小さい頃の思い込みによって自分をちっぽけに扱いすぎて、現実が伴わない問題



今、生きにくさを感じていたり、今の日常が居心地悪かったり、サイズの合わない服を着てるような違和感があるならば、「私とは?」という思い込みをアップデートする時期に来てるのかもしれません。
小さい頃の思い込みを手放して、「今のありのままの自分」を受け入れることがテーマです。

根本さんのお話きくと、モヤモヤするけど自分じゃ何のことか分からなかったことに名前や形を与えられて浮上してくるという現象があります。

「カウンセリングを受けると~」もそんなお話でした。
後半の深堀りのターンでされた「器」というキーワードにギュンとなりました。

物心つくと子どもでもある程度自分の「ぶ」を知ることがあると思います。
わたしは小学校の思春期の頃が私史上一番賢い時期だったと感じます(笑)
勉強が出来るとかじゃなくて色々見えてるというか。

で、その頃に自分の程度というか、得意なことはこれで、苦手なことはこれで、まぁ能力資質としては並、普通だからこそ努力すれば成果を望め、ありのままに生きれば平穏無事に、怠惰を極めればそれなりにきびしい状況になるだろう、ということを悟り?ました。

ですが歳を経るごとに年々その感覚が薄れ、自分の行動や努力と手にしたい望みに埋められない隔たりが出来るようになりました。

元気がある時や環境に恵まれてる時はいいのですが、状況が変化すると自分という「器」から手にしていることがこぼれ出してしまう感じです。

仕事、恋人、友人、その他あらゆることがボロボロ落ちてくような。

そして形状記憶のように収縮した自分の器の「本来の大きさ」を知るのですが、知っても尚まだ受け入れたくない自分がいて、またいつかたくさん手に入れられるんじゃないかと夢想してます。

「野心的」「ビックマウス」と言われたことがあります。

そんな自分が嫌で恥ずかしくて表面上は誰よりも自信のない「自己肯定感の低い」人間を装っている気がします。

でも鋭い人や、修羅場?になると、そんな私の本質を指摘されます。

だから私と真逆の「大きな器」に「謙虚な態度」の人に会うと、反射的に意地悪だったり冷たい態度を取ってしまうことがあります。

私が新卒就職で潰れた時に普段寡黙な父が「身の丈を知れ」と静かに言いました。

私のこの葛藤は、やはり自己肯定感の不健全さが要因なのでしょうか?
私の奥には過剰な自己肯定感があり、そしてその下にはやはり低い自己肯定感が横たわっているのでしょうか…?

楽になりたいです…
寝言で「楽になりたい…」と言ってたらしく隣に寝てた人がゾッとしていました(笑)

「器」のお話、改めてそのうちまたお聞きしたいです
(Aさん)

ビッグマウスて言われることって全然悪いことではないので、言いたいならバンバン言うた方がいいと思うんですよねー。

それにしても文章うまいですね。
これだけ難解な内的世界をこうきれいに表現されるのは一種の才能だと思うのですよね。

そして、そんなややこしそうなテーマに俄然やる気が湧いてくる私はたぶん根っからの職人なのでしょう(笑)

さて、たぶん趣旨としては「自分本来の器はそれほど大きなサイズではないけれど、自分が望むものはそれ以上のものなので、器に入りきらずにぽろぽろこぼれでてしまうので、どうしたものか?」というところかと思うんですけど、合ってますかね?(読解力が!笑)

そういう話をお聴きすると、まず考えることが「自分では器が小さいと思っているけど、ほんまにそうなんかな?」という点です。

ええ、職人はそもそも論が好きなので、クライアントさんがおっしゃる言葉に「ほんまにそうなん?思い込みちゃうん?」という疑いの目を向けるのです。

おませな小学生時代に「あたしの器はこれくらいよね。こういう風にしてたらイケるよね」と思ってしまい、確かに、その頃って非常に感覚が鋭敏で、うちの読者さんみたいに高性能レーダーを備えている方はさらなる制度で様々なことを見通してしまうわけですが、自分自身に対しては若干、厳しめな評価を下すことも多いのですね。

その判断が間違ってる、というよりも、やや厳しめに設定されている、ということが考えられるのですね。

で、ですよ。

で、その頃の私が「自分はこんなもんだよねー」と器のサイズを決めてしまったのですが、当然ですけど、まだまだ成長期にあるAさんは、自立系武闘派女子としての修業を重ねるうちに内なる情熱を解き放つ方向に向かうと思うんです。

開眼、と言いますか。もちろん、それは無意識ですけどね。

そうすると「あたしのサイズはこんなもん」と思ってぎゅーっと自分を押さえようとする力に反発して、「あたしはそんなもんじゃねー!」と壁をぶち破り、崖を飛び越え、道なき道を驀進する自分が出てくるようになります。

たぶん、それが「野心家」「ビッグマウス」と言われるもう一人の私かと思います。

つまり、かつて設定した「あたしの器はこんなもん」と、その後の成長で出てきた「情熱系武闘派女子」が葛藤を起こしていると思って見ると良いかと思います。

自分を小さく押し込めようとした分、反動で、目指すものが大きくなる、という感じ。

それが表されているのが、

>私の奥には過剰な自己肯定感があり、そしてその下にはやはり低い自己肯定感が横たわっているのでしょうか…?

