リトリートセミナーに見る私たちの心の世界と偶然性、そして、流れの重要性について。



ザ・リトリートセミナー開催中につき、通常のネタとは別の特別編でお届けしたいと思います。


リトリートセミナーでは「場」や「流れ」をとても大切にしています。
すべてのプロセスに「意味がある」と捉え、「偶然性」を多用していくものです。

なぜかというとこのセミナーは「無意識」や「潜在意識」の深いところを扱うことを目的としてるからです。
表層意識で「なぜかうまくいかない」と感じられる事象を「心の深いところに何らかの原因があるのでは?」と捉えて、そこを見ていくのです。

「偶然性」は私たちの無意識を見せてくれます。
人との出会いも、起こるできごとも、その多くは「偶然起きたように見える」と思いませんか?
「たまたま出会った人とああなった、こうなった」
「なんでかしらんけど、こんなことになった」
という経験は良い面でも悪い面でも人生の中でたくさん経験してきてるはずです。

そして、偶然性によって示される「流れ」に沿ってセミナーは進んでいきますから、私の個人的な意志が介入する場というのは実はとても少ないのです。

リトリートセミナーのようなグループセラピーの場を私は「川下り」に例えています。
私は船頭を務めさせていただき、スタッフにサポートしてもらいながら参加者のみなさんと一緒に川を下っていくのです。
私ができることと言えば、安全に川を下っていくように舟を扱うことくらいで、その日の川の流れに私たちの運命は委ねられているのです。
岩が立ちはだかればうまくそこを回避し、穏やかな流れの場では何もせず身を任せ、そうしてプロセスを進めていきます。
たぶん、人生もまったく同じだと思っています。

そんな偶然性と言えば、昨日はとてもユニークなできごとがいくつか起こりました。

開催地の東京・神楽坂は赤城神社の例大祭が行われていました。
セミナールームから赤城神社はすぐそこです。
午後になるとお神輿が出て、わっしょい、わっしょい、という掛け声がセミナールームまで響いてきました。

たまたまセッション中にお神輿がやってくるんです。

そこで「セミナーの邪魔だなあ。集中できないや。」などは思わず、「これに何の意味があるんだろう?」と考えるのです。

フォーカスパーソンや参加者の「抵抗」と捉えることもできます。
でも、私はたいがい「フォーカスパーソンや参加者の『お祭り女』の部分が示されている」なんて解釈をします。

ほんとうは情熱的で楽しいことが大好きなのに、それを諸事情により封印してきてるんじゃない?

外側に起こった偶然のできごとを潜在意識・無意識の表れと捉え、そうした解釈をするのです。

そうすると「おばあちゃんが超情熱的な人、母親はそこまでじゃないけど情熱的な人」という話が出てきました。
ちなみに「妹は超クール」。
じゃあ、お姉ちゃんは???

ということは、船頭である私がやるべきは「自分のことをクールだと思っている彼女の中に情熱を見ていくこと」です。

だから、そんなセッションを作っていきます。

「流れ」と言えば、またユニークなことがありました。

初日は3人の方の問題を扱いました。
するとどの方も「身体症状」というキーワードが出てきたのです。

体調不良だったり、何かしら病気をしていた苦しい過去があったり。

1日を通して「体調」がテーマになることなんてなかなか珍しいものです。
つまり、それは「流れ」が「自分の体にもっと意識を向けなさい」と教えてくれているのでしょう。

フォーカスパーソンがシェアしてくれるテーマはそこにいるすべての人たちへのメッセージです。
フォーカスパーソンを通じて自分自身を見つめていくのがこうしたグループセラピー、リトリートセミナーなのです。

もちろん医学的な病気もあれば、医学的には問題ないけど症状が出続けてるものもあります。

カウンセラーとしては「心の中に抑圧されたネガティブな感情が外側に現れたのが身体症状」という捉え方をします。
(だから、アメリカなどではカウンセリングやセラピーを免疫療法のひとつと捉えます。)

だから、その体調不良が教えてくれること、そして、そこに秘められた感情というものを見ていくことになります。

その中でも「罪悪感」や「孤独感」という感情はよく病気を作ることで知られています。
だから、そこを癒していくことで体調の回復も期待できるところですし、また、さらにそこから彼女の才能や魅力、ライフワークを見ていくこともできるものです。

心は地層のように何層にも重なり合っていて、ひとつの問題でも見る層によって解釈が異なるんです。
これが心理学というか、私たちの心の面白いところです。

例えば、一層目には「私を愛してくれなかった母への恨み辛みや復讐」があります。
そして、二層目には「母の愛を求めて常に「孤独」を選び続けるパターン」が見えます。
さらに、三層目には「その母を選んで生まれてきた目的・使命は何なのか?」という解釈があります。

それぞれの層によってアプローチも異なりますし、見方も全然変わりますね。

母への恨み辛みからパートナーシップがうまくいかないと理解もできます。
一方、母にしか自分を愛させない、と決めている自分がいるとなると、そこでもパートナーシップがうまくいかない理由として解釈できます。
また、そうした事情から体調不良を繰り返すパターン、いつも孤独になる方を選ぶパターンなども理解できます。

ただ、もし、それが必然だったとするならば、と捉えれば「じゃあ、あなたはなんでそのお母さんを選んで生まれてきたの?そのお母さんにどんな才能をプレゼントしようと思ったの?」という見方も可能です。

リトリートセミナーなどのグループセラピーではより深い層を見ていきますから、この例で言えば必然的に三層目を扱うことになります。
より深い層には、その場にいる方々に共通するテーマが現れますから。

そこで、その才能を開くべく、ロールプレイセッションを組み立てていくのです。

ちなみに昨日は「死と再生」というセッションを作りました。
一度、天国に戻り、改めて自分の才能を受け取り、再生後に現世にてそれを使う、という流れです。

まあ、なんかこう書いてしまうと不思議で怪しい世界に見えてしまうかもしれませんけれど、私たちの心というのは神話やおとぎ話、小説などに現れているものですから、それと同じようなものか・・・自分が主人公のおとぎ話を作っているのと同じか、なんて解釈してもらえるととても嬉しいです。

さて、初日にして最終日のようなセッションを作らされてしまいましたので、今日、そして、明日にどんなプロセスが待っているのかは私も想像できません。
また示された流れに乗りつつ、船頭の役目を果たしたいと思う次第です。


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