セミナー動画:応用心理学講座「ペルソナ~自分を偽ることで得られる不都合な現実~」



ペルソナは幼少期から必然的な流れで身に着けてきた「○○用の自分」のことを指すわけで、誰もが何種類も所持しているものです。
しかし、素顔に戻ることを忘れ、常にペルソナを着け続けているならば生き辛くなって、やりたいことも見つからなくなってしまうのです。

子どもの頃から私たちは「本来の自分」を封印して「愛されるための自分」になろうと頑張って成長してきました。

それは「処世術」とも言うべきもので、「こんな自分では生き残れない!」と思った分だけ、「愛されるための自分」を研究し、そういう自分になっていくのです。

そうして身に着けた自分のことを「仮面/ペルソナ」と言います。

私たちは少なからずペルソナを身に着け、世の中を渡っています。

もちろん、それは悪いことではありません。
役立つこともいっぱいあるし、それがあったほうがうまくいくこともたくさんあります。

しかし、その一方でそのペルソナを着けているがゆえに生き辛さを感じることも少なくありません。

ちょうど最近は「マスクを外そう!」というキャンペーンが張られているところで、私などはそもそもマスクに慣れてないので基本的に外しているのですが、逆にすっかりマスク生活に慣れてしまい、外せって言われても外すことに抵抗を覚える方もいらっしゃるでしょう。

ちょうどそんな感じで「ペルソナ(仮面)を着けてることは分かるけれど、それを外すことに抵抗がある」という心理が生まれるんです。

ある女性にお会いしたときの話です。

物静かで淡々とお話をされるのですが、私は最初にお会いした時からその態度に何か違和感を覚えていました。

「えっとー、○○さんって元々そんな大人しいタイプなんでしょうか?」

そんな質問を真っ先にしてしまったんですよね。
それくらい「なんか違う!」という感覚がしていたんです。

すると彼女はこういう話をしてくれました。

「家がとても厳しくて小さい頃からきちんと躾けられました。騒いだり、暴れたりするのはご法度で、ちょっとでも大声を出そうものなら父や母から激しく怒られましたし、姿勢もきちんとすることを求められました。」

彼女の家は古い家系で母親が日舞の家元(?)だったり、父親も堅い仕事に就いていたので相当厳しかったんですよね。

彼女も幼少期からお茶や習字などの習い事に勤しみ、仕事も父親と同じ業界に入られた、きちんとした長女だったんですよね。

でも、なんか雰囲気が違うんですよね。

で、そのご相談は「不倫している彼とのこと、そして、自己喪失」というテーマでした。

「ま、そりゃそうだよねえ」と彼女を見ながら納得してしまったわけです。

「本来のあなたはもっと明るくてにぎやかで、どっちかというとお転婆娘じゃないの?で、やっぱ情熱の女だと思うんですよねえ」

どうやら記憶をたどれば幼稚園の頃の彼女はまさにそんな感じだったそうで、家で大人しくしなければならなかった分、幼稚園では相当暴れていたそうです。

しかし、それもお母さんから厳しく戒められまして、小学校に上がる頃には学校でも「きちんとした静かな子」になっていたそうです。

典型的な例をひとつご紹介しましたが、多かれ少なかれ、私たちは子ども時代、「親から見捨てられたら生き残れない」という環境にあり、同時に「大好きなお父さん、お母さんからいっぱい愛されたい」という思いを持っています。

この2つの欲求は強烈なもので、自分の人格を捻じ曲げてでも成し遂げなければいけない課題なんですね。

それでこの例に挙げた彼女は「お転婆なお姫様」から「物静かできちんとしたお姉さん」にキャラ変したわけです。

そこで質問です。

皆さんの場合はどうでしょうか?

