*
罪悪感があると癒着が生まれ、お互いを束縛し始めます。
しかし、その奥には「愛」があり、それゆえに罪悪感が生まれるのです。
そして、その愛は自分の自由を捨ててもいい、という覚悟さえ与えるのです。
*
この週末は大阪でヒーリングワーク・アドバンスを盟友(という名の飲み友達)浅野くんと担当していました。
彼のセッションも非常に丁寧かつ深いところを扱っていましたが、トレーナーが2人いても流れは同じようなところに向かうものですね。
お互いよく似たセッションをしていました。
そういえば、文章も良く似ていると人に言われますし、見方は同じかもしれません。
でも、体型は違いますっ!(ははは(笑))
そんなセミナーの中で深いテーマがいくつも出てきました。
表面的には“癒着”の問題。家との。母親との。
よくあるテーマと言ってしまえばその通りです。
なぜ、そんな関係が成り立ってしまうんだろう?とい観点から掘り下げていきます。
どうして、大人になってもまだ母親との癒着が切れないのだろう?とも思います。
癒着は「罪悪感」が作ります。
どんな罪悪感があるのだろう??
・自分がもっと優秀だったらお母さんを困らせないのに。
・自分にもっと力があったらお母さんを楽にさせてあげるのに。
・自分がもっと仕事ができる人だったら、お母さん(や家族)を苦労させないのに。
そんな罪悪感がありました。
ふだんは意識しない、潜在意識の奥の方に。
だから、そこではお母さんに「ごめんなさい」なんです。
優秀じゃなくてごめんなさい。
力が無くてごめんなさい。
仕事ができなくてごめんなさい。
でも、それだけの思いを作るもの・・・・それは「愛」ですよね。
お母さんへの愛。
愛が大きいから、罪悪感もまた大きくなってしまうのです。
それくらい愛してるから、幸せにしてあげられない自分を責めてしまうのです。
「お母さん、ごめんなさい」
「お母さん、大好きです」
「お母さん・・・、私、役に立ちましたか?」
「お母さんの娘で、良かったですか?」
そんな思いがずーっと心の奥底に眠っているのです。
それくらいお母さんのことを愛していることを知ると、あることに気付きます。
自分が好きなことをするよりも、
自分が自由になることよりも、
自分が幸せになることよりも、もっと大切なもの。
だから、今、束縛されていることを選んでいるのかもしれません。
今の不自由さ、今の苦しさが、お母さんへの愛から生まれていることに気が付けば、それを手放すことができます。
お母さんへの愛を表現する方法はいくらでもありますから。
※このケースでは「母」でしたが、「父」はもちろん、夫婦、子ども、会社、上司等、何に対しても同じことが言えます。