逆NTR願望について深掘りしてみた~幼少期のトラウマを性的快楽によって慰める心理~



「彼が他の女性とセックスするシーンに興奮する」というテーマを深掘りして、単なる性癖ではなく、幼少期のトラウマと結びつける非常に心理学的なアプローチをご紹介します。
心の痛みを性的興奮によって緩和させる心理は実は誰にでもあり、それによってファンタジーの世界の住人になってしまうこともよくあるのですが、決してそれは悪いことではない、という話です。

根本先生、こんにちは。いつもためになるVoicyやブログをありがとうございます。

「逆」寝取られ願望について質問です。先日「NTR願望」についてお話されていましたが、私の場合は「逆NTR願望」があります。

自分の夫や彼氏が、別の女性とセックスをしているシーンを想像しながら(時にはそんな状況のAVを見ながら)オナニーをしてしまいます。自分は同じ部屋にいながら、傍観者として観察しているイメージです。気持ちよくなっている女性を見て、興奮してしまいます。

彼氏には、私と付き合う以前から別の恋人がいます。その人と彼が仲良くしているシーンを妄想しても、すごく胸が苦しいのに心のどこかで甘酸っぱく興奮している自分がいます。

「どうしてこの気持ちを感じさせたいの?」と心のエゴちゃんに聞いてみたら・・・「手に入らない”お預け”のジュルジュル感がいいんだ」「手に入らないものは余計に輝いて見えるから」などという答えが返ってきました。

これも、罪悪感という刺激物を感じたいからなのでしょうか? それとも、無価値感??

ちなみに、自分は子ども時代に母から暴力や過干渉を10年ほど受けておりました。父はそれに気づかなかった(?)どころか、大人になってカミングアウトしたときは母をかばっていました。夫や恋人に、父の姿を重ねるときもたまにあります。

そのあたりも関係あるのでしょうか?

甘酸っぱいお預け感は感じたい。でも、今の状態は辛いので、前向きなことにエネルギーを使いたい。

この辛い気持ちから、いい加減卒業したいです。

今からわたしは、どんなことに手を付けたらよいのでしょうか?

先般のNTR願望さんのケースと、何か違う点があればお教えいただけますとうれしいです。
よろしくお願いいたします。
(Nさん)

先日のこの記事、ひそかに反響があり、その後のセッションで何回かそんな話題が出たんですよね。
で、どちらかというとNさんと同じく「夫や彼が別の女性とセックスしているシーンを想像するとすごくコーフンする」という話でした。

どっちもありますよね。自分がNTRされるのと、恋人がNTRされてるのと。

ちなみに中には「彼とセックスしているときに、自分を別の女だと設定して、それをすぐそばで見ている自分を想像するとめちゃくちゃコーフンする」という話をしてくださった方もいます。人の想像力は無限ですな!笑

ああ、それは単なる性癖でね、と言ってしまえばいいんですけど、それで納得できる人はいいけれど、大概の人は「いやあ、でも、ちょっとしんどいっすよ」と思われるはずです。

>すごく胸が苦しいのに心のどこかで甘酸っぱく興奮している自分がいます。

こういう気持ちが根っこにあるんとね、これはたまらない刺激になるんですね。
いわば「M的快楽」と申しますか。

ちなみに似たようなジャンルに「レイプ願望」というのもあります。これもとても多い思いですね。

「すごく胸が苦しい=嫌なこと、しんどいこと、見たくないもの」で気分を思い切り下げるのですが、そうすると心はそんな気分を盛り上げようとポジティブなエネルギーを出し始めます。(アドレナリンって言うんですかね?それとも生命維持のためのエネルギーなんですかね?)

それが「甘酸っぱい興奮」という形でNさんには感じられて、その後、オナニーなどですごく気持ちよくなって、マイナスだった気分が一気に上がりますよね?

そのギャップがふつうにオナニーするよりもずっと大きいので、それが非常に刺激的で、癖になりやすいのです。

こういう心理って拡大解釈するとほんとうに様々なケースで言えまして、

・大きな借金をすることで事業へのモチベが上がり、それをバネにめちゃくちゃ頑張って利益を出して借金を返済する、という刺激。

・自分に対して冷たい態度を取る人がすごく気になって何とか振り向かせたいと思い、めちゃくちゃ頑張ってその人の心をこちらに向かせて喜びを得る、という刺激(いわゆるツンデレ好きってことですな)。

・筋トレなどのトレーニングやサウナで極限まで自分を追い込んで、その後、体が回復していくプロセスや水風呂に入ったときに強い快楽を得る、という刺激。

・M的なプレイにハマり、痛みや恥ずかしさなどを十分感じたのちに得られる快楽にハマる心理。

こういう風に見ると「少なからず自分にもあるかも」と思える事例がたくさん出てきそうですねー。その程度もまた人それぞれですけど。

そうすると案外今日の話は誰にでも当てはまるものかもしれません。

>「どうしてこの気持ちを感じさせたいの?」と心のエゴちゃんに聞いてみたら・・・「手に入らない”お預け”のジュルジュル感がいいんだ」「手に入らないものは余計に輝いて見えるから」などという答えが返ってきました。

そう、ちゃんとこうして自分の気持ちを聞いてあげるってものすごく大事なことですよね。そして、多くの方にとって、この気持ちは「ああ、わかるー」なんじゃないかと思うんですよね。

手に入らないからこそ、欲しくなったりしますし、“お預け”が様々なシーンでコーフンを呼ぶのはよく分かりますよね?ね?(何を意味しているかは想像にお任せするシステムです)

でも、敢えて水を差すようですけど、人はほんとうに手に入らないって分かっているものに対してはコーフンしないんですよね。

手に入りそうで手に入らない、とか、もしかしたら手に入るかも、という期待感がそのコーフンを作り出すんです。

見えそうで見えないものに世の男子たちは興奮するわけですし、手に入りそうな感じがするからロックマンや野良猫を武闘派女子たちは追いかけまわすわけです。

これは「タブー(禁忌)の心理」ともつながりがありまして、「手を出してはいけない」「手に入れてはいけない」というタブーが、より欲求を高めるんです。

ゆえに不倫の恋にどっぷりハマりやすいわけですし、別角度で見れば「限定20個!」とか「先着20名様!」という広告に人は群がりやすいわけです。

そんな風に解釈をしてくるとNさんも自分の気持ちを少し理解できるのではないでしょうか?

