですね。
もちろん、そんな自覚はないかもしれません。
人によってはさらに「彼は別の子に手を出している」とか「体だけはきちんと求めてくる」などの演出を付ける人もいらっしゃいますね。
それで「むきーっ!」「ふぎゃーっ!」「きーーーっ!」となったり、「あたし、何してるんだろう・・・。むなしい・・・」と三角座りで天井を眺めたりってことが「恋の醍醐味よね~♪」と感じちゃうんです。
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Kさんのような恋をしていると、結ばれることやお付き合いすることが目的となってしまいます。
セッションなどではそこで「その先」に意識を向けてみることをお勧めするんです。
まず、一番欲しいものを明確にイメージします。
「大好きな彼が私のことを一番に愛してくれていて、いつも一緒にいること」
そして、その彼とどんな恋愛をするのか?どんな結婚をするのか?に意識を向けます。
そうするとね、今がうまく行ってない人は「虚しさ」とか「寂しさ」がそこで出てくるんです。
「どうせ、そんなことを思ったって叶いっこないし」とかね。
先ほどの無価値感やら罪悪感やら自己嫌悪が出てくるわけです。
そこで、そっちの意識に取られるんじゃなくて、こんな生活がしたいんだ!ということをより具体化していきます。
ワクワクする、というのがポイントっすね。
いいなあ、こんな生活がいいなあ、と。
そして、そんな彼と楽しんでいる「自分」をイメージします。
その時自分はどんな表情をしているんだろう?
幸せいっぱいの顔ってどんなだろう?
そして、「この笑顔が自分には相応しい」「こんな幸せな顔に自分をしてあげたい」という風に思ってみます。
苦しい恋は自分には似合わない。
こんな幸せな表情こそ、自分には相応しいんだ。
という気持ちを作っていくのです。
これが大事なことですね。
もし、そこで「こんな笑顔は私には似合わないし、相応しくない」という思いが出てくるとするならば、それこそが今の状況を創っている感情なわけです。
自分を苦しめたい。
自分なんて幸せになるべきでない。
自分なんてしんどい恋こそが相応しい。
自分のことを恨み、嫌い、攻撃し、否定している自分です。
そして、それが「イチゴあげるよ。半分食べる?」とケーキを差し出す「遠慮しぃな自分」を作ります。
罪悪感があると自分にスポットライトを当てさせないようにします。
人生に対して遠慮が生まれ、こっそり隠れて生きようとします。
もし、そういう生き方が似合っているならば、それで幸せになれます。
しかし、そこで苦しい、虚しい恋をしてしまうのであれば、それは自分に似合ってないということです。
話が飛ぶように見えて実は本質的なところなのですが、そういうKさんは「表に立つ」タイプであり、カリスマ性があり、セクシャリティがとても豊かな魅力的な女性である、ということです。
そうした光の部分(=本来の自分)を隠すために、今の恋を“使っている”わけですね。
苦しい恋をしてないと、輝いちゃうから。それが眩しすぎるから。
本来はとてもカリスマ性があって周りの人からモテモテになっちゃうから。
なので、一歩前に出て賞賛を受け取り、みんなから祝福されることを自分に許すことが必要なのです。
だから、Kさんにおすすめしたいのは「派手婚」。
200人くらい人を呼んで、ゴンドラで登場し、大きなひな壇に座り、200人から「おめでとう!!」って言われる結婚式。
「それだけの価値があるってことをどこかで知っているけれど、それを受け取れないから、今みたいな苦しい恋を選んでる」ということなんです。
人生に対して、自分の幸せに対して「遠慮をやめよう」と思うことこそが、今のテーマかもしれませんね~
〇ショートケーキを「おいしい!うれしい!」と言いながら丸ごとほお張りたい皆さんへ。
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東京:5/25(土)11:00-18:00
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〇幸せな人生をつい遠慮しちゃう皆さんにおすすめです。
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6/23,24 軽井沢プレミアム・リトリートセミナー
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