カルチャーショックを受けるほどの素晴らしい出会いをしたとき人は自分を見失い、無力感や無価値感を痛感させられる~魅力的なモノ・人との距離の取り方、近づき方~



素晴らしい出会いは喜びになる一方で、自分のちっぽけさや無力さ、そして、弱さなどを痛感させられるものです。
そうすると自分を見失って暴走したり、ただただ逃げてしまったりするのですが、そこでしっかり大地を踏みしめ、自分自身と向き合うことで、新たな成長を遂げることができるのです。

魅力的なものとの距離の取り方についてお尋ねしたいです。
根本さんの本で自分を愛することや自己肯定感について少しずつ学べている最中の者です。

私は以前からカルチャーショックと言える程の出会い(恋愛限らず、色んなこと)に近寄ろうとするとイカロスの翼としか言えない状態に何度となく陥って来ました。

多分自分に自信がないからだと考え、根本さんの本を読むようになりました。

今も数年来のカルチャーショック状態にあります。
そのことで頭が一杯で、アイデンティティクライシスといいますか…

自信がない状態で惹かれるモノに近づくことの危険性は重々わかっているのですが、せっかく心が沸きたつような出会いがあったのに(恋愛ではありません)指を加えて見てるのも口惜しくて、でもどう処理していいのか分からず根本さんにお聞きしたくなりました。

不安定な自信で強く惹きつけられる対象への対応のABCなどいつかお聞きしたいです。
(Nさん)

すなわちNさんはたいへん情熱的な女性でいらっしゃるということですね??
それゆえ、カルチャーショックを受けるほどの出会いがあると突撃したい衝動に駆られる一方で、不完全な自分のままでは危険と察知し、思い切りブレーキを踏んでおられる状態なのかもしれません。

そんなNさんの情熱を掻き立ててくれる人・モノですから、それはそれは引力が強く、下手に近付けば自分が木っ端みじんになっちまいそうな危機感を覚えるのも無理なきことと存じます。

それゆえ、少し離れたところから指をくわえて眺めているだけ、という切ない状態を選ぶほかないのかもしれません。

・・・そのカルチャーショックが具体的に何なのかがとても気になるところですが、一方通行のブログ故、ある程度一般論になってしまうことはご了承くださいませー。

で、今までのパターンとして「カルチャーショックを受ける出会い」→「突撃」→「蝋の翼が溶けて撃沈」という歴史を繰り返されてきているのですが、その点もまた詳細にお聞きしたいところですね。

分かりやすい例えを使えば「超魅力的なヘラクレスオオカブト級男子に出会う」→「突撃」→「一撃で振られて撃沈/相手にされずに撃沈」というところでしょうか?

身の程知らずめ!と自分を叱咤したくなるものですが、はてさてその辺は詳しく検討してみる必要性もあるようです。

さて、それくらい魅力的なものに出会えるということはものすごく素晴らしいできごとでして、「出会いは偶然ちゃうでー。必然やでー」という教えによれば、そうしたモノと出会えること自体が、Nさんの何らかの才能を示すものと思うのです。

そして、それくらい魅力的なモノと出会ったとき、人はイヤでも自分の無価値感や無力感を実感させられ、「うわー、全然自信がないわー。全然あかんわー。今の自分で近づいても全然ええことないわー」と打ちひしがれることがふつうです。

で、そんなとき「一気呵成」「直線一気」等の四文字熟語を崇拝する武闘派女子たちは、無謀、そして、果敢にも、その相手に飛び込んでいく性癖をお持ちなわけですが、もしかするとNさんにとっても、その近づき方を工夫すれば案外あっさりそのモノを手に入れることが可能かもしれません。

超魅力的な物件に出会えば、人はその魅力に取りつかれ、自己を喪失し、ふらふらしてしまうわけですが、そういうときって「自分軸を見失い」「自分のダメなところばかりが目立つ」というパターンが出てくるものと思います。