ということで、ここからグッと話は深くなっていきます。

「ファンタジー(空想)による慰みの心理」とでも言いましょうか。まさにオナニーそのものなのですが、空想によって自分の心を慰める方法は幼少期から少なからずあるものです。

例えば、施設で育った子供たちはある年齢まで「いつか優しいパパとママが私を迎えに来てくれて、温かい家でみんな仲良く暮らすの」というファンタジーを描いて、日々の寂しさや孤独感を癒そうとします。

DVなんてわからず肉体的・精神的に日々痛みを感じている子どもたちは、ファンタジーの世界に「ほんとうのパパとママ」を作り出して、そこで自分を癒そうとします。

いじめで毎日学校に行くのが辛くて、でも、両親にも助けを求められない子どもは「死んだら楽になるかも」という思いを描いたり、ヒーローの出現を待ち望んだりしています。

恋人がいなくて寂しい思いを抱く女子たちは、ある日目覚めたら窓の外に白馬に乗った王子様が「迎えに来たよ」と優しく微笑む姿を妄想して、その寂しさを紛らわそうとします。(傍目に見たらかなり怪しい景色)(そもそも白馬はかなり珍しい存在)(今年の牝馬クラシック路線はそんな白馬が注目されてるけど)

皆さんも、辛くて苦しい場面で、どこかに救いを求めてファンタジーの世界で遊んだ経験があるかと思います。

しかし、それが時に癖になってしまい、常にファンタジーの世界の住人になってしまうことも少なからずあるものです。

Nさんのように幼少期に母から暴力や過干渉を受けてきたのであれば、そのままでは壊れてしまいそうな自分を守るために様々なファンタジーを描いていたんじゃないか、と想像されます。

しかも、お父さんのことが大好きだったようで、心の中ではたくさんヘルプサインを出していたのですよね。

でも、お父さんは気づいてくれなかったし、訴えてスルーされたらほんと心が潰れちゃうので、もしかしたら、お父さんが助けてくれるようなファンタジーを描いていた時期もあるのかもしれません。

で、このファンタジーによる慰みってある種の強烈さを持つんです。

そもそも私たちのマインド(や脳)は現実と想像の区別が付きません。
現実に起きていることでも、頭の中で空想したことでも、同じように感情は動くので、空想によって心の痛みが緩和される経験を持つと、それが癖となって残ってしまうのです。

かつてフロイトはあらゆる問題を性的トラウマに結び付けて解釈しようとしていたのですが、今でも性的なトラウマと幼少期の体験は案外深い関係性を持つものです。

例えば、今でも幼少期の寂しさや辛さを紛らわすために、あるいは、学校や家庭で辛いことがあったときにそれを忘れるためにオナニーをしていた、という話をよく耳にしますし、恋人がいない辛さをオナニーで解消する癖がついてヤバい、という相談を頂くこともあるんです。

辛い思いを緩和するときに性的快楽はとても役立つものですから無理もないことです。

という話から、Nさんの逆NTR願望というのはそうした幼少期の辛い思いに端を発していることは想像に難くないと思います。

かつては、母からの暴力や過干渉が、今は恋人のセックスにとって代わっているのかもしれませんし、自分を守ってくれなかった父親に、別の女性とセックスをする恋人を重ねているのかもしれません。

つまり、その想像の中で出てくる「(彼とセックスをして)気持ちよくなっている女性」というのは、かつてママやパパに優しく愛される自分の象徴で、だから「手に入らないから余計に輝いて見える」のでしょう。

そして、それを傍観者として見ている自分はかつての父親のポジションですから、心の中で望んでいた「ママやパパから愛される私」をそこに見ているのかもしれません。でも、それは手に入らなかったわけですから、その女性は「私」ではないのです。

とすると、Nさんがほんとうに欲しかったのは「優しいママ」であり、「私を守ってくれるパパ」であり、そして、今、ほんとうに求めているものは恋人からの優しい愛撫なのかもしれません。

でも、それは上記の事情によって手に入らなかったので、恋人を寝取られているシーンをずっと想像してしまうのでしょう。

となると、そうした子ども時代の自分を救いに行く、というのが一つの解決手段となりますね。

ただ、こうした性的興奮はなかなか手放しづらいので、果たしてそこにモチベーションを感じられるか?という問題もあります。
つまり、子ども時代の自分が癒されてしまったら、もうこの空想は必要なくなってしまうのですから。

なので、場合によってはそれはそれとして、自分自身のセクシャリティにより注目していき、それをより堂々と解放していくアプローチだったり、さらにそこから才能を導き出してライフワークに結び付けていく流れを構築したりすることもできます。

そうすると今のその想像も決して悪いことではなく、「筋トレで自分を追い込む」的な喜びに変えられますし、ますますドMになって日々の性生活のみならず、ビジネスや人間関係においても自分らしく楽しめるようになると思うんですがいかがでしょうか?


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