「与える」と「犠牲」と「取引」の違い~良かれと思って与えていてもある時点から犠牲に変わってしんどくなることもあるんだよね~



相手を喜ばせてあげたいとおもって喜んでやっていることも、日常のストレスとか相手への隠れた不満などが積み重なると「犠牲」になったり、「取引」になったりするものです。
だから、自分の心の機微を捉え、しんどくなったら一旦やめることを選択できるようになりたいですね。

根本先生、こんばんは。Mです。ブログ、ユーチューブ、毎日楽しみにしています!
何度かお世話になっています。有難うございます。
昨年秋に離婚したアラフィフ、ハードワーカーです。同じくハードワーカー、不倫関係が10年になるパートナーがいます。
パートナーは食事を取る時間もとれないほど忙しく過ごしています。仕事も重責で辛そうです。
私は食事を作ったり、夜食用のお弁当を作って届けたりしています。食べて喜んでいるのを感じると「私は人の世話をするのが好きなんだ。楽しい」と落ち着いた気持ちで過ごせています。
パートナーの仕事がたまたま早く終わった日があり、私に会いにくると思っていました。が、パートナーはジムに行き、そのまま家に帰ってしまいました。(家に早めに帰らないといけない理由があったようです。)
家に帰ることは、問題ありません。私も疲れていたし、会わなくてホッとした気持ちもありました。ただ後から「なんでこっちに寄らない理由を伝えないんだ」という思いが沸々とわいてきました。
「仕事の合間を利用して食事の準備をして届けたり、少しでも力を抜く時間を作ってほしいといつも笑顔でいたのに、なんやねん。「行きたいけど、今日は用事があるから行けない」の一言ぐらい言われへんのか。いつも私ばっかり頑張っている気がする。」と怒りがわいてきました。表現下手な人なので、いつもは私が「こういう事なのだろうな」と想像して、済ませています。
「お世話をすることが好き」という気持ちは、私の本心なのでしょうか。犠牲なのでしょうか。
パートナーと会っている時間はとても楽しいのですが、一人になった時、疲れがどっと出ます。仕事の疲れも重なり、動けない日もあります。一人の時間は寂しくもありますが、くつろげます。
自分の本心がわからないです。
(Mさん)

こういう「お世話をすることが好きなはずなのになぜ?」という気分になることってよくありまして「好きなはずなのに」「一緒にいて落ち着くはずなのに」「この会社が好きだと思ってたのに」「この仕事を楽しめてると思ってるのに」みたいな感じになることもあるでしょう。

好きな人に対してもムカつくもんはムカつくし、時には「別れたろか!」と思うことだってあるわけですね。

「本心なのか犠牲なのか」という2択に迷ったときは「どっちもある」というグレーな結論を出しておくとよいと思います。

逆に言えば、そんなどっちかになるなんてことはないわけで、例えば「料理が大好き!」という人だって、全力で富士山に登ったあとにビーフストロガノフなんて作れないと思うんですよね。

こうした問題は「与えることと犠牲の違い」というテーマで語られるものです。

「与える」も「犠牲」も、相手が喜ぶことをしてあげることに違いはないのですが、「与える」はそれをすること自体に喜びを感じられ、相手の反応を気にしません。

しかし「犠牲」はほんとはしたくないんだけどしないといけない気がしてすることを言います。だから、相手の反応に期待していて、それに反して喜んでくれなかったりするとイヤな気分になります。

また、「取引」というのもありまして、「これしてあげるからアレしてね」という心理を表します。

「与える」は愛ですが、「犠牲」と「取引」は愛ではありません。

具体的にMさんの「夜食用のお弁当を作ってあげる」という餌付け作戦をベースに話をしましょう。

彼が喜ぶと思ってお弁当を作り、そのこと自体が喜びであり、「彼に食べてもらえるだけでうれしい」と思い、彼の反応なんて気にならないのであれば、それは「与える」になります。

でも、「なんか今日は疲れてるし、ひとりで過ごしたい気分なんやけど、でも、彼、お弁当楽しみにしてるよなー。正直今日はめんどくさいんだよねー。でも、作ってあげないと可哀想だし、それであたしの好感度落ちてもイヤだから頑張って作るかー」という気持ちであれば「犠牲」です。

また、「こうしていつもご飯作ったり、お弁当作ったりしてるんだから、まさかあたしのこと嫌いになったり、捨てたりしないよねえ?」と思っているのであればそれは「取引」です。

