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罪悪感という感情はとても分かりにくいもので、自分でそうとはっきり自覚できることばかりではありません。
そして、表面上はその罪悪感を隠すように「いい人」「正しい人」などを演じているのです。だからこそ、罪悪感とつながったときに「安心感」が出てくるのです。
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それとも罪悪感からの自分いじめでしょうか?
お恨み帳を定期的に書くようになって、自分の心のありようが以前より見えるようになって来ました。
それで最近書くたびに出てくるのが「NTR願望」です(爆)
ですが、正確に言うと私の場合肉体派にNTRたいのではなく、精神的にNTRたいのでより病みきってるかもしれません(笑)
肉体関係結ばれるのも悪くないですが、精神的に誰かに奪われる状況にゾクゾクします。
それで思い返すとやってるんですよね…過去何度も。
無意識的にお膳立てして絶対この人、この子を好きになるていうのをさり気なく近づけてそれでまぁなかなかの成功率です。
そうするともう、なんというか勿論ものすごい打ちひしがられるのですが、その後に「あぁ、これが私だ。今わたしは本当に実体がある」と、例え悪いですが、ダークな「グラウディング」を感じるのです。
(心理学用語を誤用どころか真逆に使ってすみません)
崩れ落ちた膝と床を握り締めようとする両掌が大地に縫い付けられたような安心感を感じるんです。
私は平素はフラフラと地に足つかない感覚が常態なので、その重力のような確かな感覚が堪らなく癖になります。
かなりフェティズムなネタですが、ごタイミング合いましたら~
(Aさん)
NTR願望・・・つまりは「寝取られ願望」ということですね。
ちょっと調べてしまいました(笑)そしたら、○○な動画がいっぱいー!煩悩にしばらく支配されたのち、こちらに戻ってきたところです。はい。
そう言われてみればマニアックだと思いつつ、案外そんな話を聴いてるなあ、と思ってみたりします。
で、例えば、Aさんからそんなご相談をカウンセリングでいただいたら自分はどういう風に話をしていくんだろうなあ、と思って話を進めさせてもらおうと思うのです。
>肉体関係結ばれるのも悪くないですが、精神的に誰かに奪われる状況にゾクゾクします。
ってどんなゾクゾク感なんでしょう??
いけないことをしているような、背徳的な感じ?
自分がこの先どうなってしまうんだろう?というようなドキドキ感?
なんかたぶんとても刺激的であることは間違いがなさそうですね。
なんでそんな刺激を求めるんでしょう?という話もけっこう重要で肝になってくるところだと思いますが、ちょっとそこは横に置いときましょう。
こういう問題を見ていくときって「感情」をベースに掘り下げていくことが多いんです。
それってどんな感じがするの?
どんな感情が出てくるの?
その感情の奥にはどんな感情があると思う?
みたいな感じで。
NTR願望があるのって、間違いなく強い刺激を求めているからですけれど、その刺激ってたぶん罪悪感的なものだと思うのですね。
単にセックスがしたいだけ、ではないですから。
そこにNTRという色付けをするってことは、その背徳感のような罪悪感のようなものに刺激を受けるのだと思うんですね。
だから、けっこうハマるんです。
そして、それが「願望」であるがゆえに、想像が掻き立てられて刺激がいつも受けられますよね。
以前よくお会いしていたクライアントさんは「旦那がいることを知っている人にNTRれることを想像しながらオナニーする癖が付いちゃって、その妄想がエスカレートしていてヤバい」という話をしてくれていました。
つまりは「罪悪感という刺激物によって性的興奮を作り出している」ということですね。
で、たぶん、Aさんのお話の中心にあるのがコレですよね。
>そうするともう、なんというか勿論ものすごい打ちひしがられるのですが、その後に「あぁ、これが私だ。今わたしは本当に実体がある」と、例え悪いですが、ダークな「グラウディング」を感じるのです。
「打ちひしがれる」という部分。
この後にも「崩れ落ちた膝と床を握り締めようとする両掌が大地に縫い付けられたような安心感」という表現があります。
