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傷つけられた!と思うこともあると思いますが、実はそれ、違うんです。傷つけられるってことはあり得ないんです。
また、自分をよく見せようとしたり、良く思われたいと思うと地に足が着かなくなって背伸びしちゃうので「イタイ人」になりやすいんです。
という2つのネタを1つの記事でお届けします!
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最近は朝子供を送り届けた後、コーヒーを淹れてデスクに座ってメールチェックと共に先生のブログを覗くのが毎日の日課になっています。
なんだか上司のような同僚のような近所のパパ友のような…勝手に身近なパイセンに感じているので、今日はふと思ったことを聞いて欲しくてメールしました。
「傷付くことって、自分の責任なんじゃ…?」
と思ったのです。
一見ひどく冷たい言葉なのですがそうではなく良い意味で。
私たちは周りに起こる何らかの出来事によって傷付き、自分を責めたり苦しんだりすると思うのですが、
「傷付くか、傷付かないかは自分で選べるんでは?」と思ったのです。
親が毒親で苦労して小さい頃から傷付いてきた。全然私のことを大切にしてくれない彼氏と付き合って傷付きまくった。上司がパワハラ気味で暴言を吐かれたけど私が悪いからと飲み込んで傷付いてきた。お金がなくてバカにされた。
とかとか
傷付く出来事って人生でたくさんあるとは思うのですが、「その出来事って、本当にこの私が傷付くに値するの出来事なのかな?」と考えたほうがいい気がしてきました。
本当に私が悪くてその出来事が起こった?
もしかするとそもそもその彼氏は人柄が悪くてその他大勢にも失礼な態度をとってたかもしれない、その上司の人生は憐れむべきもので部下や弱い立場の人に当たり散らすしか方法がなかったのかもしれない。
そしてそのような人達と同じような苦しい人生を「私は歩みたくはない」とも思う。
近しい周りの人、特に上司とか親とか先輩とか同僚とか友達とかが言ってることって正しいように思えてしまうけど、その人たちが言うことを間に受けて傷付いたりしてしまうんだけども、その人たちが正しいって、誰が決めた?と思って。
傷付いたのは自分が勝手にその人達の意見を正しいと思って、自分の方が悪いと思った。そして自分で傷付くことを選んだのだなと。
で、そこで、疑問が湧いてきたのです!
自分軸(自己肯定のある人)と、ただの自信過剰で自信満々(=イタイ人)との違いはどこにあるのでしょうか?
自己肯定できるようになりたい、自分軸を確立したいと思う一方で、勘違い野郎にはなりたくないと思います。
自分軸があれば日々の些細なことで傷付かないし、私は悪くないと思えた方が楽だし生きやすいし楽観的で明るい。
でも、客観的に見て何も結果を出してないのに自信満々なイタイ人にはなりたくないし、自己満足だけの脳内お花畑で人生終わりたくない。何か思考のヒントを教えてくだされば幸いです。
(Yさん)
とてもいい気付きですねー!!