「○○」から「△△」にキャラ変した。

この○○と△△に適切な文字を入れて文章を完成させてください。

・・・なんて質問にすらすら答えられたらたぶん苦労はしないものですよね。

で、この「物静かできちんとしたお姉さん」というのが「ペルソナ」というべきものです。これも彼女の一部であり、個性であり、時に長所として振舞うものでもあるのですが、一方で、生き辛さ、苦しさ、自己喪失を生む原因となります。

「自分が何者か分からない」
「自分がほんとうにしたいことが見つからない」
「なにか自分にウソをついているような気がする」
「昔から何となく生き辛さを感じていた」
「どこに行っても違和感を感じて浮いてる感覚がある」

そんな思いをお持ちの方は、だいぶペルソナが凝り固まってしまってるのかもしれません。

このペルソナも決して悪いものではないし、時には長所、強みになるものです。
ただしそれは「取り外し可能」であることが条件です。

例えば、自立系武闘派女子の皆さんはふだんは大衆酒場で「おい、早く酒持ってこいや。まだ焼き鳥はできねえのか?こっちはまだカレーライスとラーメンしか食ってねえんだから腹減ってんだよー!」と悪態を付いていらっしゃると思うんですが、帝国ホテルのロビーラウンジでお見合いをする際などは「趣味は読書と美術鑑賞です。先日は上野の国立美術館にてモネを鑑賞して参りましたわ」と小指を立てながらお紅茶を飲まれてると思います。

この帝国ホテルバージョンの自分がペルソナを着けてる自分なのですが、さすがに初対面の殿方とロビーラウンジでお見合いするときに紅茶を牛飲し、ケーキを一口で食べるなんてことはしないと思います。(ですよね?)

だから、ペルソナは時には役立つものですけれど、そんな武闘派女子が常に帝国ホテルバージョンで生活してたら息が詰まると思いません?

でも、マスクも始めは苦しかったけどだんだん慣れてしまったように、ペルソナも徐々に違和感を覚えなくなり、それが当たり前になってしまうんです。

そりゃあ命がかかってるんだから必死ですよね。

そうするとペルソナを着けている自分が本来の自分だと思い込むようになり、その仮面の裏にある素顔をすっかり忘れてしまうってこともよくあるものです。

そして、そうなるプロセスにおいては「お転婆な自分をめっちゃ嫌い、恥じる」なんて行為もよく行われるもので、大人しくて清楚できちんとした自分がほんとうの自分だと思い込もうとするものです。

「ペルソナを着けているのは苦しい。けれど、自分が悪いんだからしょうがない」なんて思うわけです。

繰り返しますがペルソナが悪いわけではありませんし、それも自分の一部であることは間違いありません。

またペルソナは1つな訳はなく、様々な種類を持ち合わせます。

一般的にOLの皆さまは「オフィス用」「給湯室用」「友達用」「お母さん用」などの日常的なペルソナの他に「イケメンな男性を前にしたとき専用仮面」「マイクを持ったとき専用仮面」などのペルソナをお持ちかと思いますが、そんなもんですよね。

ただ、様々なペルソナを常に付け替えているがゆえに、余計に素顔が分からなくなるのです。

素顔が分からないということは、自分の本音が分からなくなる、ということです。

そこから様々な問題が派生していきます。

例えば「自分がほんとうにやりたいことが分からない」というのは代表的な問題です。

自分を偽って生きているわけですから、そりゃそうだよね、ということになるのですが、好きなものややりたいことが見つからずに悶々とした日々を過ごすことになります。

また、そのペルソナを着けている時の違和感というのは「ここじゃない感」を作り上げるものです。

どこにいてもなんか居心地が悪く、「自分の居場所はここじゃない」という感覚が出てきます。

だから、ひたすら自分に合う場所を探し続ける青い鳥症候群になってしまうことも少なくありません。

また、そうした生き方は相当のストレスを抱えるものですから疲れやすくなったり、20代後半くらいからちょっと「燃え尽き症候群」みたいな状態になることも珍しくはないものです。

もちろん、自分の価値、魅力、長所などもぼやけてよく見えませんし、ペルソナを着けた自分を褒められても、胸にパットを詰め込んでるときに「巨乳だね!」と言われるくらい嫌な感じがするものです。

そうするとペルソナを外した素顔の自分ってどんななんだろう?と興味が湧いてくると思います。

その素顔を探るポイントというのは意外なところにあるものです。

それは「自己嫌悪」です。

先ほどチラッと書きましたが、ペルソナを着けるとき、私たちは素顔の自分を否定します。

頬のシミをファンデーションで隠すのは、そのシミを嫌っているからですよね?

