煩悩(欲求、嫉妬心、競争心)は消し去ることができないのでしょうか?~ついマウントしてしまう人が競争心を手放すには?~



煩悩にまみれて生きている筆者としてはあまり偉そうなことを言えないテーマなのですが(苦笑)、そこに見える自分の弱さや依存心、競争心、嫉妬心などをどう受け入れるのか?についてお話していこうと思います。
ついついマウントを取ってしまったり、相手をディスったりしてしまう方には必読の記事です。

根本先生、いつも楽しくブログを拝見させて頂いています。
今日は「煩悩」について質問させてください。
私は自分の嫉妬心によくよく嫌気がさしています。
物欲は自分でも不思議なほど全くなく、極めて質素な暮らしをしています。
最近では食欲も薄れ、量は食べるものの、高級食材を食べたいとかいう欲はなくなってきて、今、私の中で最高の食事と言えば炊き立ての白いご飯で作る卵かけご飯とイワシの缶詰です。
でも代わりと言っては何ですが、嫉妬心が強いのか、すぐに人にマウントしたりディスったりして、後々そんな自分に嫌気がさしてしまい、しばらく聞き役に徹する→落ち着いたらまたマウント、ディスる→後悔して人と距離を取る、といったサイクルを繰り返しています。
この自分の中の煩悩が嫌で嫌で世俗と縁を切り出家をしたいと思うこともよくあります。

こんなことを言うと、根本先生のことなので「承認欲求」とか「自分軸で自分を大切に」と言われるかと思うのですが、仕事ではそれなりに認めてもらっているし、全体的には今の自分にとても満足はしているのです。(若干穏やかすぎて荒波に乗りたい衝動には時折駆られますが。)

周りの環境や能力を素直に受け入れ喜ぶことのできる人間になりたいと思うのですが、やはり人間である限り煩悩は捨てられないのでしょうか。
(Kさん)

「煩悩は捨てられないのか?」という単刀直入なご質問ありがとうございます。
正直に申しますが、私は煩悩の塊でございまして、常にエロいことを考えつつ、うまいものに目がなく、かつ、かなりわがままな欲深いため、その手の質問は笑ってごまかすか死んだふりをして逃げることを主義としております。はい。

ということで、改めて「煩悩」という言葉を辞書で引きますと「心身にまといつき心をかきみだす、一切の妄念・欲望」を指す仏教用語だそうで、なるほど我々は煩悩にまみれて生きておるのぉ、と思うところです。

なお、出展は忘れましたがこんな逸話が残されています。

「かつて煩悩を消し去り、悟りを開くべく修験の道に入った山伏が奈良の大峰山から那智に至る山々で修業をしていたところ、最後にたどり着いた大滝を眺め、それまで克服したと思われていた煩悩が爆発し、それまでの苦行が無になってしまった。」
(那智の滝は見ようによっては巨大な女性の陰部に見えるため)

すなわち、それくらい煩悩は消し去りがたく、また、煩悩は消し去ることができないことを悟ることがほんとうの悟りであると言われるほどです。

ということで、大峰山も修験の道も好きですが、一向に悟る気などない筆者は今日も煩悩にまみれて堂々と生きるわけです。

まあ、書物を紐解けば「煩悩」を「悪」と決め付けるのは良くないことだと一様に表現されているものです。

煩悩って要するに「欲」なわけで、人間として生きている以上、欲がなくなることはありえませんからね。(睡眠欲や食欲含め)

なので、煩悩(欲求)を消し去ることよりも、それはあるものと受け入れて、上手に付き合っていくのが我々のテーマなのだろうと思います。

つまり、煩悩に振り回されることなく、よき友人の一人としてうまく付き合っていけたらいいっすよね?という話になり、これは私があちこちでお話しているところと一致します。

ので、今日も私は煩悩に堂々とまみれようと自分に許可を出しているところです。(それは煩悩に飲み込まれているんじゃねぇのか?という鋭いツッコミはこの際無視することにします。はい。)

