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「私じゃなくても良いのでは?」という思いは恋愛でも仕事でも人間関係でもいろんなところに出てくるものですが、その裏側にはそう思うようになった関係性があるものです。
親との関係や学校でのできごと、きょうだい間の競争など、様々な要因が考えられますが、今日は「親」に注目してみました。
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根本先生のブログ歴5年でやっと、自己肯定感も上がって来てる感じがします!ありがとうございます!!
私は彼との関係に悩みブログを読んでいましたが、おかん問題に気付き、今は母の手放し癒着切りをおこなっています。
ブログを読み、自己肯定感が上がり、手放しをしている時に気づいたことがあったので教えていただけると嬉しいです。
手放しは、お恨み帳→感謝の手紙でやっています。
私が気づいた事は、
彼に対して長年思っていた不安=母親に無意識に感じていた感情
彼にしてる事(ヒステリックに怒ったり依存する)=母が私にして嫌だなと思った事
という事です。
幼少期母が周りの家の子ばかり褒めた事、兄ばかり褒めた事、私のお願いは聞いてくれず「我慢しなさい」「また今度にしなさい」と言われた事から、「良い子じゃないとダメだ、私よりも良い子が現れたらそっちの方がいいって母は思ってしまう。その為にいい子でいなきゃ」とどこかで思っていた事、また、「私じゃなくても良い、良い子じゃない私は迷惑」と思っていた事も、手放しをする事によって気付きました。
また、この感情は今お付き合いしている彼に対して以前から強く思っている感情です。
彼が浮気しないか不安、彼が異性と連絡を取っていたら絶望的な気持ちになります。
彼は私じゃなくても良くて私より良い人ができたらそっちへ行ってしまう。
母に対してお恨み帳を書いて出てきた言葉が
「良い子じゃなくてごめんなさい。母の思うような子になれなくてごめんなさい。」でした。
罪悪感があるなと思い、根本先生の本を読み
「私は母が大好きだったんだな、だから母と同じ事をしてしまうのだな」と腑に落ちました。
ですが、この「私じゃなくても良い」と言う思い込みは消えないです。
この気持ちを癒すにはどうしたら良いでしょうか?
長くなってしまい申し訳ありません。
もしよろしければお返事お願いします。
(Nさん)
5年もご愛読ありがとうございます~♪本も読んでくださってありがとうございます~♪自己肯定感もあがってきたし、きっといいことありますねー!!!笑
おそらく「私じゃなくても良いんじゃないか?」という不安は多くの方々が持ち合わせている気持ちなんじゃないかと思っていまして、きっとスマホの向こうで「おぉ!わしのことじゃ」と歓喜されてる武闘派女子は数多の如く存在していることと思われます。
とりあえず、マザコンなことが受け入れられたことはものすごく大きな一歩だと思います。
無理ないですけどね。
誰もがママに愛されたいし、ママを独り占めしたいし、パパにニヤッと笑ってママに抱き着く嫌味な息子も我が家におりますし、奴はママがいない夜はママの匂いの付いたカーディガンを抱き枕にかぶせて抱き着いていますし、「パパの匂いはいらないの?」と言ったら鼻で笑って「いらん!」て言いますし、ほんとかわいい奴です。くそー。
>彼に対して長年思っていた不安=母親に無意識に感じていた感情
これに気付いたことはものすごくデカいですし、
>彼にしてる事(ヒステリックに怒ったり依存する)=母が私にして嫌だなと思った事
これに気付いたってことはものすごく偉大なことだと思うわけです。
おかんのことが大好きー!!と気付いたら、彼に対する態度も少し変わりましたか?
彼に対する思いも少しは楽になりましたよねー。
よかったでございます。
てことで、この気持ちとどう向き合っていけばいいのか?を考えてみたいと思います。
↓
>彼は私じゃなくても良くて私より良い人ができたらそっちへ行ってしまう。
ええ、このセリフ、いったい何度聞いたことでしょう。
「そんなことないんじゃない?」とか言っても一瞬の気休めにしかならず、「でもー」という反論が開始されることは請け合いで、最近では「まあ、そう思っちゃうよねー。そうかもしれんしねー。そしたらどうする?拗ねる?いじける?ムカつく?武器を手に取る?玄関の前にウンコしたる?」とか言って場の空気を思い切り冷やしております。
で、この気持ちには「私は選ばれない」という思いがあったり、「私より良い人なんてゴマンといるわ!」という思い込みがあったり、「それくらい自分には価値がないのじゃ」という無価値感があったり、「他の人の方が彼は幸せかも」なんて罪悪感じみた感情があったりするわけですね。
彼に対してヒステリックになってしまったり、依存的になったりしてしまうのって、こういう思いなどから「自ら一段下がってしまう」からなんですよね。
「私じゃなくても良い」と思うってことは、彼を見上げてるわけで、それは彼がマウントを取ってきたわけじゃなくて、自分から下に降りちゃってるんですよね。
ってことは、お母さんがやってきたことも理解できるんじゃないでしょうか?
