器の大きな人間になりたい!と思うのはいいんだけど、それって自分軸ですよね?



器の大きさって目に見えないものですから、その基準は人それぞれ。
自分なりの基準で器を大きくすることが大切で、他者にそう映るように意識すると途端に他人軸になってしまうものです。
だから基本はやはり自分軸であり、自分らしさ、なのです。

根本先生、こんにちは。
何年か前に一度彼のことについて質問させていただいた20代後半の女です。その節は本当にありがとうございました。
いつも先生のブログや書籍に大変救われています!
今回は、昔から友人関係の悩みが絶えないのでネタとして送らせていただきました。

私は恋人でも友人でも懐に入れた人とは真摯に向き合いたいタイプなのですが、その友人から蔑ろにされていると感じるとそこに悪気がなくても傷ついてしまい、自分から連絡をしなくなって距離を置いてしまいます。(中学時代の経験が原因です。)

これでは生きづらいだけだと思い、色んな人や価値観を柔軟に受け入れられるような器の大きな人間になりたいと思い修行中なのですが、その矢先何かとマウントを取ってくる年上既婚女性と友達になってしまいました。

彼女への嫉妬心は根本先生の嫉妬本(特に「要素」のお話は目から鱗の内容で大変救われました!!)で克服できたのですが、それでも疲れてしまいもう距離を取りたいです。
でも彼女を乗り越えなければ器の大きな人間になれないのでは…という思いもあり実行できないでいます。

本当に器の大きな人は、マウントを取ってくる人が相手でも真摯に付き合えるものですか?
また、器の大きな人が持つ「この人とは深く付き合う、この人とは距離を置く」という基準はどういったものなのでしょうか?

まだまだ精進中の身ですのでぜひご教示いただけますと嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
(Aさん)

器のデカい人間になりたい!と思う方は多いと思うんですけど、じゃあ、果たして器のデカい人間ってどんな人間だと思いますか?

寛容で、心が広く、穏やかで、、、あとは???

まあ、反対に「器が小さい人」というのもイメージしてみて、その逆がそうかな?と思ってみてもいいでしょう。

細々としたことを気にしない、すぐに感情的にならない、あれがやだこれがやだとか言わない、、、、

うーむ・・・。

実はせっかくのAさんの真摯なご質問に対してこんな回答を返すのは申し訳ないんですけれど・・・私が思う、器の大きさ、小ささというのは・・・

「え?そんなの相手がどう思うかやん?自分には関係ないことちゃうん?勝手に相手が器がデカいの小さいのって判断するんやから放っときゃええやん。」

うん。元も子もないね!笑

でも、そう思いません?

ああ、自分は器がデカいんだよ!と言ってる奴がいたら信用できます?

器が大きい小さいってのもまた「観察者の勝手な判断」なんですよね。

だから、Aさんに対する評価というのも人それぞれ、それからケースバイケースで異なってくると思います。

つまり、Bさんは「あの人は器がデカいよ」と評し、Cさんは「案外、あの人は器がちっちぇえ」と言い、Dさんは「あの人はもっとデカい器になるべきだ」と言ってるわけです。

誰が正しいのでしょう?
そして、Aさんは果たして器がデカいのでしょうか?ちっちぇえのでしょうか?

たぶん、Bさんの基準ではデカいんですけど、Cさんの基準ではちっちゃいんだと思います。

正解などありません。

なので、Aさんにお伝えしたいのは「器がデカい人間になりたいと思うのは全然OKなんだけど、他人軸になってないか注意深く見つめといた方がいいよ」ということです。

ということで爽やかに揚げ足取りの時間に参りたいと思いまーす!

>その友人から蔑ろにされていると感じるとそこに悪気がなくても傷ついてしまい、自分から連絡をしなくなって距離を置いてしまいます。

これ、ふつうのことじゃないかと思うんですけど・・・。
傷ついてしまうことが嫌なんでしょうか?
そんな繊細な自分を「器が小さい」とか「心が狭い」とか思っちゃうのでしょうか?

