リトリートセミナーというグループセラピーは「偶然性」というのを大切にするんです。
「たまたま○○だった」
「なんかそんな気がする」
「なんで今、こんなことが起きたんやろ?」
ふだんだったら「単なる偶然」で済ませてしまうことも、なぜ今、このタイミングで、こういうことが起きたのか?という意味をわざわざ見るんです。
なぜかというと私たちの無意識はそうした「偶然性」によって現れるからです。
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朝いちばんのセッション。
フォーカスパーソンになった方の隣の方が遅刻されていました。
だから、その方のシェアを聴いているとき左隣の席がしばらく空いたままでした。
なぜ、フォーカスに当たった人の隣の席が空いているのだろう?
そう思いながら彼女の話を聴いていました。
そして、遅れてきた方が座られたとき、彼女にこう聞いたんですね。
「隣の方ってどんな人に見えます?」
そしたら彼女は「自由な人」って答えられたんです。
時間に縛られず、自由に生きてる人という意味でした。
なるほどーと思いました。
彼女が隠している才能であり、今の問題を解くカギってのは「自由」にあるんだね、と。
つまり、彼女の隣の席は「自由」を意味していて、その席が空いていたということは、今、彼女には「自由がない」ということと解釈できるわけです。
もし、あなただったら遅刻してきた隣の人を見て何て答えられるでしょう?
もちろん、その隣に座った方の雰囲気とかキャラによって変わると思います。
けど、すぐ隣にあるべき要素がない、ということに着目するんです。
だから、彼女に今必要なものは「自由」であり、そして、それはたぶん彼女の才能のひとつで、それを今日、開くということなんだろうな、ということを思いました。
私にその役割が与えられたんだな、と。
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こうしてリトリートセミナーのセッションを作っていくんです。
私自身もできるだけ意志を持たずに流れに身を任せて、自然であるように心がけます。
そうして、そこに起きている意味をできるだけ読み取ろうとしますし、直感を多用します。
だから、私はけっこう傍観者であり観察者のポジションに立っています。
全体を見て、参加者やスタッフの動きを眺め、何ならセミナールームの外から聞こえてくる音にも耳を傾けます。
でも、それは意識的に聴いているというよりは「このタイミングで聞かされている音に意識を向ける」「この状況で気になる動きをしてる人に意識を向ける」ということをやっています。
だから、「なんかあの空席が気になるな」と思ったので、このセッションはそこを扱うことにしました。
そして、「自由」という彼女の才能が見つかったとき、次々と言葉が下りてきて彼女のさらなる才能や価値を見つけていくことになりました。
そうした才能や価値を受け取るセッションをしてもよかったのですが、なんかそれは違うなー、そこでまとめるのは違うなあ、と感じたので、さらにそこから彼女のライフワークやヴィジョンを見ていくことにしました。
「もし、自分の価値や才能を100%活かせたら自分はどうなると思う?」というようなことを質問してみました。
彼女の答えは「糸の切れた凧になる」というものでした。
あれ?と思いました。
ふつう、自分の才能や価値を100%活かすことができたらめっちゃすごい人生になるとポジティブに捉えられるものですが、彼女は決してポジティブとは言えない回答をされたんです。
なるほどー、と思うんです。
そっか、彼女はおそらく「家族のため」に、自らの脚に石を括りつけ、「自由」になってあちこちを飛び回らぬよう、自分を抑えてきたんだ、と気付きました。
たぶん、それが彼女の愛し方のひとつなのですが、でも、それは彼女を苦しめるものでもありました。
(実は彼女の妹がとても自由人なんですよね)
そして、ああ、これこそがセクシャリティの問題だから、そこを解放していく必要があると思いました。
だから、グループセラピーならではのセクシャリティの解放を行いました。
彼女の表情がより女性的で柔らかく、自然で、かつすっきりしたものに変わっていくのがとても印象的でした。
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2日目ともなれば頭で考えるのは「説明」のときで、セッションの進行はほとんどそんな直感によるものです。
そんな気がする。
なんかそう思う。
なぜかそう感じる。
最初のセッションでそんな「才能」を扱うことになったので、今日一日はそこにまつわるテーマが続くことになりました。
1本目のセッションというのはその日の流れを作ります。
(ちなみにセミナー1本目のセッションはセミナー全体の流れを作ります。)
そして、決して自分が意図したわけではないけれど、フォーカスパーソンの価値や才能を発掘していく日になりました。
それはまるで何か大きなものに「これをやんなさい」「今日はこれを扱いなさい」「今はこれをやるとええで」と指示されているような気がするものです。
ああ、なるほど、それをやれってことね。
え?なんで今、これを見せるん?
自分の力ではなく、何者かに援助を受けてるような感じであり、そこに自分自身を委ねている感じ。
そうなると自分の力は使いませんし、無理もできませんから、私自身も楽です。
だから、不思議なことに1日がかりのセミナーにも関わらず、私はほとんど疲れません。
そして、もちろん私自身も癒されているのでむしろ気分が良いくらいです。
リトリートセミナーは日を追うごとに深まりを見せていきます。
3日目は果たしてどんな1日になるんでしょう。
けっこう2日目で行くところまで行った気がするので、この先に何があるのかは楽しみであり、ちょっと怖い気がするんです。