絶賛リトリートセミナー開催中です。
朝から晩まで全集中してますのでふだんのブログを書く時間がありません。
(昨夜は懇親会で3時間以上みなさんとしゃべり倒しておりましたし。)
で、こうしたプロセスセミナーってのはその場の空気感、エネルギー、雰囲気の「流れ」というものがあり、個々のシェアはバラバラでもその日を通した「テーマ」が天から与えられるものです。
昨日も親子関係、夫婦関係、仕事・ライフ―ワークと一見全く異なるシェア(ご相談)を頂いたのですが、そこを掘り下げていき、3本を通して眺めてみるとその「テーマ」が浮かび上がってきます。
つまり、これが今回この場に参加されている方の潜在意識・無意識層にある「ここを学びなさい」「ここに気付いておきなさい」「ここを解放しなさい」というテーマなわけです。
これがグループの面白いところであり、深いところです。
むしろ、私の立場はそうした「グループマインドを癒す」という意識を置くもので、それでグループセラピーが大きな効果をもたらすことになるんです。
なので、忘れないうちに昨日のうちにツイートしときました。
ほんと読み方も様々であり、この2つに限らず何層ものステージが同時並行で流れていますのでどこを拾うかは人それぞれなんですけどね。
リトリート初日のテーマのりとつは「気持ちはあるけどそれを表現しないから周りに伝わらない」らしい。きつくても我慢して大丈夫と言ってしまう、愛情があるのにそれを伝えない、本音を隠して付き合ってしまう等々。それを表現し、伝えて良いし、表現したほうがずっとうまくいくことが多いのだ。
— 根本裕幸|カウンセラー・作家・講師 (@nemotohiroyuki) May 3, 2023
意外と私たちは「表現していない」「伝えていない」のかもしれません。
愛情があるのに「察して欲しい」「気付いてくれるだろう」「表現するのが恥ずかしい」「それはこっそりやるものだ」みたいな思いから表現しないようにします。
また、その愛情表現も分かりやすければいいのですが「我慢する」「干渉する(支配する)」「相手に合わせる」「癒着(執着)する」「一人で背負う」等々、一見、それは愛なのか?違うだろ?と思われるものも多いんです。
確かにそれは愛とは言えないかもしれないけれど、でも、その中には愛があるんですね。
正確には「愛」に「罪悪感」「無価値感」「恥ずかしさ」「プライド」「怖れ」「不信感」「劣等感」などのネガティブな感情が混じり込んでそうなるんですけどね。
だから「旦那のことが好き過ぎて暴言を吐いてしまう」とか「娘のことが大好きだから束縛してしまう」とか「職場のみんなを助けたいから一人ですべてを背負う」ということが起こります。
「あなたのことを愛してるから飛び蹴りしちゃうの!」と言われてもそりゃあ受け取りづらいですし、は???となりますよね。
でも、自分にとっては(無意識的だけど)それが愛の表現なので、「旦那は愛を受け取ってくれない」「周りの人はあたしの愛に気付いてくれない」「あの子はあたしがどれだけ愛してるか分かってない」という風に感じるわけですし、そこから「あたしの愛には価値がない」みたいに思い込んでしまうんです。
このボタンの掛け違いのようなことが日常の人間関係では頻繁に起きてるのです。
じゃあ、なんでそんな愛情表現をしてしまうのか?と言えば、こちらです。
リトリート初日のテーマのもうひとつは「私達は親から愛情表現を学んてきた」ということ。過干渉な親のもとで育つと好きな人に干渉したくなるし、親が背負うタイプだと子供も背負うことで愛を示そうとする。まずは自分の愛情表現に気づくことが大切。
— 根本裕幸|カウンセラー・作家・講師 (@nemotohiroyuki) May 3, 2023
多くの場合、私たちは親から愛情表現を学びます。
学ぶというよりも真似るんです。
ここからはすごく違和感のあるお話になるかもしれませんが、母親がたいへん情熱的で愛情深く、それ故「干渉する/支配する」という愛情表現を取るとします。
「あなたに幸せになってほしいからあたしの思う通りに生きて!」みたいなものです。
とはいえ、干渉・支配される子どもとしては窮屈でしかないわけですから、やがてその母親に反発して自立して母親との関係を切ろうとして生きます。
そうして自立系武闘派女子として立派に成長された皆様が出来上がるのですね。
でも、子どもからすればそれが愛だなんて意識的には思わず、そんな母親を忌避するわけですけれど、その裏に愛があることは実は潜在意識は知っています。
もちろん、今はどうか分かりませんが、子どもの頃はそんな母親のことが大好きだったわけですから、そこでは愛のやり取りがあったんです。
そうして私たちは「愛するということは干渉し、支配することだ」ということを学びます。
そして、不思議なことにパートナーに対して、自分が産んだ子どもに対して、同じことをやってしまいます。
でも、母親に反発しているならばその自覚は持たないようにしますし、むしろ、母親とは違うことをやってるつもりです。
が、客観的に見れば「たいへんそっくり」だったりするんです。
一方、そんな母親の愛し方に反発して反面教師にするケースもありますが、反対のことをしていても基準は母親ですから内面的には変わりません。
ちなみにお気づきの方も多いと思いますが、その母親もまたその両親からそうした愛情表現を学んできたんですよね。
ということで、私たちの愛情表現は親から学んだものをベースに培われている、ということでそれを参考に自分の愛情表現を知りましょう。
ちなみに筆者は「直接的で情熱的な愛情表現をする母」と「遠くから見守り、お金を与える父」の元で育ちましたが、まさに自分はそのミックスなんだなあ、ということを家族(ワンコ含む)への愛情表現でしみじみと感じているところです。
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さて、まずは知ることが大切で、その次はそれを受け入れることなのでその先のことはまだ考えてはいけません。
その愛情表現が嫌だ!変えたい!と思っても、まずは受け入れること(自己肯定感)が必要で、それを変えるためにはそのルーツとなる親との関係を見つめていき、親の愛し方を受け入れ(肯定し)、改めて親の愛を受け取ることが求められます。
潜在意識にしっかり刻まれた愛し方ですから、そのレベルまで降りて行かないと変えられないんです。
表面的な言動を変えるだけでは難しいのです。
でも、新たな方法を採り入れることはまだ可能です。
それはスキルですから学び、磨くことができるんです。
だから、愛情があるならばそれをちゃんと表現しましょう!というところが一歩目です。
ちゃんと伝える。
ちゃんと表現する。
ここに意識を置いて「頑張る」んです。
だから、愛情(ほんとは愛情だけじゃなくてあらゆる感情がそうなんだけど)は言葉で伝えることを意識してみてください。