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心と体の性別に違和感を覚えている場合のセクシャリティの解放について考えます。
とはいえ、セクシャリティの解放の本質というのは「ありのままの自分で生きること」なので、トランスジェンダーでもシスジェンダーでもそこはあまり変わらないのかもしれません。
その解放のための「質問」をいくつか並べてますのでみなさん考えてみてください。
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父子家庭+祖母の3人家族で物心ついたときから虐待を受けて育った私もどうやら自立系らしいと知りました。
母親に似たという豊かな胸と安産体型のおかげで、小5からは性的虐待も開始し、セクシャリティがこじれにこじれまくった自覚があります。
一時期は女であることがバレたくないと思うほど恐怖を感じていました。
現在は在宅で過ごすようになったせいか、性同一性障害の診断が出たせいもあるのか、「まあ見た目がどうなっても中身は変わらないしなー」と思えます。
ただ、胸の切除をするかどうか、この10年決められずにいます。
ナベシャツで胸を平らにつぶすと気分が上がって、自信も持てるし、本来の自分になったように感じます。
昨年、U字切開という方法なら傷跡も目立たないから手術に踏み切ろうと決めました。
ところが、私の胸は豊かすぎるので皮膚を切除して乳首まで移動させないといけないと説明されたのです。
震え上がって退散しました。
それ以来、手術の件がふりだしに戻った感じがします。
「胸を切除するなんてやっぱりいけないのでは?私の体は女性なんだから、いつか男性に差し出すときにがっかりされてしまう」
「そもそも性的虐待を受けていたから胸が嫌なのでは?女性であることを受け入れないと、手術したら後悔してしまう。もったいない」
と叱る私と、
「いやいや逆かもよ? 胸があることでセクシャリティが抑えられてるってことはないの? ぺたんこまったいらになることで本来の自分の魅力が惜しみなく発揮できるんじゃないの?」
と唆す私がいます。
トランスジェンダーとしてのセクシャリティの解放ってなんでしょう?
性的虐待の過去がある場合、女性としての自信を付ける方が先なのでしょうか。
正直、体型からして女性らしさにまみれた人生なので、胸のひとつやふたつ取ったくらいで相手に与えられるものはほぼ変わらない気もするのですが……。
シスジェンダーとトランスジェンダーではセクシャリティの意味が異なるのか、教えていただけますと嬉しいです。
(Hさん)
もしHさんの胸が元々ぺったんこだったとしたらU字切開に簡単に踏み出せると思います?
まあ、あくまで想像の世界なので何とも言えないかもしれませんが・・・。
ちなみに「切り取るならあたしにくれ!」と心の叫びをあげる読者様が大量にいらっしゃるかと思うのですが、そこに抵抗を覚えるのも複数の感情が混じっているからだと思うのですね。
(1)胸は女性のシンボル。トランスジェンダーである自分はそのシンボルを切り落として自分らしくありたい。
(2)胸も私の肉体の一部。それを切ってしまうのは果たして良いことなのか?まるで腕の一部を切り落とすようなものではないのか?
Hさんの大きな葛藤は自分自身のジェンダーに照らし合わせれば「胸はいらないもの」になるのに対し、肉体として見れば「わざわざあるものを失くすのはいかがなものか?」という思いが出てくるんじゃないかと思うのですね。
だから、なかなかこの問題って複雑なんだと思います。
・・・というのもかつて似たようなご相談を大阪・堂山町界隈の住人からけっこう頂いた時期があるんです。
FtMの方にとって胸ってのはなかなかやっかいなものでして、躊躇なく胸を切除し、膣を塞ぐ手術等に挑まれる方もいらっしゃれば、そこにものすごい抵抗を覚える方もいらっしゃいました。
また、見た目と戸籍上の性別が逆のカップルをカウンセリングしていたこともあるのですが、彼女(戸籍上は男性)が自分の男性器を切り落とすことにすごい怖れを抱いていて、彼氏(工事済み)も強くは押せないし、果たしてどうしたものか?というご相談でした。
で、「結局は気持ちの問題なんだから切るかどうかは好きにしたらいいんじゃね?自分にとって何が大切なのか?ということをちゃんと見つめてみるのが大事なんやから」的なお話をしていました。
Hさんもたぶん分かるかと思いますが、自らの性別に疑問を抱き、長らく悩んできた方はかなり深い精神的な話ができることが多く、彼女・彼らとのカウンセリングも「セックスの話、もしくは、哲学的命題」が常に話題の中心でした。
「肉体を超越して精神性だけで男として生きることは可能か?」とか「手術を怖れる彼女をも愛することが私の使命ではないか?」とか「あたしがちゃんと女になって、彼に男である喜びを与えてあげたい!という思いが強くなれば躊躇なく手術に踏み切れるのか?」というような。
胸を切除して喜びを得た方も知っていますが、その逆に、身体にメスを入れることで何らかのアイデンティティを失ってしまってメンタルがボロボロになった方もいらっしゃいます。
そこから私にとってHさんの問題は「切るかどうか?ではなく、どう生きるか?」というテーマとして扱ってみるのが良いと思うのですね。
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で、この辺いくつか確認したいことがありまして、性同一性障害の診断が出たということはHさんの恋愛対象は女性ということなのでしょうか?
つまり、いつか男性に差し出す機会もあり得るのでしょうか?
それから生理が来るとものすごく気分が落ちたり、自虐的になったりすることはありますか?