いくつかポイントがありますので、順にお話していこうと思います。
>「傷付くか、傷付かないかは自分で選べるんでは?」と思ったのです。
そう、まさにその通りなのですね。
「傷つけられた!」と人は騒ぐのですが、おっしゃる通り傷つくか傷つかないかは自分で選択できるので、傷つけられるということは本当はあり得ないのです。
そして、その傷つくかどうかは究極のところ「自己肯定感」がカギを握るのです。
もちろん、Yさんがおっしゃるように「自分軸」もものすごく大切な要素です。
例えば、私は昨年、パーソナルトレーニングを始めて以来、減るはずの体重がどういうわけか順調に増加しておりまして、なかなかふくよかな腹回りをしております。
そうすると久しぶりにお会いした方からは「だいぶふっくらされましたね」と丁寧にご指摘を頂くことがあり、「おかげさまで」とお答えする流れが定例化しております。
さて、そのとき「ふくよかな自分」を否定し、こんなんじゃダメだ!もっと痩せなければ!太ってたらモテない!ヤバい!と思っているとしたら、そのお客様のご指摘に私はいたく傷つくことになり、「いやいやそんなことはないですよ!」と反発したり、どよーんとした空気を醸し出してしまうことでしょう。
一方、その「ふくよかな自分」を肯定し、まあ、しょうがないよねー、と受容しているのであれば、そのご指摘に対して傷つくことなくにこやかに対処でき、「いやあ、心の豊かさが腹回りに現れてしまっているんでしょうかねえ?」などとボケをかますことすらできるでしょう。
あるいは、あるクライアントさんは「離婚」したことを人生の汚点であり、黒歴史であり、恥ずべきことと思っていました。そして、離婚してしまった自分を日夜休まず責め続けていらっしゃいました。
そうすると「テレビとかネットで離婚という話を聴くだけで気持ちが落ちてしまうんです。そういう話は聞きたくない!とすぐにチャンネルを変えてしまうんです。」という風に傷ついてしまいます。
一方、別のクライアントさんは円満に離婚され、むしろ、その解放感から「これで男をとっかえひっかえできるべ」と明るい希望をお持ちでした。
そうするとテレビやネットで離婚の話を聴いてもなんとも思わず、泥沼化しているニュースにも「たいへんだねー。うちは平和でよかったねえ」などと感想を漏らされるのです。
つまり、同じ言葉でも、同じ状況でも「傷つく人と傷つかない人」がいるんですな。
そして、それはその言葉や状況を自分がどう捉えているかによって変わるんです。
そうすると「誰かの発言などで元々あった傷に気付かされる」ということであり、それを人は「傷つけられた!」と思うわけです。
さらに正確に表現するのであれば、ただ傷があるだけであれば人はそれを「痛い」と思うだけです。
しかし、その傷をよくないことと思って否定していたり、嫌悪していたりすると、「傷つけられた」という被害者的な見方をしてしまうわけです。
つまり、傷があるだけでなく、そこに自己否定・自己嫌悪があるときに限りそう思うわけですね。
だから、「傷つけられた!」と思って被害者になったり、悲劇のヒロインになったり、反発して攻撃し返したり、拗ねたり、引きこもったりするわけです。
そういうわけで「傷つけられるかどうかは本人が決めている」というわけです。
だから、
>傷付く出来事って人生でたくさんあるとは思うのですが、「その出来事って、本当にこの私が傷付くに値するの出来事なのかな?」と考えたほうがいい気がしてきました。
こういう見方ってめちゃくちゃ大事なんですよね。
この「私が傷つくに値するできごとなのかな?」という問いかけはほんとうに素晴らしいものです。
そういう見方ができる時点で自己肯定感は低くないと言えますし、また、そう思うことで傷がすーっと消えていくこともあるものです。
というのもややこしい話ですが「ほんとうに傷ついているのか?」あるいは「傷ついてると思っているのか?」という違いもありまして、実はとっくに傷は癒えているのに「傷ついている」という思い込みだけが残っていることも多いのです。
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>近しい周りの人、特に上司とか親とか先輩とか同僚とか友達とかが言ってることって正しいように思えてしまうけど、その人たちが言うことを間に受けて傷付いたりしてしまうんだけども、その人たちが正しいって、誰が決めた?と思って。
いやあ、こういう気づきもものすごく素晴らしいものですねー。
「その人たちが正しいって、誰が決めた?」という視点もめちゃくちゃ素晴らしいものです。
こうして一歩引いて物事を捉えられるようになること自体が自己肯定感が高い証拠ですし、自分軸が確立されていることを表してますね。
いや、ほんと素晴らしい。
「あの人の言うことを正しいと思って真に受けてしまう」のも、実は「そもそも自分が間違っている」という思い込みがあるからです。
もちろん、「自分は正しい」と思う必要はなく、「正しいこともあれば、間違ってることもある」という中庸な姿勢でいることが大事です。
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そこでもう一つのテーマについて。
>自分軸(自己肯定のある人)と、ただの自信過剰で自信満々(=イタイ人)との違いはどこにあるのでしょうか?