彼に対して自分がそんな態度を取ってしまうのと同じくらい、お母さんは自分のことを否定し、自信がなく、自己肯定感が低かったものと思えますよね。
さて、「私じゃなくても良いんじゃないか?」という不安はどこから来るかと言えば、もうすでにお気づきの通り、コレ(↓)ですね。
>母が周りの家の子ばかり褒めた事、兄ばかり褒めた事
どうやら、Nさんが自ら一段下がってしまうのは、こうしてお母さんに序列を付けられたことが原因みたいですね。
まあ、ほんとあるあるな話ですけどねー。
この記事をお読みの方の中にもきょうだいや周りの子や親戚の子と比べられて自分を下に置かれた経験がある方も多いと思います。
日本人はこういう比較が大好き!というか、もう習性みたいなものがありまして、家でもご近所様でも学校でも「個性」を認めるよりも「比較」してその子を見る傾向が強いようです。
だから、お母さんが悪いわけではなく、日本の風習のひとつと思った方がいいと思います。
そして、おそらく、お母さんも比較されて育ったのかもしれないし、また、今現在も周りの人と自分を比べて、自分を落とし込んでしまうのかもしれないですね。
つまり、なんでNさんにそういう態度をとるかというと、Nさんに自分自身を投影しているからなんですよね。長女だし、なおさら、自分を扱うのと同じように娘を扱ってしまっていたのでしょう。
「我慢しなさい」「あとにしなさい」というのも、お母さん自身が我慢して、自分を後回しにしているからでしょうし、また、「良い子でなければ・・・」とNさんが思ってしまうのも、もしかしたらお母さんの中に同じ気持ちがあったのかもしれません。
つまり、それくらいお母さんとNさんは心理的に近い距離にいらしたのかな?と思うわけです。内面的にはそっくりかもしれませんねー。
ってことで、お母さんの気持ちは自分の体験を通じて何となく理解できるかと思います。
もしNさんが彼と結婚して子供ができたときは、さらに「ああ、お母さん、こんな気持ちだったんだ」という気づきがいっぱい得られると思います。
そうして、体験的にお母さんの気持ちを理解していくと、お母さんへの「許し」もどんどん進んでいきますし、そこで理解できた分だけ「違う選択」が可能になりますから、お母さんとは違う人生を歩くこともできるようになりますね。
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私たちは知らず知らずのうちに大好きな人の人生を自分自身の人生にコピーして生きるようになります。
つまり「大好きな人だから真似しちゃう」わけですね。
Nさんはお母さんのことが大好きだったから、その生き方も感情も価値観も真似てしまったみたいです。
そして、お母さんと似たような人生を歩んでいきます。
何のためか?というと、大好きなお母さんの気持ちを「理解」するためです。
なぜ、お母さんはそんなことを言うのだろう?
なぜ、お母さんはすぐに怒るんだろう?
なぜ、お母さんは幸せそうじゃないんだろう?
そんな疑問を解消する一番の方法は「お母さんと同じ人生を生きる」です。
そうして、大好きなお母さんの気持ちを理解しようとするわけです。
大好きだから、その人の人生を真似るわけですし、大好きだから、その人をもっと知りたい、理解したいと思うのです。その気持ちは皆さんも分かりますよね?
