女性としての罪悪感とどう向き合い、乗り越えて行けばいいのか?



このテーマはけっこうメジャーでして、意識していなくても心の中にひっそり存在していることが多いものです。
「家」に端を発する問題なのですが、逆にそれくらい深いので才能や魅力を隠すことになり、このテーマと向き合っていくことで人生が180度変わる体験をすることも珍しくない素晴らしいチャレンジです。

根本先生、こんにちは。
いつも楽しみにブログ拝読しています。

私は今年40歳になるのですが、いまだに女性としての罪悪感があります。

幼少期から恥ずかしがりで、女であることを隠すかのようにスカートやロングヘアを遠ざけてきました。
遅咲きの恋愛で、性に目覚めるとその反動のせいか、女度高い服装や振る舞いをするようになりました。恋人探しには苦労しませんでしたが、見た目=女の価値という裏方程式を確信したことも否めません。

3年前に運よく夫と出会い、力技で結婚までこぎつけました。私の見た目は、全く彼のタイプではありません。ようやく、私は女であることから解放された気がしました。自然と、クローゼットから戦闘服は淘汰されていきました。

しばらくして、子供について話し合う時が来ました。高度不妊治療が避けられない状況でしたが、どうしても心が拒絶するのです。子供を強く望む夫と、自然妊娠できないならそれも運命としたい妻。荒れに荒れましたが、夫婦カウンセリングも交えて何とか治療に取り組んできました。一年経つも妊娠せず、互いに疲れ果て、治療は終える方向です。
そして現在、セックスに抵抗があります。

ある日、夫が私に「一緒に痩せる?」と言ったことがきっかけで、感情がプツンと切れてしまいました。
私は太ったおばさんだ、子供も産めない、仕事も辞めてしまった、夫のお荷物だ。
自分責めが止まらず、女であることの罪悪感がブワーッと溢れ出しました。
もう何もしたくない。なんで女ばっかり。女に生まれなきゃよかった。

根本ファンとして、思い当たることは一つ。どうやら女性としての罪悪感は、母からインストールされているようです。
母は、私が女を出すことを嫌っていました。思春期の頃に「お母さんってキレイじゃないよね」と冗談で言った言葉で、母を泣かせたこともあります。母は、自分の容姿を自分で責めていたのでしょう。残酷なことをしてしまったと今でも後悔しています。

そんな私ですが、女性としての自分を好きになりたいのです。女であることを愉しみ味わい尽くすまだ見ぬ私へ、根本先生からエールをいただけるとうれしいです。
(Aさん)

エール??がんばれー!て言えばいいのかな?でも、よくうちのお客さまからは「感情こもってない」「棒読み」とご指摘を受けるんですけどいいですかね?笑

まあ、40年も女であることと葛藤し続けるってことはそれが「才能」ということになるわけです。ええ、ここはどんだけ否定しても確定ランプが灯って払い戻しが始まっておりますので文句は言わせません!(強引)

とはいえ、たぶんその傾向は母も持っていたようで、それ故に「恥ずかしがり」というのもあるし、母への一言を数十年経た今も思い続けてるってことも罪悪感になってるようで、その戒めもあるのかもしれません。

となるとアンダーグラウンドに注意しつつ、女であることを受け入れていくことが課題かなあ?と思うのですが、お察しの通り、武闘派女子の中には「おちんちんをお母さんの子宮の中においてきた」とか「幼少期から度重なる性的トラウマにより女を封印した」という事例も数多いため、私にとっては主要品目のひとつに数えても良いテーマです。

妊活に抵抗があるのももしかしたら妊娠・出産・育児のプロセスが紛うことなき「女」を感じさせるからかもしれませんし、セックスに抵抗を覚えるのも「女を捨てたい」という気持ちがそうさせるのかもしれません。

とはいえ、妊活を経てセックスが嫌いになる夫婦、レスになる夫婦もすごく多いですけどね。

なので、「女であることを愉しみ味わい尽くす」という目標はとても素晴らしいし、たぶん、そこを扱っておかないと後悔する人生になりそうなので40代の大きなテーマとして中心に添えられるといいでしょう。

「女に生まれて良かったー!!!」と夕日に向かって叫べるようにしていきましょうねー。

ということで、女性であることへの罪悪感というのはけっこう根深いものでして、これは家庭環境のみならず地域性とも関連する深いものです。

かつて女性は影(陰)の存在として扱われ、表に出ることを長らく禁じられていました。
跡取りは男性のもので、女性として生まれたことで周りに失望を与えることも家によってはありました。

さすがに現代はその風習は薄れてきていますけど、それでもちょくちょくそんなお話を伺うので、時代を遡れば遡るほどその傾向は強いことが伺えます。

でも、それ、日本人の性質から考えると「いやあ、女性に主導権を渡すと男性がほんとに立場がなくなるから力で女性を抑え込むようにしよう」という意図があったように思うんですよね。