素顔の自分を嫌いにならないと、ペルソナなんて着けられないんです。

「明るくて元気でお転婆」という風に言えば長所ですよね?魅力ですよね?

けれど、それを「落ち着きがなくて、騒がしくて、女の子らしくなくて、ガサツで、大雑把」という風に捉えて嫌い、「こんな自分じゃ愛されない!」と思って、「おとなしくて物静かできちんとしているお姉さん」にキャラ変するわけです。

「セクシャリティが強くて色っぽい」という魅力だって「色気づいちゃってイヤらしい。めっちゃ気持ち悪い。」という自己嫌悪に変貌させます。

だから、案外、素顔の自分ってのは、今自分が持ってる自己嫌悪の中にあったりするんです。

その自己嫌悪を長所に変換してみると・・・もしかしたら、素顔の自分が見えてくるかもしれません。

カウンセリングやグループセッションをしていると、長年いろんな人に会ってきたせいか、そういう「違和感」みたいなものをヒシヒシと感じられるようになりました。

長年ペルソナを着けて来て、自分でもその素顔が分からなくなっているのに、なんかその雰囲気が漏れ出てきてるような感じがします。

でも、それって別に私が特別なわけではなく、きっと周りの人はみんな気付いていることです。

だから、長い付き合いの友達がいるならば「ほんとのあたしってどんな女だと思う?」って聞いて見られるのもひとつです。

こんな話を耳にすることも珍しくありません。

「あたしって長女だし、きっちりしっかりして面白みのない女だと思ってたんですけど、友達に聞いてみたら『あんたはそういうつもりかもしれんけど、意外と抜けてるところいっぱいあるよ。むしろ、天然で面白い女だと思うよ。』と言われて愕然としたんです!」

そもそもあなたが気持ちよく付き合ってる友達ってどんな友達が多いんでしょう?
もちろん、彼ら・彼女らもペルソナを着けてるわけですけれど、類友って言われるように、彼ら・彼女らを観察してみると自分の魅力、そして、本来の自分も発見できるかもしれません。

「あたしは大人しくて地味な女なんですけれど、周りはキラキラした華やかな女子が多いんですよね。」という環境に生息しているならば、本来の自分は・・・。

そんな風に幼少期から致し方ない事情によりペルソナを着けて生きることになったわけですから、それを否定する必要はありませんが、やはり着脱可能にし、いつでもペルソナを脱いで生きられるようになりたいですよね?

で、そうした隠れた自分の魅力を知り、それを受け取るってことも大切な要素です。
イヤでも「ほんとに自分はキラキラして華やかな女なんだ」ということを思い込んでもいいくらいなんです。

ただ、本質的な部分に目を向けるのであれば、やはり親子関係に着目するのは非常に重要かつ効果的で、今こそ、改めて両親を許していくプロセスに取り組むのも大事です。

両親を許すことの目的は「ああ、親なりに自分のことを愛してくれてたんだなあ」とか「親もけっこう葛藤があり、十分愛せなかったことに罪悪感を持っているんだなあ」ということを理解することであり、同時に「あたしなりに頑張って両親を愛してきたよなあ。頑張ったよなあ、あたし」などとかつての自分を褒め称えてあげることにあります。

メイクを落として素顔になると、特に夏なんかはホッとしませんか?
気軽な部屋着でのんびり過ごすのって気持ちよくないですか?
気を遣わずに何でもしゃべれる相手との時間って楽じゃないですか?

ペルソナを脱いだ自分ってそんな時間を人間関係の中で感じられるようになるんです。

そしたら、自分が好きなこと、やりたいこと、生きたい生き方などもより明確に見えてくると思うんです。

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ペルソナ(仮面)。仕方なく作り上げてきた偽りの自分。


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ペルソナ(仮面)。仕方なく作り上げてきた偽りの自分。

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