女として目覚めようとすると、過去に封印した女としての痛みがよみがえってくるもの。



女性としての魅力を開こうとすると、かつて女性としての魅力を封印するために使った呪いが再びよみがえってくることがあります。
でも、それはそれくらい女性としての魅力を本来持っているという証でもあります。
なので、過去は過去として切り捨て、今に生きる覚悟が必要だとも言えるのです。

このところ根本先生の教えもあり、焦って色々忙しくするのをやめて時間がゆっくり流れるようになりました。
それはとても穏やかな時間で自分の速度で居られるような感覚です。
だからとてもいい感じなのですが、一点気になることがあります。
そんな時間に昔のことをよく思い出すようになったのですが、苦い思い出が多く、それを何度も再生してしまいます。

そしてそれは事実というより感情的に痛い記憶なのが、余計自ら自己肯定感を下げる編集を繰り返ししてるような気もして。

例えば大学時代に高校の部活の後輩(男)と久しぶりに会った時に「先輩は全然変わらないな~」と言われました。
羞恥と痛みを強く感じました。
私だけ子供のまま女性的に魅力がないというメッセージを受け取ったからです。
そう受け取っただけで、事実は上の言葉だけなのです。
ただそこらへんの言外のメッセージは割と分かるほうなので、ニュアンスとしては間違ってないと思います。
また事実としては、彼は高校時代私のことが好きだったと、彼に告白した子に聞いたので、彼は少なくても高校時代は恋愛対象として私を見てたはずなのに、私に強く残り連続再生されるの「魅力がないというメッセージ」です。
またそれとセットで、彼に告白した子が私を女性として下に見ていたという感情的記憶です。
彼女は人としては私を肯定して慕ってくれてましたが、恋愛経験のない私を同性として下に見ていることを何となく感じてました。
でも更に事実としては、彼の私への好意は彼女が伝えたことで、彼が私に告白した事実はありませんね…
他にも中学時代や大学時代、新社会人時代色んな時期の「女性として魅力がない。年相応の成熟さがない。恋愛対象にならない」と感情的に強く受け取った記憶を芋づる式に思い出してリピートしてしまってます。

根本さんの心理学に出会い、自分らしさを大事にしたら、ちゃっと恋愛対象として見られるようなことが増えて女性としての自信も少しは持てるような気がしてたのですが、今感情的リアルは上記のリピートに象徴されます。

これは心の防衛的な行為(何かから意識を逸らすためとか)なのか、それとも癒される時期に意識に上ってきて成仏されるまで繰り返し再生されるがままにほっといてもいいのか根本先生の本やブログ読み返しながら考えています。
(Kさん)

長年ベトナムで戦争をしてきた兵士たちは任務を解かれ、平和な国に帰った途端、争いのない日々に逆に落ち着かなくなり、ある者は傭兵として再び戦地に向かい、ある者は依存症になるなどして自分を常に戦地に置くようになったそうです。
習慣の恐ろしさ、ですね。

自立系武闘派女子(自武女)の皆様におかれましても、あれやこれやとワークに取り組むなどして穏やかな日々を迎えられると、それで万事OK!幸せ~♪となればいいのに「それではおもんない。つまらん。」と新たな火種を内や外に求め始めることは、このブログをお読みの皆様ならば「うむ」と深く頷かれることでしょう。

Kさんにとっても「ヒマじゃー。姫はヒマなのじゃー。刺激が欲しいのじゃー。なんかないかのー?」と心の中を漁ったところ、見事にお望みの品を見つけられたのだろうと思います。

なので、「おぉ、これじゃー。この突き刺すような感覚じゃー。この痛みじゃー。これが欲しかったんじゃー」とさぞお喜びのことと思われます。

え?違う?

人は成長するときにパンドラの箱とまでもいかないものの、かつて封印した思いに触れるできごとがあると、そのときの記憶が一気に蘇り、苦虫をかみつぶしたような顔になってその感情をリピートするという“自慰行為”にハマることがあります。
敢えて嫌な記憶を蘇らせて、嫌な気分になる、というわけですから。

例えば、「かつて大好きだった人と宗右衛門町でよく遊んでいたけれど、その人と別れることになってその町には足を踏み入れることはなくなった。けれど、何年か経ってそんな記憶も薄れていた頃、たまたま酔いに任せて宗右衛門町に迷い込んだら、当時の記憶と別れの辛さがよみがえってきて路上で人目も憚らず大泣きしてしまった。」という経験が、自武女の皆様なら2度や3度はあろうかと思いますが、分かりやすく言えばそういうことです。

つまり、Kさんが女として目覚め、恋愛の舞台に久々に返り咲こうとしたときに、かつての女としての痛みがよみがえってくる、というわけです。

そして、そこで出てくるのは長年、自分の中の女を封じ込めるために使っていた呪文なのですね。

それが今、脳内リピートされているできごとなのです。

つまり、様々な事実を自分の中で組み合わせて「そうよ!だから、あたしは女らしくないのよ!女としての魅力なんてないのよ!」と思い込ませてきたことが、女らしくなっちまった今、出てきたわけです。

そして、その封印する力はKさんが本来、女らしさをふんだんに持っているほど強くなりますから、本文で書いてくださった文字数の多さを見る限り、「ああ、Kさんはほんまはめちゃくちゃ女っぽくて、女の魅力を持っているってことなんだな。自己紹介、ありがとう!」という解釈ができるのです。

