「気(持ち)」の流れ



「気」といっても気功とか「氣」とかそういう話じゃありません。

とても小さいことなんだけど、僕達は気持ちの流れに従ってるんだな、と感じさせられることがありました。
頭では分かっていても気持ちが向いてしまったらどうしようもない、そういうことってたくさん思い当たると思うのです。


僕は以前からよしもとばななさんの本が大好きだったんですが、ここ1年?半年?くらいは全然読む気がしなかったんです。
意識外というか、お勧めの本ありますか?と言われれば挙げるけれど、かといって読み返したりするほどではないという程度の。

でも、ふとしたきっかけで、また読みたくなったんです。
数ヶ月前、女性性に意識を向けなくちゃ、と思って、ばななさんの本を読めば良いと(頭では)思ったときもありました。
でも、実際はなかなか手に取れない、読み進められない、身が入らなかったんです。

そういう“本”というジャンルを見るだけでも、自分が心の動きに従ってしまってることが分かってしまいます。

また、ちょっと前から色々とまた学びたい気持ちが出てきたんですね。
新しいことに目を向けたいなあ・・・と。
それで本棚を見てみたら、昔買って途中で断念したものや、気合満点で購入したのに全然読んでなかった本が出てきました。
今までも当たり前にあったはずなのに目に入らなかったのかもしれません。

それも僕の中では自然な変化なのが不思議です。
頭では常に新しいことを学び、成長したいと“考えて”いるんです。
でも、そこに心が伴わないと形骸化してしまって、身に付かないんですよね。
“こなし仕事”ってのはこの辺からやってくるのかもしれません。

こういう部分は僕の仕事にも通じるところが大いにあって(というか、そのまま通じてしまうんだけど)、例えば、「不倫してます」とか「浮気しちゃいました」とか、そういう相談も多いんですよね。
頭では「いけないこと」って分かってるけど、気持ちは止まらない。
(むしろ、そういうジャンルは分かってる分、止めにくいものです)

だから「あんた、そんなことしちゃダメじゃないの」と言っても意味がないんです。
それでやめられるんなら、とっくにやめられてます。
(もちろん、誰かに止めて欲しいと望んでる場合もありますけれど)

僕も長年ずーっとタバコ吸ってました。
やめられたらいいのに・・・って心のどこかで思ってたんだけど、なかなかやめられなかったんですね。
そこで「体に悪いって分かってるんだからやめなよ」って言われたって無理です。
心が伴わなかったら。

僕のタバコとの付き合いは、やめよう!と半年くらい前から企画して、カウントダウンをして、心を手懐けながらその日を迎えました。

そうして心が納得して、伴ってくると不思議な変化が現れてきます。
“出会い”が現れます。

人や本、物事、ニュース、色んなものとの出会いが生まれます。

よしもとばななさんの本をまた手に取ろうと思ったのは、ある友人が「面白いから読んでみなよ」って進めてくれたからです。
で、とてものめりこんで夢中で読んでしまい、嫁にも「絶対面白いから!」と勧めました。
その時「心のどこかではこれを求めていたんだなあ・・・」と気付いたんです。
思い切り“後付け”ですけど。

ふとした出会いは偶然を装って、でも、とても意味深にやってきます。
友人にお勧めされても、必要が無いときにはその本を読むことはないと思いますし、また、お勧めされる事自体がなかったのかもしれません。

そんな風に僕らもバイオリズムというか、そういうものにある程度支配されてしまうものかもしれません。
どうしようもない流れはやはり存在すると思うんです。
それを良きに計らうも、悪しきに採るのも自分しだいです。

流れというものを僕はとても大事にするんですが、それを強引に変えようとしても、コントロールして自分の思い通りにしようとしても、それはある意味虚しい努力なのかもしれません。

準備ができれば自然とやってきます。
時を待つのも大きな学びです・・・。

自分が意図しなくても勝手にプロセスはやってきて、進んでいくもの。
任せておけば大丈夫!(←これを「自分を信頼する」とか「自信」とか言うのかもしれない。)

そう思えば、少し執着が手放せるような気がします・・・。

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