さて、自立系武闘派女子として生まれ育った方々の中には究極の目標が「出家」であり、そのために日々千日回峰行並みの修業を積まれている方が多いわけで(もちろん、実際に山に入るのではなく、めんどくさい男たちを追いかけたり、過酷な業務をこなしたりするのですが)、Kさんのお話に深く頷いている方々も多いものと存じます。

例えば、Kさんにとっては物欲がほぼなく、食欲もそれほどなく、質素な暮らしをされているということで、それはそれで素晴らしいのですが、それでも煩悩が出てくるということは、きっとそれ以外のところの欲求が強いのだろうと推測されます。

つまり、煩悩(欲求)というのものが食欲・物欲以外のところに出てるってことだよね?て話です。

仏教によれば煩悩というのは108種類もあるそうで、食欲・物欲はその2つですものね。他にも106もあるとすれば、それはごくごく自然なことだろうと思います。
それが「嫉妬心」という形で出てきているということでしょう。

となると、具体的にKさんの嫉妬心がどこで発揮されているのか?というところが興味深いわけで、カウンセリングならば「どういう奴に嫉妬するの?」とか「どういうときにマウント取っちまうの?」とか「どんな相手をディスってしまうん?」とかお聞きしたいところです。

仕事でもちゃんと認められていて、今の自分に満足しているということはものすごく素晴らしいところですが、だからこそ、その嫉妬心が余計に目立ってしまうのかもしれません。
そして、だからこそ出家したいほどの自己嫌悪が出てきちゃうのかもしれませんね。

ということで、改めて自分がその嫉妬心が出てきちゃうシーンを見つめ直してみるといいでしょう。

マウントを取ったり、ディスったりするってことは「競争心が激しい」という見方ができるので、何かの要素において他人と競争しちゃうクセがあるのかもしれませんね。

実は自立すればするほど競争心は強くなる傾向がありまして、このテーマはうちでも非常によく出てくるものなのですが、その「何に対して競争心を煽られちゃうのか?」というのが私の知りたいところです。

こうした競争心とか嫉妬心が出てくるということは、Kさんにとってそこがプライドに触れるところで、劣等感があったり、無価値感があったり、何らかの痛みがあったりする場所なんですよね。

つまり、自立を極めていく中でまだ取り残している「弱い部分」であって、自分でも受け入れがたく、愛しがたい部分とも言えます。

Kさんに当てはまるかどうかはまだ分からないのですが、自立を極めていくプロセスにおいては修業の如く、あらゆる欲求を抑圧していこうとします。
それを「克服した」と勘違いしている場合もありますが、実際はただ抑圧して麻痺させてる場合も少なくありません。

そうして何とか煩悩(欲求)に振り回されないように自分をコントロールしていくのですが、人ってどうしたって弱いですから、克服(抑圧)しきれない部分が出てきます。

本来、その部分は自分にとって非常に重要なものであるケースが多く、深い傷を負っている箇所であると同時に、自分自身の才能や魅力を表しているポイントです。

つまり、長年自分が克服しようにも克服しがたい欲求というのは、自分の才能に関するテーマが隠れている、というわけで、私のカウンセリングでは、そこをどうしたら才能を開かせる(活かす)方に向けるか?という点を主眼にすることも多いものです。

また、各種依存症に見られるように、そうしてロックマン氏ほどに欲求を抑圧して自立すると、何か一つのものに欲求が集中してしまうこともよくあるものです。

ワーカホリックとは仕事にしか依存できない人であり、アルコール依存はアルコールにしか依存できない状態であり、恋愛依存は恋愛でしか自分の弱さを出せない人であり、彼・彼女たちはその他において非常に自立的です。

そうしてどうしたって克服できない欲求(弱さ、煩悩、依存心等表現はいろいろあります)に嫌気を出すと、世俗から逃れて出家したいという思いにつながるのです。

ということで、Kさんや同志のみなさんに与えられている課題というのは、「その拭いきれぬ煩悩を持つ自分をどう愛するか?」というテーマになります。

嫌うのではなく、抑圧するのでもなく、受け入れ、愛するのです。
その欲求を切り離して消し去ることが不可能であり、受け入れ、愛することしか道はないと「悟る」ことが求められているのです。

