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与え上手な自立系な人々は、愛を与えることについてはかなり熟練の技を持っているものの、それと同時に起こるはずの「受け取る」ということについては「は?なにそれ?おしいいの?」と思っちゃうものかもしれません。
なので、今日は「愛を受け取ること」について長々とお話してみました。
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いつもありがとうございます。
理解して変化出来てから感想とお礼したいと思ったのですが、新刊優しい表紙と流れるような文章とは裏腹に深海のような深さで人間心理ビギナーの私には、言葉は理解出来ても意味が判らない??という状況が読み進めるごとに頻発して、それが余計クセになっています(ドMか)
わからない、けどこれすんなり分かる人て相当人間的に成熟してるというか、情緒とか感情のIQがアインシュタイン並みなんじゃ…と思いました。
とくに「愛を受け取るから自分と繋がれて」のあたりが???でした…
友達との間に私そんな感覚持ててたことあったかな…と。
友達は多いほうだし人に好かれ易い方なのに…
あれ?!私ってもしかして物凄い寂しい人?!
尚更理解せねば!!と鼻息荒くしとります。
で、今更なんですが「愛を受け取る」が本当に私分からないんです!
男性て「愛する程に愛が強まる」性質があるらしいんですが、それはよくわかるんです。
自分の身体から愛情の素粒子が放射されてる感じで、愛しい相手限らずそこら一体に散布されてる感じというか(と思ってるのは私だけで相手からしたら劇薬散布だったして)
すっかり男性化した〇ン〇ン生えてるアマゾネスだからですかねー。
ほんと「愛を受け取る」がちんぷんかんぷん過ぎます。
あ、でも私が愛して来た人はみんな愛され上手(あげてもあげてももう要らないとかならない)だったからそういうのがあるのは分かるんです。
でも自分の頭や身体の中にその理解がないというか…
心理学初心者のアマゾネスより新刊への質問でした。
(Mさん)
ええーっと、、、この新刊ってそんなドMのみなさんに喜ばれる本なんでしょうか?
他にも「地味にダメージを受けつつ、、、」とか「さらっとえぐられる快感・・・」という言葉も耳にしまして、、、え?そんな本だっけ?え?どこでそうなんの?とツッコミを入れております。
これね。ドMなみなさんも、そうでない皆さんもぜひ読んで確認して!はよっ!笑
さて、アマゾネスなMさんのお話に移りたいと思うんですけど、「愛を受け取る」が分からないと。もうこれ自立系な方々のあるある中のあるあるなんですよね。
>すっかり男性化した〇ン〇ン生えてるアマゾネスだからですかねー。
ええ、うちの読者のみなさんもちょくちょく「もしかして?」と思ってパンツの中身を確認するらしいんですよね。
あ、生えてるかどうか?ではなく、何本生えてるか?ってことを確認するらしいです。
けっこうコレクターのごとくぶら下げてる人も多いですからねー。ほんと。
さて、「愛を与えるのは得意」な方にとって、「愛を受け取る」という言葉は日本語が分かんねー!!レベルで「?」マークが脳内を占めると思います。
それが結果的に劇薬散布になっていたとしても、愛したい!愛させろ!愛を贈りたいぞ!という思いを自立系な方々はたくさん持つわけです。
「寂しさ」や「孤独感」という話で言えば「愛を与えること」でそれは癒されます。
愛を与えるためには当然ながら自分の心の中にある愛とつながらなければならず、「愛を与えよう(愛そう)」という意志によって愛とつながれるので、寂しさも孤独感もなくなります。
ただ、その一方で「愛を受け取る」ということもまた自分の心の中の愛とつながる方法で、誰かの愛を受け取れたら寂しさも孤独感も癒されるもんです。
とはいえ、この「愛を受け取る」というのってなかなか難しいのです。
私たちには「愛されたい」という欲求があります。しかも「無条件で愛されたい」と思うわけですね。
ところが、この「愛されたい」が「愛してほしい」という意味となると、これはもう「欲求」です。
欲求になると「愛を受け取る」ということからは離れてしまい、「愛を相手に請求する」ことになるので、「なんで私を愛してくれないの?」という不満を抱くことになります。
