ずっと心の中にある「孤独感」が示す才能はリーダーシップであり、カリスマ性であったという話~隠れた才能を引っ張り出すにはその才能を使わなきゃいけない場を作ればいい~



ザ・リトリートセミナー開催中につき特別編でお届けしております!


リトリートセミナーも2日目になりますと参加者の皆さん同士のつながりもどんどん生まれてきて休憩時間やランチタイムはなかなかにぎやかな女子の集いになっていくものです。1日前に出会った人たちとこんなにも早く距離が縮まるのも「同志」という暗黙の絆があるからでしょうか。
こうした機会から一生の友人が生まれることもあるんですよね。かつての私もそうでしたし。

さて、3日間の2日目なのですが、2日間参加の方もけっこういらっしゃるので最終日の雰囲気を少し醸し出しながらセッションは進んでいきます。
紛うことなき自立系武闘派女子のセッションが続いていくのですが、リトリートセミナーは才能を見つけ開花させるという特色があって、それがまさに体現されるセッションもありました。

「ずっと孤独だった」というシェアから始まったプロセスを深掘りしていきます。
ただ、この「孤独」という問題を本当に抱えている方というのは周りから見れば全然孤独に見えないという特徴があるものです。
「怒り」が問題の人は「穏やかで、あまり怒らない人」であり、「悲しみ」を抱えている方は「明るくて、笑顔が素敵な人」と周りからは映ります。

「孤独」だからこそ、それを何とかしようと明るく振る舞ったり、友達を多く作ったり、周りの人たちから慕われるようにしたり、家族を作ったり、いつも仲間に囲まれていたりしてきたんです。

もちろん、それらは本質のひとつには違いなく、それも間違いない本人の魅力なのですけれど、少しそこを頑張ってきた感じです。
つまり、その明るくフレンドリーな、誰でも受け入れてくれそうな雰囲気というのが本来100だったところ、孤独からゆえに120,150に高められている、というイメージです。
だから、100は本物なんだけど、プラス20、50の部分が「補償行為」や「犠牲」であり、それがストレスや慢性的な問題を作る原因となるんです。

そんな風に本質的な問題を隠し、何なら人はそれを忘れて生きているので「なぜこんな問題が起きるのだろう?」という現実が生まれるわけです。

さて、その「孤独」の問題。ルーツをたどっていきます。
両親のこと、きょうだいのこと、子ども時代の性格のことなど話を広げていきます。
するとこんな図式が浮かび上がってきました。

母は過干渉。自分に対してもそうだったけど、妹に対しても同じで、母と妹はべったりだった。
父はロックマン。家族とは交わらず、自分の世界を生きている。

となると仮定の中で彼女は誰とも深くつながることなく「孤独」であったことが伺えます。

さて、そういう家族で育つと家に居場所を作るためにあれこれと作戦を練るものです。
それが彼女の魅力や長所につながることになるものでもあります。

多くの場合、こうしたケースでは「調整役」という役割を身に着けます。
父が孤立し、母と妹がべったりな中で、ともすればバラバラになりそうな家族をつなぐ「調整役」です。
言い換えれば彼女は家族にとっての「扇の要」として家族を支えることを頑張って来られたんです。

だから、そこで培われた長所は彼女のその後の人生で役立つことになります。
学校でも、職場でも、そして、自分の家族でも、パートナーシップでも。
そして、家族の中で必死に身に着けたそのスキルは一定の成功をもたらしてくれるものあり、素晴らしい能力です。

しかし、その調整役であることは彼女が「居場所を作る=孤独感を感じないようにする」ために身に着けた後天的な能力ですから、家族や周りの人たちに必要とされる人材になる一方で、肝心の孤独感は保存されることになります。

だから、周りにたくさん人はいるのだけど孤独であり続けるし、ほんとうに心を開ける人はいない、という思いを持ち続けることになります。
これが自立系あるあるのひとつ「心のドーナツ化現象」というわけです。