あと、男性とのセックスは経験があるのでしょうか?それは喜びよりも違和感や嫌悪感の方が強かったでしょうか?
また、女性とのセックスはどうでしょうか?そのとき性的興奮は得られたのでしょうか?
・・・ほかにもいろいろと細かい話をお聞きしたいのですが、それはまたの機会に譲るとして勝手に話を進めていきたいと思います。
さて、自分の性別に大いなる疑問を持ちつつも、皮肉なことに自分の体は誰が見ても女性らしい、という矛盾を与えられてるHさんは葛藤もまためちゃくちゃ強くなると思うのですが、Hさんのおっしゃる「そもそも性的虐待を受けていたから胸が嫌なのでは?」という部分がちょいと気になるところなのは確かです。
性的虐待がきっかけで本来の性別を強烈に嫌悪するようになり、異性になることを望むようになるケースも実は少なくないからです。
女であることを忌み嫌った結果、男になりたいと思うわけですが、その嫌悪感が強烈であればあるほど女性であることのシンボルである胸や性器を嫌悪し、切り取りたくなる場合も少なくないのです。(もちろん、その逆もまたよくあるケースです。)
だから、もしその性的虐待で受けた傷が癒されるとしたら、Hさんは「女で良かった!」と思える可能性もあるかもしれない、ということです。
ただ、この辺はほんと安易には判断できなくて、仮にそうであったとしてもその虐待の痛みが強すぎるならば、性同一性障害の診断を得て、そのまま男として生きたほうが精神的な解放感が得られることも考えられます。
ナベシャツを着て胸をぺったんこにして安心感や本来の自信を回復した経験も「中身は男だから」という理由と「これで女として見られないから」という理由とどちらも考えられるんです。
この辺の判断についてはほんと話をじっくりしてみないと何とも言えないものです。
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で、トランスジェンダーとセクシャリティの解放についてなのですが、シスジェンダーのそれと違うかどうか?というと、根っこの部分では同じだと考えています。
セクシャリティの解放というのは「性」の解放を意味することもありますが、本質的には「ありのままの自分で生きること」につながるものです。
つまり、「裸の自分で生きる」ということです。
セクシャリティってのは「生命力」であり、「その人の素の姿」も現しますので。
ただ、そこで「性的な」面におけるセクシャリティの解放(これは狭義のセクシャリティの解放と言えます)をテーマにするのであれば、ジェンダー問題は大きく影響するでしょう。
でも、その点についても「ありのままの自分」を見ていくことでおおよその答えが出せるのでは?と思っています。
なので、胸を切除するかどうかはしばらくペンディングにしておいて、その「ありのままの自分」を顕かにすることを目指すのがお勧めです。
その結果、胸はやっぱり邪魔だ―と思えば今よりもずっとすんなり手術に踏み切れるでしょうし、このままでもええか、と思えばその道で幸せを感じられるようになるでしょう。
だから「素の自分」「ありのままの自分」という点に意識を向けて、その自分を解放していくことこそが、今のHさんにとっての「セクシャリティの解放」と言えるでしょう。
・自分が何に喜びを感じるのか?
・好きなものを好き、嫌いなモノを嫌いとはっきり言ってみたらどんな気分になるだろうか?
・今の自分がもう一段階解放されたら何が変わるのか?
・今の自分がもっと自由になったら何をしたいのか?
・自分が今、イヤなことを全部やめて好きなことだけやるとしたら何をするのか?
・心が軽くなり、背中に羽が生えたら何をしたいのか?
・愛する人に「裸の自分」を堂々と見せるとしたらどんな気分がするのか?
・そのときに「これがほんとうの私です。愛してくれますか?」と言ったらどんな感情が出てくるのか。
・何事にもとらわれず自由気ままに生きるとしたらどんなヴィジョンが目に浮かぶのか?
・ふだんより「自由に」「大胆に」振舞うとしたらどうなるだろうか?
そんな問いかけを自分自身にし続けてみましょうか。
その上で狭義のセクシャリティの解放に向かうならば、
・好きな人、好きなタイプの人とただ向き合うイメージをしてみる
・愛する人に自分をさらけ出すイメージをしてみる
・解放的なセックスを具体的にイメージしてみる
・自分が性的喜びを得られるシーンを意識して探してみる
・ありのままの自分をただ愛されるイメージをしてみる
そこで出てくるイメージってのは全然自由で構いません。
相手が男なのか女なのか、どんなシチュエーションなのかは全然関係なく、ただ自分の感じるまま、自分の心地よさを追求していく感覚です。
もちろん性やセックスに対してあまりいい印象がないのであればここはやらなくても大丈夫です。
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Hさんの生態(?)に不明なところが多いので具体的な話は割愛しちゃったのですが、家族には恵まれなかったとしても、友人や親代わりになってくれる存在などはいませんでしたか?
親友ができた、とか、面倒見のいい兄貴分がいる、とか。
父子家庭で育ち、虐待も受けてきたことは辛く、悲しいできごとですが、その一方で、貴重な出会いを得たり、非常に強いメンタルを手に入れたり、ただただ被害に遭っただけではないはずです。
そうした自分の生い立ちが自分自身に与えてくれるものって少なからずあるもので、そこにフォーカスしていくことも大切なことです。
その恩恵を受け取るとライフワークになったりするんですよね。
だから、そちらにも目を向けてみると「○○だからこそ得られたもの」があって、それを受け取るのもお勧めです。
ということで、トランスジェンダーの方に限らず、シスジェンダーの方もぜひ参考にしていただければと思います。
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