愛するかどうかは相手の自由な選択なのに、それをくれないからって不満を持つってことは、相手をコントロールしようとしてるわけですね。
それはもちろん愛ではなくニーズ(欲求)なので、仮に相手が愛を贈ってくれても受け取れません。だから、もっともっと!!と相手に要求することになり、不満からも抜け出せません。
故に、寂しさや孤独感からは抜け出せないんです。
「愛を受け取る」というのは「自分軸」で可能なことで、「いかに愛してもらうか?」「もっと愛されたい」等の思いを持っているときは他人軸になってるので受け取れません。
そもそも「受け取る」も「与える」も「愛する」ことの表現の一つなので、自分軸であること、すなわち、主体的にそれを選択すること、が必要になります。
で、「受け取る」というのは先ほどの「愛されたい欲求」という他人軸の要素と混同しやすいので、ほんと難しいんです。
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で、アマゾネスMさんのように自立系で与えるのが大好きな人は、受け取ることはそっちのけで与えることばかりにエネルギーを向けるので、受け取ることを忘れてるってことはとてもよく起こります。
ただ、実際は愛を受け取ってるんだけど、それを自覚していないだけ、というケースもよくある話でして、Mさんにとっては「ああ、それが受け取るってことかー。なるほどー!」と思われるものかもしれません。
友達が多く、人に好かれやすいキャラのアマゾネスMさんならなおさら。
「受け取る」ってシンプルに言えば、自然と「ありがとう」という感謝が湧き上がってきて心(胸)が温かくなる感覚が分かりやすいと思います。
周りの友達が自分に向けてくれている視線、自分にかけてくれる言葉、笑顔で話かけてくれる様子などを通じて、「ああ、みんなあたしを愛してくれてるんだー。うれしいー。ありがとー!」って思いません?
あるいは、ふと周りの人たちの思いを感じて「ああ、ありがたいなあ。ほんと」としみじみすることはありませんか?
それが「愛を受け取ってる」ってことになります。
ただただ感謝の思いが出てくるんです。
そこに不満や欲求はありません。
でも、そこで「受け取ること」を邪魔する奴がいるわけですな。
例えば、「恥ずかしさ」。
愛を贈られても恥ずかしさブロックをしてしまう人はめちゃくちゃ多いです。
例えば、「不信感」
過去に裏切られた痛みがあったり、そもそも人をあんまり信頼できなかったりすると、誰かの愛を疑いの目でしか見られなくなります。
「なんか裏があるんじゃねーの?」と思っちゃうわけですね。
そして、「怖れ」
愛されることが怖い、という感情です。
なぜ怖いかはケースバイケースですが、「愛を受け取ったらその分お返ししなきゃいけない」とか「愛してもらったら、代わりに相手の奴隷にならなきゃいけない」とか、そんな思いが出てきたりします。
あるいは「無価値感」
自分になんて愛される価値なんてないんだ!と思い込んでます。
そういう思い込みが強いと、相手の愛をソッコー拒否しますね。
そして「罪悪感」
自分なんか愛されるにふさわしくない、愛される資格なんてねえ!という感情です。
まあ、この辺が代表的でしょうか。
そして、こうした理由から受け取ることが苦手になる人は、それでも愛されたいから犠牲に走ることになります。
また、受け取ることが恥ずかしかったり、怖かったりすると、「攻撃は最大の防御」の格言に従い、「与えること」にエネルギーを向けたりします。
とはいえ、こうした理由で与えようとしても、それは即座に補償行為や犠牲になるので、ほんとに与えることにはならないんですけどね。
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さて、この話をすると長くなるのでやめとこかなあ、と思ったんですけど、ついでに書いておこうと思います。
与える、は、愛する行為の一つですから、どれだけ与えても疲れないんです。燃え尽きることもありません。
でも、ふつうに考えれば与える一方ではエネルギーが枯渇してしまって与えるものがなくなりそうなんですね。
「もう僕は君には何も与えるものがない。だから、君の元を去ることにした」という奴です。
しかし、与えることが疲れないのは、与えると同時に受け取ってもいるからです。
だから「与えると受け取るは同時に起こる」とか「与えると受け取るは同じこと」なんて風に表現します。
じゃあ、与えるときに何を受け取っているか?