なので、その脳内リピートされる記憶というのは、「あたしが女としての魅力を解放しちまったら、男たちを誘惑させまくって面倒なことになるし、女からも嫉妬を受けるから、そんなことしたらダメだよ」という“防衛的な行為”として理解していただけるかと思います。

で、そのときに厄介なのが過去の記憶というものでして、まずは「過去の記憶は感情の都合のよいように書き換えられている」という前提があります。

自分が事実だと思っていることが、実はそうではなかった、という体験を人は少なからずしているものですが、どうも私たちは自分に都合よく記憶を操作しているようです。

とはいっても「それが事実じゃ!」と思い込んでいたら、やっぱりそれは「真実」になるので、その影響を受けるんですね。

例えば「私は彼に嫌われていた」という記憶があった際、それが事実かどうかははっきり言って分かりません。
しかも、過去の記憶なわけですから、実際そんなことがあったのかも定かではありません。
けれど、賢い人は、それが事実であるかのような状況証拠を集め、時には証拠を捏造し、あたかもそれが真実であるかのように自分に思い込ませます。

そして、「彼に嫌われていた」という前提でその後の人生を生きるようになります。

でも、今の自分にとって「彼に嫌われていた」と思い込むことが何らかの目的に必要ですし、さらに言えば、そう思い込んで過ごしてきた年月の重みがあるので、そう簡単に「いやあ、それは誤解でしたわー」なんて言えません。

「あたしのこの何年かの辛い気持ちはどうなるのよ!」ってなるでしょ?
さらに、自分が間違っていることを認めるのは誰もがイヤですし、「彼に嫌われている」と思い込むために投じた自分のエネルギーが無駄になるのも嫌ですし、さらに「彼に嫌われている」と思い込むことによって得られるメリットがあるので、絶対にそれは認めてはいけないものになります。

そういうわけで、Kさんが「女性として魅力がない。年相応の成熟さがない。恋愛対象にならない」と思うようになった「事実」について議論する気はないのですが、そこで

「そうか、自分は女として生きたかったのに、それをどこかで禁止してきたのかもしれないなあ。それをそういう事実によってそう自分に思い込ませてきたのかなあ」

という風に少しでも思っていただけると心は緩んでいくかと思います。

そもそも「事実」と「真実」の違いというのがあります。

「事実」というのは、実際起きたできごとで、当然ながら動かしようのないものです。
しかし、私がよく「起きているできごとはすべてニュートラル」と言っているように、事実そのものに意味はありません。ただそれが起きただけ、です。

「真実」というのは、その事実を自分がどのように受け取り、解釈したのか?を表します。
つまり、ニュートラルなできごとを私たちは自分でいろんな色付けして「真実」として受け止めるのですね。

「野良猫男子にまた逃げられた―!!」という事実があったとき、それを「最悪なできごと」という真実に捉えるのも、「くっそ、次こそ確実に仕留めてやる!やる気になったぜ!」という真実に捉えるのも、「やっぱ次の男に行けってことね」という真実に捉えるのも、すべてあなた次第です。

だから、「事実は変えられないけど、真実は変えられる」という格言があるわけです。

※参考)「真実」と「事実」の違い~事実は変えられないけど、真実は変えられる!~

そういう視点から考えると、Kさんが「事実」だと思っていることのすべては心理学的に見ればすべて「真実」という言葉に置き換えられ、ということは、それをどう解釈するかはKさんの自由であり、Kさんが解釈したいように書き換えることができる、ということを表しています。

人生のシナリオは自分で書いているわけですから、Kさんがそうした学生時代の古い記憶を、どのような真実として書き直すかは自由なのです。

で、そういう側面から見ても、Kさんの文字数から鑑みても、「あたしってめちゃくちゃ女なんだよねー」ということが見て取れるので、過去の真実を書き換える作業に勤しむくらいならば、とっとと突き抜けちゃってもいいんじゃね?と思います。

つまり、女としての自分をもっともっと解放しちまった方が早くね?と思うわけです。

私たちは昔の記憶に引きずられ、今の自分が不自由になってしまうことがよくあります。
特に女性性が豊かな方は記憶力も豊かなので、何かと自分にとって不都合な記憶を蘇らせて(時には創作して)今の自分にブレーキをかけようとしちまいます。

でも、それは過去と現在が連続してしまうことの表れで、それはすなわち、過去が過去になっていない(執着が手放せていない)ことを教えてくれます。

「それっても過去のことやしな。今の自分には関係ねーぜ!」という風に過去を切り離すことができれば、過去に影響を受けなくなります。
私たちは今にしか生きられないわけですからね。

しかも、その記憶や真実が「本来の自分を抑圧するためのもの」であるならば、なおさら切り離してしまった方がいいわけです。

なので、Kさんも「それって過去のことじゃん」とあっさり言い切ってしまうレッスンをしてみるといいでしょう。

そもそも、高校・大学から今に至るまでで内面的にも外見的にも変化・成長しているところは星の数ほどあるわけで、それをすっ飛ばしてその時代の自己嫌悪とつながるのはあまり得策とは言えません。

ということで「今」に意識を向け、自分が大切に育ててきた「女」の部分をさらに開いていくことをお勧めしたいものです。

ええ、モテ期到来かもしれませんので、ぜひ今から整理券を用意されるとよいと思います。

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「事実」は変えられないけど、「真実」は変えられる。
 


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