さて、じゃあ、その孤独感を癒しましょう!という流れになるのですが、それだけでは正直、つまんないですよね?え?笑
リトリートセミナーってのはそんな浅いセッションでは物足りないんです。2日目だし、特に。

「ちなみに家族の中で孤独な人と言えば誰?うん。お父さんね。」

そこで彼女はお父さんと孤独感でつながることで、お父さんに「パパはひとりじゃないよ。あたしが一緒にいるよ。」ということを示してきたのです。
孤独感でつながるってことは、お互い孤独な状態で居続けることでもあります。
何をするわけでもありません。

例えば、高校最後の大会で惜しくも敗れた選手たちは何も言わずとも「悔しさ」を共有しますよね?
もちろん、その感じ方、捉え方、扱い方は人それぞれだけど、彼らは「悔しさ」でつながるのです。

だから、彼女もまたお父さんと仲良くするわけでもなく、また、お父さんも表面上はそうした仕草を見せることなく、お互いに孤独であり続けることで「つながり」を作っていくのです。

もちろん、それは彼女にとってお父さんが大事な人で、お父さんのことを愛しているからに他なりません。(そういうわけで、彼女が理想のタイプとあげる男性は総じてロックマン氏に限定されるわけですな。)

でも、多くの方はこういう水面下でのつながりを通して愛することを行います。
みなさんももしかしたらそんな愛し方をしてこられたのかもしれません。

そういうわけで見事「隠れファザコン」の認定を受けた彼女ですが、そうすると「あんたが感じてる孤独感はお父さんの分も入ってるねんで」とも言えるんですな。
愛するお父さんを助けるために、お父さんが抱えている孤独感の一部を自分が背負うということです。
これもまた代表的な愛し方のひとつですね。

それと同時に、じゃあ、そこから隠された才能を見ていきましょう!ということになります。

調整役は彼女が家族の中で生きていくために後天的に身に着けた素晴らしいスキルですが、じゃあ、もっと原初的に彼女が持っている才能は何なのか?というところです。

私たちが持っている才能というのはそのほとんどが「痛み」によって隠されています。
彼女の場合は「孤独」という痛みによって見えなくなってしまっているんです。

そこから「リーダーシップ」とか「カリスマ性」という才能を導き出すには様々なルートがあるもんです。
シンプルに「調整役」という後天的スキルから「じゃあ、リーダーシップってのが才能じゃね?という見方もできます。
調整役ってのは一歩引いて周りの人たちとのバランスを取る役割ですから、本来の彼女は一歩引くんじゃなくて、一歩前に出ることじゃね?というものです。

また、じゃあ、彼女がお父さんからもらったものって孤独感だけなん?そんなわけないやんな?じゃあ、お父さんの魅力、長所、才能って何だと思う?という質問からその才能を導き出すこともできます。

実は私、リトリートセミナーでしかやらないことがありまして、それはセッションが始まるときに心理学のカードを3枚引くんです。
「偶然性」を使うためであり、私個人の欲や判断やコントロールをできるだけ排除するためですし、場や流れを読むためのものです。
いわば、そのセッションをリードするガイド役みたいな感じでそのカードを使うんです。

3枚目に「リーダーシップ」のカードが現れていました。
2枚目は「真実」のカードでした。
そして、1枚目は・・・忘れました。笑。

プロセスは「役割の仮面を捨てて真実の自分になり、リーダーシップを取りなさい」ということを示していると解釈できます。

だから、ああ、このセッションはリーダーシップがテーマであり、それが彼女の才能でもあるんだな、ということが分かるんですね。

「前に出ることってどう?怖いでしょ?けど、どうやらそれがあなたの才能みたいっすよ」

「でも、長らく調整役をして一歩引いてきたじゃん?それって孤独感を回避するための手段でもあるわけで、じゃあ、そんな自分が前に出たらまた孤独になっちゃうじゃん、と思わない?そうだよねー。だから、前に出るのってめっちゃ怖いと思うんだよねー。でも、ライフワーク(自分らしい幸せな生き方)を生きるにはそうするのがいいみたいよ」