という表現なのかもしれません。

そもそも「自己肯定感」というのは、ありのままの自分に対して「OK!」と宣言することで、長所も短所もひっくるめて「それが今のあたしだもんね~」と受け入れることを意味しますから、Aさんの理解とはちょっとずれるところがあるんですけど、でも、言いたいことはよく分かります。

過剰な、と表現されているのが、思春期以降に開花した武闘派女子のマインドで、
低い、と表現されているのが、悟りを開いた小学生時代のマインド、ということではないでしょうか。

で、こういう内的葛藤はけっこう様々な軋轢を生むものです。

「自分なんてこんなものよ」と思っている自分に反発して、「見返してやるわ!」と猛烈に突っ走ることになり、当然、オーバーペースを生み出してスタミナ切れになってしまったり、環境が変化したときなども「いっちょやったるでー!」と気合を入れすぎて、やはりペース配分を間違えて燃え尽きてしまったりするものです。

つまり、自分を見返したいがために自分自身に期待をかけすぎてしまうのかもしれません。
そして、その期待の大きさに逆につぶれてしまい、「そうだよね、うん。あたしってそんな大きな器じゃないもんね。ほんとお猪口レベルだったもんね」と凹むことになるのです。

で、何が大事かって、私たちは常に成長し続けているので、自己評価もアップデートし続けないとヤバいってことなんですよね。

思春期に入ったころのAさんが見た自分の器ってのは確かにそのサイズで間違っていなかったかもしれません。
けれど、それはあくまで物心ついて、思春期に入り始めた小学生の私のサイズであって、その後の修業により成長したAさんは、その器のサイズもアップデートしていく必要があるのですね。

例えるならば、小学校6年生のときに「あたしの胸のサイズはこんなもん。ブラも一番ちっちゃいサイズでいい」と決めてしまったけれど、その後の成長により、明らかにAカップには収まらなくなったのに「いや、あたしはこのサイズで間違いない」と思い込んでいるようなもんです。

そしたら胸がきつくて苦しいと思いません?

成長と共にカップのサイズも大きくなっていくのに、「自分の器はこんなもん」と思っていたら、そりゃあ、体にも心にも良くないですよね。

※なお、一部の読者の皆様におかれましては理解しづらく、かつ、不快な表現がありましたことを謹んでお詫びいたします。

Aさんの場合は「小学生の頃に決めた器のサイズ」が基準になっているわけですが、同じようなことは大人になっても起こりえることです。

つまり、「自分なんてこんなもんだよね」と思っている自分の器が、今の自分とはズレてる場合が意外と多いんです。

ほら、衣替えのたびに「あれ?知らないうちに服が縮んでる!ええー、やだー。お気に入りの服だったのに縮んじゃった!」なんて思ったりしますよね。

1年前の自分が「私のサイズはコレ」と思って買った服が、あなたの成長により「小さくなる」ことって日常で起きてるわけですが、そしたら、服のサイズを大きくすればいいんですよね。(まあ、その場合、若干の屈辱感と自己嫌悪が伴うという現実的な問題はさておいて)

いつまでも「このサイズがいい!」なんて思っていたら、豪快にボタンを弾き飛ばす芸が生まれるわけで、それがAさんのお父さんがおっしゃる、まさに「身の丈を知れ」ということなんだろうと思われます。

要するに「楽になりたい」と思うならば、現実を謙虚に受け止めてワンサイズ上の服を着ればいい、という話なんです。

自分の器のサイズはでかくなったのに、いまだ小さいままだと心のどこかで信じていたら、試着室で猛烈な葛藤を抱くように、現実と理想とのギャップに苦しめられることになります。

そして、自分はちっぽけだという思いが、自分のチャレンジの足を引っ張ることにもなってしまいます。

>そして形状記憶のように収縮した自分の器の「本来の大きさ」を知るのですが、知っても尚まだ受け入れたくない自分がいて、またいつかたくさん手に入れられるんじゃないかと夢想してます。

もし、この前提がもう古くて、思ったよりも器のサイズが小さくない、としたらどうでしょうか?

たくさん手に入れられるだけの器をほんとうは所持しているのに、自分がそれを受け入れられないとしたらどうでしょう?

「小さい」と思い込んでいれば、適量であってもあふれてしまうものです(正確には、あふれさせてしまうもの)。

だって、それだけの経験も知識も以前とは比べ物にならないほど得ているのに、器のサイズだけが変わらないっておかしいですよね?

これって「小さい頃の思い込みによって自分をちっぽけに扱いすぎて、現実が伴わない問題」としてよく見られるものなのです。

「なーんだ、Aカップだと思ってたけど、ほんとうはDカップだったんだ。これで、無理やり乳を押し込んだり、圧迫したりしなくても大丈夫なんだ。ああ、なんか楽になったわ。早くこっちにしとけばよかった」と思えるようになるんじゃないでしょうか。

※なお、一部の読者の皆様におかれましては理解しづらく、かつ、不快な表現がありましたことを謹んでお詫びいたします。

そしたら、余裕ができますよねー。楽になりますよねー。
その余裕が自分の野望を叶えてくれることだってあると思うんですよねー。

ってことで、ちゃんと今のサイズを下着売り場のお姉さんに測ってもらいましょうね!というお話でした。はい。

さて、あなたの思っている自分のサイズはほんとうに合ってる?もし、現実に葛藤やモヤモヤを抱えているならば、もしかしたら、それが間違っているのかもしれないっすよ。

けっこうこの問題って多く見受けられて、だからこそ「自己判断てたいがい間違ってるのよねー」という話をよくさせてもらってます。

もし、自分の器のサイズが気になる方は信頼できる誰かに「私ってどんな人なの?」という質問を投げかけてみるといいでしょう。
長い付き合いの友達や、自分を応援してくれる仲間、そして、そうした客観性を持ってるカウンセラーなどに聞いてみるといいと思うんですよー。

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今生きにくいのは小さい頃の思い込みが原因では?
 


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