>何かとマウントを取ってくる年上既婚女性と友達になってしまいました。

これも、え?なんで?と思っちゃうんですけど。
マウント取ってくる人と友達になったのはなんでなんでしょ?
はじめっから嫌いじゃなかった?イヤな奴じゃなかった?

もしかして「この人ちょっと嫌だなあ」と思ったのに「精神修行のため」と称して友達になった感じ?

嫌になったんだったらさっさと距離を取ったほうがいいですよね。

>本当に器の大きな人は、マウントを取ってくる人が相手でも真摯に付き合えるものですか?
>また、器の大きな人が持つ「この人とは深く付き合う、この人とは距離を置く」という基準はどういったものなのでしょうか?

「器の大きな人」というのが他人の評価によってなされるものなので明確な定義がないのですね。

だから、何をもって器が大きな人かどうかが定められないわけですから、そういう方々がどう振舞うのかはケースバイケースだと思います。

例えば皆さんは「根本さんって器のデカい人だよね!」と思ってらっしゃると思います。
この間、スタッフに聞いたら「はいはい、そうですね。根本さんはたしかに器がおっきいでちゅね!えらいでちゅね!」と褒めてもらえたのでたぶんそうだと思います!

けど、その根本さんは器がデカいにも関わらずマウントを取ってくる人のことは嫌いだし、めんどくさいなと思う奴とは即座に距離を置きます。ただ、マウントを取ってくるのが可愛い女子だったり、めんどくさいけどいい女だったりしたら即座にしっぽを振って深く付き合いたい!と思ったりするそうです。

以上の結果、根本さんはどうやら器のちっちゃいクソ野郎だということだけが判明しちゃいましたねー笑

そもそも「真摯に向き合いたい」と思うAさんはとても素敵な志をお持ちですが、「真摯に向き合う」とはどんな意味か定義づけは済んでいますか?

つまり、何をもって真摯に向き合っているのか?否か?という基準はお持ちなのかな?

また、そういう点から見てもAさん自身が「成長意欲が高い」「人のことが好き」「誰のことも分け隔てなく付き合える」という素晴らしい長所を持つ一方で、「我慢しぃ」「正しさの罠にハマりやすい」「人の評価を気にする」「繊細さん」なところってないですか?

つまり「いい人になりすぎちゃう」って問題ってないですか?

「人間関係のことをあれこれ考え過ぎちゃう」ってところはないですか?

「中学時代の経験が原因」書いていらっしゃいますから、そこが影響しているのかなあ?とも思います。

その時代はけっこう多感ですから、そこでトラブルがあるとかなり哲学者になりやすいものですよねー。

また、家庭環境も含めて「いい子」で育ってくるとどうしたって「他人軸」な人生になりやすいものです。

いつもお伝えしていることですが「他人からどう思われるかは気にすんな!自分がどう在るか?を考えろ!」というのが私の基本主張です。

例えば、ある男性が恋人に自分なりに優しく接したとしましょう。
けど、彼女は全然それを優しさとは受け取ってくれませんでした。
むしろ「冷たい」とか言われるわけですね。