つまり、「うわー。すごーい。こんなのはじめてー(はあと)」という思いが自分を浮足立たせ、頭の中がボーっとして、夢心地になってしまい、自分がどこにいるのか?自分が何者なのか?を見失ってしまうわけです。

となると、お気づきの通り、そういうときこそ「自分軸やでー」という声を自分自身にかけてあげることが真っ先にすべき事項です。

つまり、「おっとついつい自分を見失うところだったぜ。いかんいかん」と足元を見つめ、地に足を着けるべく、深呼吸をして冷静になる必要があります。

すなわち「さて魅力的な物件に出会ったのはありがたいことですが、はてさて、わたくしはそれをどうしたいのであろうな?」と自分自身に問いかけるわけです。

ある種のゴール設定ですね。

それと同時に、ついつい無力感や無価値感にとらわれ、自己否定に走りたくなる思いをスルーしつつ、「わたくしが今できることは何であろう?」と改めて足元を見つめる作業をしていきます。

強烈な魅力によって吹き飛ばされそうになるところを、グイっと踏みとどまるために「今、ここ」に意識を向けるわけです。

当然、魅力的なモノに近付くには「怖れ」が付きまといます。
そして、その「怖れ」に押しつぶされそうになることだって珍しくないでしょう。

しかし一方ではその「怖れ」は慎重さを作り出してくれる効果もあり、それを感じつつ、大きく深呼吸して一歩近づくこともできます。

怖れを無視すると人は自己喪失して暴走してしまうのですが、怖れをしっかり抱きとめることによって一歩ずつ前進することが可能になります。

すなわち、これらをざっくりとまとめますと、カルチャーショックを受けるほどに魅力的なモノに出会ったときは、

(1)その出会いに喜びの気持ちを素直に表現し、称賛する
(2)その対象に対して自分はどうしたいのか?どうなりたいか?のゴール設定をする
(3)現在地を確かめるべく、自分軸にて「今、ここ」に意識を向ける。
(4)今の自分がデキる範囲で、その対象に対して1歩近づく(あるいは、その場にとどまる)選択をする。
(5)1歩近づくパワーが自分にないと思われたとき(自信がない、など)は、そのパワーを自分に許すべく、学び、成長する

(2)と(3)は逆になってもいいのですが、そうして自分軸で「今、ここ」に意識を向けることで、その魅力的なパワーにアイデンティティを喪失することなく、1歩ずつ近づいていくことが可能になると思われます。

(5)については、ケースバイケースで、時には自分を磨いて魅力アップすることであったり、知識を得ることであったり、心身を鍛えることだったり様々なですが、この段階で、そうした魅力的なモノに出会ったことで自分を成長させる貴重な機会となるわけです。

そもそもカルチャーショックを受けるほどの出会いであっても、出会ったということはそこに何らかの意味があり、自信のなさを強烈に実感させられたとしても、そこに近付くなり、そこから学ぶなりする力が今の自分にあることは気づいておくべき事実です。

それは過去の自分が蓄積してきた経験や知識や自信によるもので、以前の自分であれば、到底出会えなかった対象なのかもしれませんよね。

ということは「出会えたってことは自分がいよいよそのステージに上がった」ということを示しているわけで、過去の自分に大いに感謝しつつ、その自分を承認することが大事です。
もちろん、そうすることで新たな自信を会得することができますね。

そうして、自信を深めつつ、新たに成長しつつ、怖れに向かって一歩踏み出すことができれば、仮にその道が険しく、遠いように思えても、その一歩一歩が確実に自分をパワーアップさせてくれるわけですから、そのプロセス自体を楽しむこともできるようになるでしょう。

ってことで少々難しい書き方をしてしまいましたが、そういう出会いを得たこと自体が素晴らしいことですので、足元を見つめつつ、ウキウキしながら「今できることをする」を繰り返してみてはいかがでしょうか?

また機会がありましたら詳細を教えていただけましたら、これまた詳細な作戦を立案することも可能かと思いますので、それまでは自分なりに取り組んでいただけましたら幸いです。


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魅力的なモノ・人との距離の取り方、近づき方
 


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