「とはいえ、超恥ずかしがり屋だよねー?全然そんな風には見えないけれど。だから、怖れだけじゃなく、恥ずかしさとも向き合わなきゃいけないわけで、それはイヤだよねえ?でも、今からやるんだけどねー」

いくつかの仕込みを経て「才能を引っ張り出す」ために「それを使うロールプレイセッション」を組み立てます。

ちなみにその仕込みってのは「ばらばらになったハート(自分自身)をを女王様マインドを使って集めようね!」というものなのですが、これはカリスマ性を使うことでもあり、女性性で場を作ることでもあり、「つながり」を作ることでもあり、セクシャリティを解放することでもあり、様々な意味があるもんです。
こういうセッションというのは何重にも伏線が張り巡らされているものなんですな。そら、個人が抱える問題ってのはそれだけ複雑っちゃ複雑なんです。

さて、彼女のリーダーシップの才能を使うための王道の手段は「あなたと同じ、もしくはあなた以上に孤独感を持っている人をこの会場から選んでくれない?」というアプローチを経て行われます。

まあ、すると見つかるんですよね。ピンと来るんですよね。

そんな孤独感を持った人を「彼女らしいやり方」で助ける、癒す、つながる、ということをやってもらいます。
どうやってその彼女とつながるかの方法は教える必要もありません。
もう彼女が知っているからです。(お父さんと孤独感でつながってきたからね!)
だから、「好きなようにしていいよ」と伝えるだけで、私は会場の後ろに座って競馬中継を見る、、、ことはさすがにしないですけれど、場を見守っていました。

ま、こういうセッションってほんま賭けみたいなもんでして、彼女を始め、その場にいるみんなを信頼しないとできないものです。
ついこちらが何とかしたくて、また、うまくセッションをまとめたくて「ああして、こうして」と指示(コントロール)してしまいたくなるもんです。
でも、長年の経験からそんなコントロールしても意味がないことを重々承知しているので、そこは彼女を信頼して任せるのです。

もし、リーダーシップが彼女の才能であるならば、きっと彼女は上手にやってくれるだろう、という信頼です。

そして、その信頼は現実のものとなり、「ああ、なるほど!」というやり方で彼女は「つながり」を作り、リーダーシップを示してくれました。

さらに、それが彼女の才能であることは、その続きのセッションでどんどん明らかになっていきました。

「イキイキしてるねえー。どんどん元気になってきてるねー。どんどん自分らしく振舞えるようになってるねー。場がどんどん明るくなってきたねー。」

隠された才能を引っ張り出すには、彼女が本気になれる環境を用意し、その才能を使わなければどうしようもない状況を創り出すことです。

でも、これ、私たちの人生に起こる問題と全くおんなじです。

私たちに与えられる問題というのは間違いなく私たちの才能を示しているのです。

それを安全な場で創り出すのがロールプレイセッションであり、リトリートセミナーなんです。

こうして振り返るとなんかすごいことをやってるような気がしません?
「根本さんってそこまで考えてセッション作ってるんですか?すごい!!」と思ってもらいたいんですけど、実は、後付けで解説をしているからそう見えるだけです。

現場ではけっこう行き当たりばったりで、彼女のセッションも一度方向転換をしていますし、全然インスピレーションが下りて来なくて困ったこともありました。
けど、あとから見ればとても辻褄が合っており、まことスムーズなセッションになっているのが不思議なんですけどねー。

たぶん、こういうセッションを作っているのではなく、作らされている、というのが真実なんだろうと思ってます。
自分が作ってるわけじゃないので、リトリートセミナーってのは全然疲れないし、むしろ私自身も癒されて楽になっていくんです。


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