これってまさに罪悪感なんですが(崩れ落ちる、両掌が大地に縫い付けられる、という表現が分かりやすい)、でも、人って罪悪感を覚えた時になぜか「安心感を得る」ということがあるのです。
話は一気にディープかつマニアックになるんですけど、そもそも罪悪感ってふだんからそれほど意識上にあがってくるものではなく、潜在意識の中にひたひたと漂っている大きな黒い塊のようなものなんですね。
ただ、自意識的には「自分は汚れている。自分は悪い奴だ。自分は罰せられるべきだ」という思いを常に感じています。(もちろん、そんなに自覚はしてませんが)
それどころか、その反動(というか補償行為)で、ふだんは清廉潔白な清純派だったり、いい人だったり、正しい人だったりを演じています。
そこでなんか自分にウソを付いているような感覚をどこかに覚えるようになるんです。
「Aちゃんってすごく純粋で、きれいで、かわいい女の子だよね」なんて言われた日には、言葉では「ありがとう!うふ」とか言うんですが、心の中では「そんなことなんてねーよ!あたしはもう汚れきってるよ!」なんて思ったりするわけです。(仮の話ね)
そんな時に妄想であれ、現実であれ、罪悪感を感じるようなできごとに遭遇すると「おぉ!これぞ、あたしや!これがあたしなんよ!」と、まるで誰も知り合いがいないはずの街でかつての同級生とばったり会ったかのような感動を覚えるんですな。
そして、改めてほんとうの自分に会えたような、たまらない安心感を覚えるのです。
あたしは悪い奴。汚れた女。と思っていることが、その罪悪感の出現によってつながるんですね。
ふだんは切っている罪悪感との接続が回復されたんですね。
それが安心感になるのだろうと思われます。
そして、その罪悪感と接続する形態は人それぞれなんですが、Aさんの場合はそれがNTR願望なのでしょう。
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退屈な日常を回避するために罪悪感という刺激物を投入することを私たちはよくやっています。
浮気もそうだし、アルコールもそうだし、ギャンブルもそうだし、ハードワークもそうです。そして、各種軽犯罪もそこから生まれてくることがあります。
ただ、そうした刺激物は罪悪感をより増やしちゃいますから、より強い刺激を求めるようになるものです。
ということは、ちゃんと内に潜む罪悪感を処理してあげることが大事だし、日常をより充実させるための自己充足というのがカギになってきます。
とはいえ、罪悪感は甘い蜜なので、なかなか手放すのに抵抗があるケースも多いんです。
さて、どうしましょうか?
Aさんは、どうしていきたいですか?
打ちひしがれることで自分の立ち位置を確認するよりも、ワクワクするような喜びで自分を感じたいと思いませんか?
そこは「選択」ですね。
どうするかをまずは自分で決めることが大事です。
もっとセクシャリティのエネルギーを喜びで満たしてあげることもできるでしょう。
また、女としての喜びや、女を楽しむことにエネルギーを注ぐこともできるでしょう。
ただ、その気持ちが伴わないのに形だけやってみても逆効果ですから、自分がどうするか?どうしたいのか?を決めていくことが必要なんですね。
そういうときって、より深く自分自身と対話していくことが求められるんです。
ほんとうの自分が求めていることは何か?
自分ってどんな人間で、どんな女なのか?
自分のその情熱をどのように使うのが自分にとって幸せなのか?
常識とか世間体とか現状維持とかを無視して、そういう本質的な自分と向き合っていくことが今の課題かもしれませんね。
自分の生命が喜ぶことを自分に与えてあげるにはいいきっかけになるかもしれません。
★罪悪感を癒すには?
*「いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本」(ディスカバー21)
*セミナー動画:『私の幸せを阻む「罪悪感」を「愛」で癒して「私」を自由に解放するワークショップ』
*心理学講座動画:『罪悪感と癒着の心理』
★決められる人になる
『7日間で自分で決められる人になる』(サンマーク出版)

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