そもそも農耕民族は「母(女性)」が大黒柱になることが多く、かつての日本だって女性の天皇が当たり前にいましたし、そもそも日本の神様は夫婦にせよ、きょうだいにせよ、女性の神様がふつうに存在している珍しい国ですから、男尊女卑というのは女性の力を怖れた男性側が仕掛けた風潮だと思うんですね。

そうでなくても子どもを産むことができる女性の精神力が強靭なのは言うまでもなく、かつ、「かかあ天下の家庭は安定する」とか「恐妻は夫を育てる」なんて言葉も流布しているわけで、企業においても女性(正確には女性性)を軸にした組織の方がなんだかんだ強靭だったりするわけです。

で、そうして女性を敢えて下におく風潮の中では「女性であること=悪」ということになり、それゆえ、神聖な場所では女人禁制にするところも多いんですよね。

生理を穢れとする風潮があってそうしてるんですけど、さらに古い歴史を辿れば逆に男子禁制の習わしなども多くありました。

だから、この仕事を長らくやってきて私が思うのは「まあ、そりゃ、女子が本気を出したら男子は太刀打ちできないから制度として女子を押さえ、それを文化にしなきゃやってられんわなあ」ということです。

・・・でも、それって私のお客様が武闘派揃いだからなのか、それとも、カウンセリングという心を扱う仕事だからその本性が見えてしまうからなのか、まだ結論は出てないんですけどね。

ということでこの道数十年の女性恐怖症カウンセラーに言えるのは、まあ、その罪悪感はいらんもんなんやけどね、ということです。

ということで、Aさんの掲げる「女性であることへの罪悪感」がどこから来ているのか?というのはたいへん興味深いところです。

そんな旧家というほどでなくても、墓守や仏壇がある本家筋であったり、家がちょっと古い価値観を持っていたり、家業があったりすると「ああ、女の子か・・・」と生まれた瞬間にため息をつかれることもあるものです。

まあ、それは本人の罪悪感というよりも、男の子を産めなかった母親が抱える罪悪感を受け止めたものであり、その後成長していく上で感じる周りからの「あんたが男の子だったら」という空気によるものであるので、本人に罪があるわけではないんですけどね。

また、母親もまた女性であることへの罪悪感を持っていたのであれば、それを遺伝の如く引き継ぐこともありまして、母系を辿ってみゃくみゃくと流れていることもあります。

だから、この問題はいわゆる「世代間の問題」と名付けられるジャンルに属することになり、「母方のおばあちゃんってどんな人だったか、どんな家だったか知ってる?」なんて質問を投げかけることもあります。

さらに、罪悪感を持っているかどうかは別として母親が女であることを禁じてきたのであれば、当然、それは娘にも強制されることになりますね。

スカートやロングヘアを避けてきたのも自分がそうしたかったのか、母親の希望を汲み取ったのかは微妙なところでして、多くの場合、後者の影響の方がデカいのは言うまでもありません。

中には、中学の制服でスカートを履くまでほとんどスカートを履いた記憶がない、とか、小学生の頃まで周りからは男の子だと思われた、みたいなケースも珍しくなくて、母親(ときに父親)の影響が大きいことが伺えます。

さらに、母親の嫉妬という問題もけっこうありまして、キラキラしてかわいい娘に母親が嫉妬を覚え、女の子らしいファッションや行動を制限することも実はよくあるものです。

そうして思春期に至る頃には女の子であることが嫌になることも多いものです。
現代ではLGBTsもありますから、思春期にそのことで悩む人も意外といらっしゃるんです。

という風におそらく外的要因から女性であることに嫌悪感(罪悪感)をお持ちのAさんにとっては、その辺を少し漁っておきたいところです。

とはいえ、

>性に目覚めるとその反動のせいか、女度高い服装や振る舞いをするようになりました。

こういう時代があったわけですから、本質的にはめちゃくちゃ女じゃんねー、ということになろうかと思います。

要するに「内側に溢れる女を、外側から必死に抑えてきた」という感じではないでしょうか。

だから、まずはやはり母との関係を見つめ直すことが一歩目になるかと思います。

母の人生をちょっと振り返ってみてください。
どんな人生だったのか?
母にとって「女」という性はどのようなものだったのか。

もしかすると女性としてのコンプレックスをすごく持っていたのかもしれないし、また、Aさん同様、罪悪感がめちゃくちゃ強いのかもしれないし、あるいは、女であることに抗って男と戦い続けてきたのか。