なので、Nさんが気づいた通りでOKなのですよね。
>「私は母が大好きだったんだな、だから母と同じ事をしてしまうのだな」と腑に落ちました。
そこから一歩踏み込めば、「お母さんも私と同じ気持ちだったのか」という気づきと理解になるでしょう。そしたら、お母さんへの気持ちもずっと解消できるんじゃないかと思います。
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さて、「私じゃなくても良い」という思い込みなんですが、これには周りの子どもや兄様も関係してくるところです。
Nさんは大好きなお母さんからの教えに従い、
私より周りの子の方が良い。
私よりお兄ちゃんの方がいい。
と言う思い込みを胸に刻むことになりました。
知らず知らずのうちに、
私 < 周りの子やお兄ちゃん
という関係性を自分の中に持つようになったわけですね。
その思い込みが癖となり、
私 < 彼
私 < 周りの人
なんて風に展開されるようになっているのです。
で、何とか、
私 = 周りの人
となれるように「頑張る」「いい子になる」「成績を残す」という他人軸的人生を歩むようになるのですが、その思い込みはなかなかぬぐい切れず、どんだけ頑張っても
私 < 彼、周りの人
という図式が崩れないんですよね。
また、私の本やブログや他のカウンセラーさんなどの提案などを読んでワークをやったり、彼からの愛情を受け取ろうとしたり(たぶん、彼は一生懸命、Nさんに愛情を伝えてくれてるはず)、自分の価値や魅力を受け取ろうとしているのですが、なかなかその思いが抜け出せないのは別の理由があるんですね。
それはなんかものすごく嫌な気分がするかもしれませんが、
「お母さんにしか私を愛させない」
という思いが根っこにあるからなのですね。
ちょっと表現は大げさにしていますが、その言葉を言い換えると、
「お母さんが認めてくれなきゃ意味がない!」
「お母さんが褒めてくれるまでは自分の価値なんてなきに等しい!」
「お母さんが私を愛してくれて初めて他の人の愛も受け取る!」
ほどの意味になります。
どんだけマザコンやねん!と言うところですが、でも、それだけ密接な関係にあったとするならば、何ら不思議なことではありません。
ケースバイケースではありますが、この記事をお読みの方の中にも「いろいろやってんだけど自分の魅力がいまいち受け取れない」とか「彼がすごく愛してくれてるのは分かってるんだけど受け取れない」と感じていらっしゃる方が多いと思いますが、もしかしたら、その背景の一つに「この人にしか自分を愛させない」と決めてる部分があるのかもしれません。
そのほとんどが「母」もしくは「父」ですし、もし、長年大好きだった彼がいたり、結婚していた人がいるならば、その人である可能性もあります。
ということで、やっぱり「おかん」じゃねーか?という話になるのですが、そこでお母さんと似た人生を歩んできたNさんが、お母さんがかけた呪いを解いて自由になるにはどうしたらいいんでしょう?
一つが先に述べた「理解」です。「理解」から「許し」へのプロセスです。
二つ目は、「おかんからの愛を受け取る」ということですね。
「あいつ、ほんまにNさんのこと、愛してくれなかったんすかね?」というわけです。
ということでNさん、お母さんの愛情表現を具体的に10パターンくらい探してみてください。
お母さんはどのように人を愛する人で、お母さんはどんな風に自分を愛してくれたのか?を再確認してみるわけです。
狙いは「ああ、あの人なりにあたしを愛してくれてたんだな」という思いを作ることです。
三つ目は、「あたしはどんな風におかんを愛してきたか?」を知ることですね。
いい子になったのもお母さんに褒められたいだけでなく、お母さんを喜ばせたい気持ちもあったはずですし、ほかにもお母さんを助けようとしたり、喜ばせようとしたりしたことってめちゃくちゃたくさんあるはずです。
投影の法則を使うならば、今の彼をどんな風に愛しているか?を見てみれば推測も可能だと思います。彼にしてること=おかんにしてきたこと、のはずですから。
四つ目ですが、改めておかんを手放して自由になることを選びます。
いわゆる「親離れ」であり、「大人の女性として自分を扱う」ということです。
とりあえず自分が大人の女である理由を30~50個ほど列挙してみてください。
こういう状況になると、自分の依存的な部分やお子ちゃまな部分にばかり目が行って、自立的な部分や大人な部分に目を向けられなくなるもんです。
なので、大人な部分を根性で探してみることはすごく効果的です。
その上で「手放しワーク」ですね。
おかんから自由になるために、おかんを手放すんです。
それは「おかん」よりも「彼」を選ぶ、ということになりますし、「おかん」よりも「自分の人生」を優先するということにもなります。
おかんを手放すワークってのはガンガンやって、「あたしは自由だ!おかんから自由になったぞー!」と夕日に向かって歓喜の雄たけびを挙げるのが一つの目標っす。
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これらの4つのプロセスを順番は別として取り組んでいくと、さらに自己肯定感があがって、
「今の私、けっこういいじゃん!最高じゃん!」
「なんだ、あたし、けっこう愛されてきたのかもー」
「彼に感謝の気持ちが止まらん!」
「思ったよりもあたしっていい奴だよなあ。ぐふふ」
「彼と出会えて幸せ~♪」
「おかんにも愛されてたし、仲良くしよっと」
みたいな思いが自然と湧き上がってくるものと思います。
ということで、あと一歩、頑張っていきましょうねー!
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