相手の反応ではありません。
相手がうれしい反応してくれたらもちろんうれしいですけど、それはオプションです。
誰かに愛を与えるとき、私たちは全く同時に「与えさせてくれてありがとう」という感謝の思いを持ちます。与える対象があることに喜びを感じるのです。
それはすなわち、愛を与えさせてくれる(愛させてくれる)相手の存在に感謝しているのです。
そのとき、自分は相手の存在をまるごと肯定しています。
そして、その感謝が湧き上がってくるということは、受け取っていることに他なりません。
何を受け取っているかと言えば、相手の全存在ですね。
だから、与えることは受け取ることであり、与えた瞬間に受け取っているのですね。
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分かりやすい例としてヲタな方々の発言を紹介しようと思います。
「推しが存在してくれるだけで私はうれしいし、幸せだし、感謝しかない」
そして、自分の存在を知ってくれているかなんてどうでもよく、たくさん課金しますね。
「課金させてくれてありがとう!グッズを買わせてくれてありがとう!ファンでいさせてくれてありがとう!応援させてくれてありがとう!」
そんな思いを持ちます。
私はこれを「無条件の愛」の典型的な例だと思うんですねー。(もちろん、すべてのファンが推しに対してそんな純粋な思いでないことも分かったうえで)
推しのアイドルに対してお金を使ったり、応援したりすることって「与える」ことですね。
ところが、その瞬間に「存在してくれてありがとう!」という感謝の思いも抱いています。つまり、受け取っているんです。
なんなら「存在してくれてありがとう!だから私も全力で愛する!」という風に「受け取って与える」という流れも存在しますねー。
・・・ということで日々熱心に推し事に従事されている方々はよく分かる例えだと思うんですけど・・・みんな、なんとなく想像できますよね?笑
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ということでアマゾネスMさん。
そんな「受け取る」という体験、今までしてきませんでしたか?
今もまたそんな体験の最中ではありませんか?
ああ、あたし愛されてるなあ、みんなあたしを愛してくれてるなあ、ありがたいなあ、と思って胸が熱くなるなら、愛を受け取れてるんです。
お返しをしようなんて思わなくてもいいですし、愛され続けるために何かしなくても構いません。
そもそも私たちは「存在しているだけで愛されるにふさわしい」のですから。
だから、与え上手の受け取り下手さんにはこんな言い方をよくします。
「与えさせてあげる、愛させてあげる、という意識を持ってみてはどう?」と。
これ、表現の問題ですけど、「受け取ること」を言い換えてます。
けれど、与えることが得意な人は受け取ることが恥ずかしいのでちょっと躊躇しちゃいます。
だから、「与えさせてあげる」という表現をすることで、「受け取ること」を「与えること」に言い換えてるんです。
これもまた「与える」と「受け取る」が同時に起こることから言えることですねー。
ということで、今日の文章を読んで何となく分かりましたでしょうか?
ああ、そういうことか!と思ったら幸いですし、「ああ、あたし、全然受け取れてない!受け取ることが苦手!」と思った方は、そんな実習もするのでこのセミナーに来てみると感覚的に受け取ることを理解いただけるかと思います。
★東京/オンライン:6/27(日)14:00-17:00 つながりと自己充足で寂しさと孤独感を癒す3時間ワークショップ(1週間アーカイブ視聴可)
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ということで「受け取ること」が苦手だったり、よく分かんない方は、日々「ありがとう」という意識を持ってみること、そして「愛させてあげる」ことをしてみることで少しずつ受け取れるようになってくのかな、と思います。

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