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辛い幼少期を過ごしてくると痛みがまだまだ強すぎて愛が感じられないこともあります。
しかし、今現在も愛はそこにあるんです。そういう目線で見つめ直してみると人生が変わり始めます。
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リクエストを頂きました!ありがとうございます。
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根本裕幸様
はじめまして。
最近、根本さんのブログを見つけ、悩める人の気持ちに配慮された的確なアドバイスに励まされ助けられ、とても感謝しています。
怠け者の私が想像するに、ご自分の時間など、ほとんど無いほどに費やし、また、得られた知識などを出し惜しみせずに惜し気もなく与える精神の源はどこから来るのでしょうか?
やはり基盤は(愛)でしょうか?
そこで質問なのですが、私は、(愛)の表し方がよくわかりません。
生まれ育つ過程で誰からも可愛がられた経験がなくって、感じたことが無いです。
家庭では、意見を言うことがあると口答えとして父親からDVで息をころしていましたし、小さい時、外で母親といる時に保険のセールスマンか誰かに声をかけられた時に、控えめな母親が私をそっと自分の背中の後ろに押して 恥ずかしい と言ったことで私には 恥ずかしい が定着したのかも知れません。
今、自分の気持ちを置いてきぼりにして来たことを自分に謝りましたし、認めて褒める作業もしてはいますが、良い気分は持続しません。
愛を具体的に知らない人間は、愛を学ぶのに人一倍時間がかかるのでしょうか?
ちなみに、私は自分の娘の理解者になれなくて、娘は、成人した今も苦しんで幽霊のようになって徘徊していて家に帰れなくなっています。
アドバイスも返って不安定にさせてしまうので何も言うことができません。
今は、私にできることは、自分を癒し浄めて 愛を身につけることかなって思っています。
私にできることは、何かあるでしょうか?
(N)
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リクエストありがとうございます。
幼少期のDVや、恥ずかしい私、という思いがあると、どうしてもその痛みが邪魔をして、愛を感じたり、表現することを拒むものですね。
そこには隠れた怒りがあったり、まだまだ生々しい傷があったりして、「愛」を信じる準備が出来ていないこともあります。
ただ、愛を感じられないだけでNさんの中にもちゃんと愛はあるんです。
娘さんに対し、「不安定にさせてしまうので何も言うことができません」というのも愛だと言われたらどうでしょう?
娘さんの苦しみを感じ、理解者になれないことを責めている裏には、娘さんへの愛があることにお気づきでしょうか?
また、今回敢えて冒頭の文章をカットせずに載せています。
それは私への気遣いや配慮のメッセージにNさんの思いや愛を感じるからです。
これだけ丁寧に人に配慮できることの素晴らしさに気付いて頂けたら嬉しいです。
愛が無いのではなく、感じられないだけ。
これが愛であることに気付けないだけ。
そんな状態なのかもしれません。
愛を具体的に知らないと、それが愛であることに気付くのに時間がかかるかもしれません。
しかし、その一方で、愛の感度がとても高いというメリットもあるんです。
Nさんは人のちょっとした優しさや思いやりに気付き、感謝し、感激するところってありませんか?
幼少期から自分のことを邪魔者のように扱ってきたとしたら、居場所らしきものを少しでも感じたら喜びになりませんか?
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こんな方がいます。
冷たい家族の中で幼少期からずーっと一人でご飯を食べてきた女性がいます。
高校を卒業してすぐに就職して家を出て一人暮らしを始めます。
そして、1回目の結婚もうまく行かず、離婚に至ります。
その結婚生活の中でも彼女は1人でご飯を食べていたそうです。
その彼女があるとき、彼氏とその友人と4人で鍋を囲むことがあったんです。
バカな話をして盛り上がって、みんなで鍋を突き合っているうちに彼女はポロポロと泣き出してしまいました。
「誰かとご飯を食べられることがすごく嬉しくて」
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Nさんもおそらくそんな愛の感度の高さを持っているかと思います。
そして、今までも少なからずそのような経験をされてきてるのではないでしょうか。
Nさんに今、できること。
あのひどい両親の中に愛を見付けることはできるでしょうか。彼らなりの愛し方、見付けられるでしょうか。
両親以外でNさんに優しくしてくれた人、愛情を示してくれた人、誰かいませんか?
その人たちを思い出して感謝の思いを伝える時間を毎日作ってみてください。
また、Nさんが誰かのためにしたこと、何かありませんか?
ささいなことで構いません。失敗しても、受け取ってもらえなくても構いません。
誰かのためにしてあげたこと、探してみてください。
今、Nさんの中にちゃんと愛があります。
その前提で自分自身を、ご家族を、周りの人たちを見つめてみてください。
それだけでも少しずつ人生が良い方向に変わっていくでしょう。
そして、Nさん自身がその変化を体験されたとするならば、不思議なことに娘さんもまた変化し始めるでしょう。