感覚的な表現になるのですが、「地に足が着いている人」と「自分をよく見せようと背伸びしている人」というところで違いが表現できると思います。
自信過剰で自信満々な人ってのは地に足が着いておらずふわふわしています。
だから、言葉に「圧」はあっても「力」がないのであんまり響いてきません。
一生懸命語ってくれたとしても、聞いてるこちらがあんまり気分がよくないのです。
それで「イタイ人」と言われちゃうわけですね。
>でも、客観的に見て何も結果を出してないのに自信満々なイタイ人にはなりたくないし、自己満足だけの脳内お花畑で人生終わりたくない。何か思考のヒントを教えてくだされば幸いです。
で、こういう自信とか自分軸とか自己肯定感って結果を出してるかなんてどうでもいいんです。まったく関係ないんです。
結果を出していてもそれを自信に変えられてない人もいれば、結果は出していないけど自分軸で地に足が着いている人もいます。
だから、結果だけで判断すると逆にイタイ人になっちゃいます。
ほんとうの自信ってのは自分自身を信頼できてる状態なので、仮に結果が出ていても、出ていなくても謙虚に振舞うことができ、人の話に耳を傾けることができます。
先日「私に会えてよかったね」という話を書いて、けっこう反響をいただきました。、
自分を肯定し、自分に自信がある人は、何となくそういう風に思っているものです。
何かするから価値があるのではなく、何もしなくても存在していることに価値があることを知っているからです。
だからそういう方は「今、自分にできることをやろう」と思えます。
技術が未熟であっても「それが今の自分だから」と肯定できているので、「今の自分にできること」に取り組むことができます。
自己肯定感が低く、自分に自信がない人は未熟である自分を受け入れられず否定しているので、自分をよく見せようとしたり、相手を否定して自分を上げようとしたり、逆に自分を落として「こんな未熟な自分に依頼しないでください」と思います。
「自分軸」というのは地に足が着き、自分を受け入れられる余裕がある状態を作ってくれます。
自分を受け入れられるから他人のことも受け入れられるわけで、だから寛容な姿勢で人に向き合えます。
今の自分を受け入れられるからできることとできないことの線引きができています。だから、無理はしませんし、できることしかできません。
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ふだんから料理をしている人は自覚はなくても料理に自信があるので、誰かに「何か作って」と言われたら「ありあわせのものでいい?」と言って冷蔵庫を漁り、「これくらいしかできないけど」とテーブルに料理を並べてくれます。
一流店のような味じゃないことを受け入れているし、それを変だとも思っていません。
「自分が今できること」に徹しているので、よく見せようとも思わないし、とても自然体です。
しかし、「相手によく思われよう」と思い、ふだん作ったことのない凝った料理を作ろうとした途端、地に足が着かなくなり、「ああ、豚肉が足りない!コチジャンも切れちゃった!この材料じゃ何も作れないよ!」とか言い出したりしますし、何とか頑張って作った料理を相手に褒めて欲しくなります(承認欲求)。
つまり、自分軸が確立されていると「今の自分ができること」に意識を向けられるのでストレスのない、自然な行動が取れるようになるんです。
もちろん、これは行動だけでなく、頭の中でも同じです。
「三ツ星のレストランに比べれば味が落ちるよ」と指摘されても「そりゃそうでしょ?」と傷つくこともないわけですし、「美味しい!」と言われれば素直に喜べるようになるのです。
だから、自分軸を確立して「今できることをやればいい」と自分に許可を出すことは地に足が着いた生き方ができるだけでなく、自己肯定感も高めやすくなるのでとっても大切なあり方なんですよね。
ということで今日はYさんのネタをフォローするだけの話になりましたので、ぜひともYさんの気付きと合わせてご堪能いただければ幸いです。
いや、ほんと素晴らしい気付きですね!!!
★自分軸と人間関係について学ぶ本。
*文庫版『人のために頑張りすぎて疲れた時に読む本』 (だいわ文庫)
*新書版『なぜ、あなたは他人の目が気になるのか?』(フォレスト出版)
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