このプロセスは当然ながら悔しく、惨めで、屈辱的で、嫌悪感が満載なので向き合うことはしたくなく、だからこそ、自立的な人ほどその部分を隠し、自分を正当化し、でも、逃げきれないから出家を望むようになるのですね。

もちろん、出家したとしてその欲は消え去るものではありませんし、それが自分の才能とつながっているのでどこまでも追いかけてくる厄介なものなんですけどね。

ここでは徹底的に自分と対話することが求められます。
鎧を脱いで素直で正直な自分になり、素の自分と向き合うことです。

つまり、嫉妬してマウントを取っちまう自分をただ肯定し、受け入れ、許し、愛するということです。

競争心を手放すことももちろんそのプロセスの途上にあります。
よく「負けを認めましょうね!」という奴です。

マウントを取ったり、ディスったりしてしまうということは、そうしなければ自分を守れないと思っている自分が反応することであり、また、そうしてマウントを取り、自分が優位に立つことで周りに認めてもらいたいという欲求(承認欲求)の表れです。

当然、その領域でKさんは思い切り他人軸になってしまってるわけで、そこでは自分軸を取り戻すことが大事なんですよね。

ある部分では自分軸で自分らしく生きられているのに、別の部分では他人軸で自己喪失してしまうということは生きてればふつうにあることですので、別に恥でもないし、Kさんが未熟なわけでもありません。

いよいよ、人としてさらに成熟する段階にやってきたんだな、ということですね。
なので、プロセスとしては素晴らしいテーマが与えられてると思います。

>若干穏やかすぎて荒波に乗りたい衝動には時折駆られますが。

ということですから、Kさんの中にも元々情熱系の熱いハートがあるのだろうと推測されます。
今のライフスタイルは全然問題ないわけですが、そんな自分が満たされてない部分に光を当ててみるといいんじゃないかと思います。

何かを我慢してきたり、諦めていたり、気づいたらヤバいと思っている何かがあるのかもしれないし、それがついついマウントしちまうところに現れていると思いますから。

>周りの環境や能力を素直に受け入れ喜ぶことのできる人間になりたいと思うのですが

そうしてKさんの言う「煩悩」を切るのではなく、受け入れ、愛することができれば、この望みも叶えられると思います。

周りの環境や能力を受け入れられない自分がいるというのも「投影」ですから、Kさん自身の中に何か受け入れられない環境や能力があるってことです。

それが何なのかを明らかにして、ちょっと嫌ですけど、そこと向き合ってみるのはいかがでしょう?
もしかしたら、才能が新たに開かれると思います。

そのときは炊き立てのご飯はうまいけど、イワシの缶詰だけでは物足りん!やはり美味い野沢菜か梅干も必要だ!なんなら丁寧に出汁を取った味噌汁もあった方がいいぞ!などと変化しちゃうかもしれませんけど。

よくライフワークという言葉を使っていますが、Kさんにとってはあと一歩でそれが実現する段階にあるのかもしれませんねー。それは素晴らしいことですー。

ということで、臥竜点睛を欠くことなく最後のピースをハメ込んで完成させることにしましょう。

【ついマウントをしてしまう方のための競争心の手放し方】

1.マウントしちゃうできごとを書き出します。
2.その裏に自分のどんな弱さ・依存心・欲求があるのかを書き出します。
3.「そこが弱くてもいいじゃん!」「そういう欲求持っちゃうよね!」などと自己肯定します。
4.その要素を持つ相手(マウントしてしまう相手)の価値や魅力を認めます。
5.なんなら本人にそれを伝えます。
6.さらにその本人に自分がそこに嫉妬しちゃうことを伝えます。
7.そこで感じる屈辱感や惨めさや敗北感をノートに書き出して解消します。
8.心が安らかになってきたらこの作業を修了します。

5.6は実際にできたら◎(二重丸)ですが、できなかったらイメージでやってもOKです。

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