名古屋・円頓寺商店街にて過ごした雨と運のいい夕べ。



最近名古屋に来るときは雨が降ってることが多いように思う。この日も朝起きて窓の外を見るとすでに雨が降っていて、楽しみにしていた名古屋街中ジョギングはホテル内のジムに行き先を変更することとなった。

ふだん傘を持ち歩かないのでコンビニでビニール傘を買い、個人セッションの会場に向かった。なぜか名古屋以外の方々ばかりとのセッションをしている間も雨は降り続き、会場を後にしたときもまだ雨はやみそうもなかった。

歩いて10分もかからないところに円頓寺商店街があった。思ったよりも近く、強めの雨でもあまり濡れることはない。

さっきまでビニール傘から響いていた鈍い音がアーケードに入ると少し鋭い、甲高い音に変わった。約束の時間にはまだ早いが、ここならば古びた喫茶店でもあるだろうから時間を潰せると思ってきた。

都心に近い場所にあるにも関わらず、このひなびた感じが素敵だ。おそらく地方ならばとっくにシャッター商店街になっているに違いないが、人口の多い名古屋ではこの雰囲気でもちゃんと生きている。それどころか、この空気感を気に入った若い人たちがどんどん新しい店を出していると聞く。まことに素晴らしい。

最近では高級な割烹や寿司屋に出入りする私も、ホームグラウンドはこうした下町風情の残る空間である。だからなのか、この商店街を歩いているときは高級店の暖簾を潜るときと同じくらいの興奮を覚えるものだ。

喫茶店を探している私の目に看過できない建物が目に飛び込んできた。
待ち合わせとなっている店は「とんやき」の店で、魚介はない。時間はあと30分ほどある。
ふらっと立呑屋に入り、刺身なり、おでんなり、つまみを口にするにはまこと頃合いの時間である。

喫茶店から行き先を変更して少々の葛藤を抱きつつ、店に入る。
明らかに酒屋が出している立呑屋である。旨い日本酒があるに決まっている。しかし、この時点で日本酒に手を出してしまうと、このあとの予定がどうでもよくなりかねない。

せんべろセット。おでんとつまみとビールで千円。
これで満たそうと思う私の目になぜか「直接仕入れたマグロがおすすめ」とか「夏酒」をアピールする張り紙が飛び込んでくる。
すると私の脳には「今日も頑張ったよな。一杯くらいええんちゃう?」という、悪魔なのか天使なのか聞き分けのつかない声が響いてきた。

「司牡丹の特純と中落ちください」

口が勝手に喋りだしたのだから仕方がない。ビールの後に補償行為のように頼んだ烏龍茶をチェイサーにすっきりとした口当たりの酒を流し込む。
加齢なのかなんなのか日本酒がだんだん堪えるようになって、このところはここぞ!というときにしか飲まないようにしている。
一軒目の立呑屋がここぞ!なのかは微妙だが、酒屋が出す酒に間違いはないのである。
幸福感を覚えながら、テレビのニュース番組を眺めているとあっという間に30分が過ぎていた。

立ち飲み屋から歩いて1,2分のところに連れが佇んでいたのは、まだ店が開いていないからだった。
平日の夕方。雨。そんな条件下でも常連と思しき普段着の方々が暖簾が掛かるのを待っている。これもまた大衆酒場には付き物の光景なのである。

名古屋では「とんやき」と言う。東京では「やきとん」であろう。
豚モツを焼き鳥のように串に刺して供するスタイルである。
牛肉文化の関西にはもちろんないものである(最近は東京の影響で増えているが)。

鍋でぐつぐつ煮えている名古屋名物・みそおでんは自分で好きなものを取るシステムである。そればかりか、生ビールとレモンチューハイ以外は飲み物も冷蔵庫から自分でとってくる。個人的に好きなものを飲みたい私はこのスタイルが大好きである。

冷蔵庫から赤星を手に取る。おでんはすじと卵とこんにゃく。
味噌味だけど見た目よりもずっとあっさりしているおでんを肴にビールを流し込む。
すっかり断酒生活を楽しんでいる連れはノンアルコールビールだ。

この瞬間はほんとうに幸せだ。
ホッと一息ついて壁のメニューを眺める。

知っているようで知らない単語が並ぶ。
やきとんの店でいつも頼むカシラがない。呼び方が違うのだろうか?それがとんやきなんだろうか?ちくわってなんだ?このラインナップであの竹輪はないだろう。こみちは?色々と疑問符が付く。

そういえば広島のホルモン屋に入ったとき、その呼び方が大阪と全然違って戸惑いながらも楽しかったことを思い出す。
こうしたB級グルメには未だ、その地域の文化が根付いている。その瞬間が自分が来訪者であることを実感して嬉しくなるのだ。

焼き台の前に陣取ったのはそういうときのためだ。こういう時は思い切り出張族を気取ってみる。

「ちくわ、とか、こみちってなんですのん?」

ちくわ、は血管。こみち、は、子宮。ああ、そうか、シロをそう呼ぶのか。

いくつかオーダーし、串に刺さったきゅうりの浅漬けをかじりながらとりとめもない話をする。

目の前のタレ台に焼きあがった「とんやき」が並べられる。
この食べ方も初めてだ。なんと便利な。

このタレがなみなみと注がれた皿の下にはガス台があって弱火でいつも温められている。
そんな陶器の皿を直火で温めるなんて、やはり瀬戸や常滑の街が近いからだろうか?

行き違いで遅れていたもう一人の連れと合流し、河岸を変える。

元々「餃子とどて焼きが食いてえなー」と連れにリクエストして実現したコースである。次は当然、餃子である。

既に3軒目でお腹もそれなりに膨れていた私はウーロン茶に切り替える。

博多の一口餃子を思い出すサイズで、これならばナンボでも食えてしまう。

雨はまた強さを増したようでビニール製の庇は小気味良い音を立て続けている。

アーケードの下にこうした飲み屋が点在していると、雨が降っても全然気持ちに余裕が生まれる。
つい「天満にも屋根があったらなあ」と思ってしまう。ハシゴ酒をするには格好の街も、雨が降ると傘を差しての移動が増えるので、途中で移動が億劫になってきてしまうのだ。

もう食い物は十分。連れの一人が「いいカフェあります」と言うのでついていく。
珈琲がメインだが、酒も置いている、食事もある、そして、薄暗い、いい雰囲気の店であった。
それならばとアイリッシュコーヒーを頂き、時間までまったりと過ごす。
ここもまたふーっと一息つくにはとてもいい場所であった。

この日は円頓寺に来てからずっと心地よい場所を転々としている。気の置けない連れと共に過ごし、運のよい1日であった。

そろそろ大阪に戻る時間である。
幸い、その店の近くには地下街が伸びて来ていて雨に濡れずに名駅まで行ける。

無事、新幹線に乗り込み、何をするわけでもなくぼーっと車窓を眺めていると雨雲がだんだん切れて来た。たぶん、大阪では傘は不要だろう。
すると車内放送で静岡県内大雨のため後続の新幹線がストップしていることを知る。
やはりまことに運のよい1日であった。


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