そこで「他人軸」な人は、「ああ、彼女が優しくないってことは僕は優しくないんだ!」とショックを受け、「どうしたら僕は優しくなれるのだろう?」と哲学者になります。

そうするとたいてい「彼女のご機嫌を伺う」という手段に出ますし、「彼女が喜びそうなことを犠牲なんだけど頑張ってやる」ということになります。

でも、彼女としてはそうして気を使われたり、ご機嫌伺われたり、犠牲されたりするのが嫌なんですよね。

でも、彼としてはそうするしか自分の優しさを表せないと思っちゃうわけですよね。

ここで華麗なるすれ違いが生じ、お互い好きな気持ちがあるのに険悪な空気が蔓延していくわけです。

・・・まあ、この辺は心当たりがある人もたくさんいると思いますが。

要するに「彼女に優しくしたい!」という彼の気持ちが、「彼女に優しくしなければ!」という思いに代わってしまったことにより、「彼女軸」な彼が誕生してるわけですね。

だから、他人がどう思うのかは他人にしか決められないことだから、あくまで自分は自分でいることが大事なのです。

だから、「器のデカい人間になりたい!」と思って、あれやこれやと試行錯誤をすることは別に問題はありません。

そのためには「器のデカい人間ってなんぞや?」というテーマにおいて自分なりにこういう行動がふさわしいのでは?と考えることも問題ありません。

ただ、そこで「これだと他人軸だよな?」とか「これって自分らしくないよな?」と感じる部分があれば改めて「そこで自分はどうしたいか?」を考えるのです。

さらに、「こういう行動が器のデカい人間がすることだ」と思ったことを実践する時に、それが犠牲や我慢であれば意味ないと思います。しんどいだけだし。

同様に「こうしなきゃ」「ああしなきゃ」「これしちゃだめ」「あれしちゃダメ」なんて思うこともまた他人軸を加速させるものですから注意が必要です。

そういうところに縛られてるとこんな風に思うようになるんです。

「器の大きな人だったらきっとこういう風に思うし、こういう行動をとると思うんです。けれど、あたしはそんな風にできずにこうしてしまったんです。」

これって自分いじめ以外の何物でもないんですよね。
これは向上心でも何でもないと思っちゃいます。

「私らしくいる」状態を勝手に他人が評価します。

けれど、その評価はたいてい割れています。

つまり、その私らしくいる状態を好意的に受け止めるか、否定的に受け止めるかです。

次に選択をします。

その人と付き合いたいのか、そうでないのか。

もちろん、相手も選択します。

私と付き合いたいのか、そうでないのか。

もし、お互いに「付き合いたい」と思えば付き合うことができます。

けれど、それ以外を選択した場合は付き合うことはできません。

「ああ、そういうご縁だったのだな。じゃあ、またどこかで縁がありましたらよろしくお願いします。」

そう言って別れます。

ほんとうはとてもシンプルなんです。

でも、実際はそこに感情が入ります。

その相手に嫌われたくないと他人軸になると好かれようとしたり、自分を隠しちゃったりします。

あるいは否定的に受け止められたことがショックで傷ついちゃって被害者になります。

はたまた好意的に受け止めてもらったんだけど、それを自分が受け止められなくて野良猫魂を発揮して逃げちゃいます。

さらにはお互いに「付き合う」を選んでくれたのに、それぞれが恥ずかしがり屋だったので、そこから一歩も進展がありません。

なんてことが起きますよね?

これだけ見ても「感情というの私たちの人生にドラマを生み出し、より色鮮やかに、美しく彩りを添えるものである。」ということがよく分かると思います。

ただ、逆に言えば目先の感情や、この先にある感情に振り回されてしまい、「なんでこんな人と付き合ってんだろう?」なんて人間関係を創ってしまうのです。

感情はとても大切なんだけど、自分軸を確立し、自分らしさを意識することで「自分に合った道」を選択できるようになるのは人間関係もライフワークも同じなんですよね。

とはいえ、「感情に振り回されるのもまた自分らしい」という真実もありまして、その辺はやっぱり難しいもんですね。笑

★自分軸を取り戻すための本と動画

*セミナー動画:ワークショップ「自分軸とは何?なぜ自分軸が大切なのか?どうしたら自分軸が確立できるのか?」
*文庫版『人のために頑張りすぎて疲れた時に読む本』 (だいわ文庫)
*新書版『なぜ、あなたは他人の目が気になるのか?』(フォレスト出版)
『人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本』(大和書房)
「敏感すぎるあなたが人付き合いで疲れない方法」(フォレスト出版)

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