それと同時に、母との心理的距離感も見つめ直してみるといいかもしれません。

罪悪感は癒着を作ります。だから、母が女を禁止してるんだったら、娘である自分も女を禁止する、という戦略を立てやすいものです。

例えば「自分が女っぽくすると母がとても悲しそうな顔をするので押さえてきた」という思いがあり、女であることを母に申し訳なく思っていることもあるんです。

そうすると女であることを隠すことが母娘関係を円満にしてくれるので、母を思う娘としては当然そういう生き方を選びます。

「母が女を楽しめるようになったら、あたしも女を楽しんでいい」という呪縛を自分にかけてる場合も多いのですよね。

そうすると「うーん、ちょっと母との距離が近すぎるかもねー。少し距離を取ったほうが良いかもしれんねえ」という見解が生まれます。

また、セックスやオナニーなんて他ならぬ女を感じる最高の手段ですから、女であることを禁止するには「意地でもオナニーはせん!」とか「気合でセックスを楽しまない!」という覚悟を持つことになります。それも不憫ですよね。

だからセクシャリティに関しては繊細かつ慎重にではありますけれど、ちょっと向き合っておきたい話ですよね。

さて、話は多少転じましてお仕事とか趣味とか趣向に関することになるんですが、その辺はいかがでしょうか?

女であることを禁止していると「男には頼らぬ」という生き方を貫くことになり、少なくとも表向きはバリキャリになり、男性的趣味を持つことも珍しくないものです。

とはいえ、それくらい女性性が強いAさんですから、そこかしこに「隠していてもバレちゃうんですよねえ」というサインが出てることも多いものです。

例えば、服も仕事っぷりもめちゃくちゃ男っぽくしているのだけど一人暮らしの部屋がめちゃくちゃフェミニンなクライアントさんもいました。

また、女を嫌って自立しているのですけれど、仕事や趣味がものすごく女っぽいこともありました。

あるいは、職場や友人からは「男らしい」とか「アニキ」とか呼ばれているのに、アンダーグラウンドな世界ではものすごく女を出しているケースもあります。

だから、女であることに罪悪感を強く持っていても、やはりそうした“無意識的な趣向”には女が出ちゃってることも多いのです。

Aさんの日常の中に「それって実は女だからできることだし、そうは意識してないけど密かに女を楽しんじゃってる部分もあるんじゃね?」と思うんです。

だから、それを意識的に探してみるのもいいかもしれません。

女であることを嫌悪しているけれど、女を楽しみたい場合にはシンプルにはやはりファッションから変えてみるのがリスクも少なく安全です。

「女らしいな」と感じる服や下着、香水、アクセサリ、メイクを敢えて選択してみるのですね。

そこで感じる抵抗を逆に味わってみるのです。

何を怖れているのか?
何を嫌悪しているのか?
自分がそんな恰好をしたらどうなると思っているのか?
何がほんとうにイヤなのか?

そうして自分の心を見つめていくわけです。

そして、その流れで「自分のほんとうの気持ち」と向き合っていきます。

それは女であることの罪悪感と向き合うことにもなりますし、女であることを改めて許可することにもつながります。

女であることにどんな感情があるのか?
例えば「怒り」。何に怒りを覚えるのか?
あるいは「寂しさ」。ここはちょっと難しいかもしれませんが、この感情は非常に重要です。

もちろん、罪悪感や無価値感についても自分の心と対話していきます。

また、自分が嫉妬したり、嫌悪したりする同性たちにも目を向けてみましょう。
そういう感情が出てくるということは自分の中に何か引っかかるものがある証拠です。

敢えてネガティブな感情に目を向けるのは、それが「女を楽しむことへのブレーキ」になっているからです。

ポジティブなイメージだけで解決するのであればよいのですけれど、たぶん、ここまで長らく葛藤がある場合は、きちんとそうした感情に向き合っておく方が結果的に早いんです。

こうして内面的に女であることを受け入れ、認め、肯定していくプロセスにじっくり取り組んでいくと、内面が変わり始めますから自然とふだんの行動にも変化が出てくるでしょう。

目に付くものが変わったり、やりたいことが変化してきたり、見つかったり、出会う人が変わったり、旦那さんに対する思いが変化したり、「あれ?前とちゃうやん」ということがいろいろと目に付くようになります。

そうして女であることを受け入れられるようになると、それをどう活かすか?というライフワーク的な方向性を見ていくことができます。

それは今までの人生を180度変えてしまうくらいのインパクトがありますから、武闘派女子のみなさまが目を輝かせるくらいのヴィジョンになるでしょう。

もちろん、そこに至るまできちんと自分と向き合い、ネガティブな感情を受容してきた分だけ“後悔”は生まれません。

それはそれで必要なプロセスだったと納得できるので「10年早くこうなりたかった」とはあんまり思わないものです。

そして、未来に希望が持てますし、その分だけ「素の自分」になれてますから日々生きるのも楽で楽しくなるものです。

ということで、壮大なプロジェクトに思えますけどそんな時間はかかりません。
とりあえず半年くらいこのテーマに向き合ってみるつもりで取り組むと新年を迎える頃には「1年前の自分とはずいぶんと違うなあ」と思えているんじゃないでしょうか?

ということで、とりあえず思い切りフェミニンなワンピースでも買いに行くことにしましょうかねー?夏も来ますし、腕を出しちゃってもいいですしねえ?笑

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