で、正直、これって日によって変わると思うんですよね。

「今日はけっこう与えられてる日だ」ということもあれば「うん、今日は正直、犠牲の部分が大きい」ということもあるでしょう。

だから、「平均すれば「与える」が大きいよな」と思えるなら良しとした方がいいと思います。

でも、「常に「与える」でなければならない」なんて思うとプレッシャーにしかならないですし、そもそもそんな気持ちでやってもそれは「犠牲」なものです。

その日の気分や自分の状態や気候によって「与える」が「犠牲」や「取引」になってしまってもいいんです。

もちろん、そのときに「純度100%の与えるじゃなきゃいけない!」と思っちゃダメですよ。

そんなの難しいに決まってますから。

で、その愛だの犠牲だの取引だのってに気付くのが「その後の反応」なんですね。

「与える」のつもりだったけど実は「犠牲」だった、みたいなことは自分の感情で分かるんです。

そう、怒りが出てきたら「それはたぶん犠牲か取引だったんだね」ということですね。他にも「悲しい」とか「悔しい」とか「キモい」とか要するにネガティブな気持ちが動いたら「ああ、それは愛のつもりだったけど犠牲やったんや」ということです。

つまり、「しんどいのに頑張ってやったんだからちゃんと喜んでよ!」という風に思っちゃったときに「はっ!あたし、与えるつもりで犠牲してた!」と気づけるわけです。

そしたら「うん、犠牲はいらん。手放そう」という風に選択しなおせたら良いですね。

「ああ、与えてるつもりでまだまだ犠牲が混じってたんだなあ」という風に捉えれば良いんです。

そんな完璧にはなれないものですから。

ということで与える、犠牲、取引の違いは何となく分かったと思うのですが、もう少しMさんの話を見ていくことにしましょう。

>パートナーと会っている時間はとても楽しいのですが、一人になった時、疲れがどっと出ます。仕事の疲れも重なり、動けない日もあります。一人の時間は寂しくもありますが、くつろげます。

人ってそういうもんなんよねー、という話です。

もうアラフィフっていうくらい大人なものですから「楽しいだけ」とか「しんどいだけ」ということはないと思います。楽しいときもあればしんどいときもあるって感じで。

自立してるから一人で過ごしたいときもあって、ひとり時間が「ああ、気を遣わんで楽やわあ」と思うときもあるわけです。

でも、やっぱりひとりってのは寂しいわけですから「誰かと一緒にいたい」と思うのもまた当然のことと思います。

あるときは一人でいたいし、またあるときは一緒にいたいってことです。

ハードワークされてるくらいですから当然疲れも溜まりやすいですし、そもそも時間の融通もそんなに利かないかもしれません。

そうすると限られたリソース(体力、気力、時間等)をあれこれ分配する必要に迫られるわけですよね。

大人になるってことは大切なものが増えるってことでもありますから、ひとつに絞るのも難しいです。

また、彼との関係についても

>「仕事の合間を利用して食事の準備をして届けたり、少しでも力を抜く時間を作ってほしいといつも笑顔でいたのに、なんやねん。「行きたいけど、今日は用事があるから行けない」の一言ぐらい言われへんのか。いつも私ばっかり頑張っている気がする。」と怒りがわいてきました。表現下手な人なので、いつもは私が「こういう事なのだろうな」と想像して、済ませています。

という状態なのでほんと「お世話をしてる」という感覚が正しいのかもしれません。

この「こういうことなんだろうなあ」と察して動いていらっしゃるわけですけれど、でも、正直、それだけだと不満が溜まったり、不安になったりすることってありません?

彼のことを色々と考えて動いてあげてるし、いろんなことを察して先回りしてあげてるし、少しでも負担にならぬよう配慮をしまくってるのにそれが伝わらないと思うと切ないですよね。

表現が下手なのを受け入れられてるのはさすがですが、でも、やっぱり何か欲しいですよね。

で、そうした不満みたいなものが少しずつ溜まってるんだろうと思います。

自分が元気な時は良いけれど少しストレスが増えてくるとやっぱ爆発してしまいますよね。

それが今回出てしまったのかもしれません。

なんぼ聖人みたいな人でも人間だからそういう不満ってのは溜まるものですから。

ということは、色々と賢い女をやり過ぎているんじゃないか?という疑惑も浮かびますね。

実際どうなのかは分からないけれど、色々と賢く振舞って相手をご機嫌にさせてあげるのは時間をお金に変えてるホステスさんならいいけれど、そうじゃない場合、彼女から都合のいい女に気が付けば立場が変わってたなんてこともあり得ます。

だから、もしかしたら犠牲だけでなく、我慢してることもいっぱいあるんじゃないのかな?と思われるのです。

でも、その辺は賢く、かつ、仕事ができる女子がハマりやすい罠でもありますから、ちょっとした自分のネガティブな心の動きも見逃さないようにした方がいいかもしれません。

確かに、与えるのが好きで、与え上手であることは確かだと思います。

けど、やり過ぎてかえってそれがストレスになるのであれば、それは犠牲です。

ということで「楽しい」うちは大丈夫だけど「しんどい」が出てきたらそこでストップする勇気を持ちましょう。

そこでちゃんと自分をケアしてあげて、また元気になって、それでまた与えられるようになっていけばいいんです。

できる人、強い人ほどそんな自分の心の機微を無視しやすいので注意していきましょうね。

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