理想主義の善と悪~あなたのその理想は自分を笑顔にさせるものだろうか?それとも重圧にしかならないものだろうか?~



理想を掲げて頑張るのはいいことだけど、その裏に自己否定があるとしたら、その理想は叶えられないし、仮に叶えられても全然その価値を受け取れないものです。
けれど、その裏に希望や夢やヴィジョンが見えているのならば、その理想はあなたをさらに成長させ、魅力的にしてくれるだけのパワーを与えてくれるものなのです。

最新刊「7日間で自分で決められる人になる」まさしく私に必要な一冊でした。

作中に登場されるクライアントさん達の過去を読むほど、自分の過去はどうだったろう?と振り返っています。

私はどんな環境のもと、
両親のどんな想いのもと、
友人や先生達との出会いのもと、
そしてその中での私自身の選択の結果、
現在の信念体系を作りあげてきたのだろう?と。

そんな数日を過ごしてたら、ふと子どもの頃、耽読した少女小説の世界が懐かしくなりました。
買い直しまではしてませんが、それらの情報をまた辿ったり、「同じ匂い」のするお話を、探して読むようになってます。

そうしてると、とても潤います。
またもう長いこと感じなくなってた「感傷?」のような感覚に浸ってます。

そこでふと考えました。

この子どもというか、少女特有の潔癖さや、理想主義な世界は、少女の頃の私にとても力をくれ、同時にそれは成長する程、私を苦しめてきたな、と。

だからある時から、意識的に捨てたけど、今また私はそれによって確かに潤されている。

この表裏一体の、諸刃の剣はなんなんだろう?と思います。

純粋さは力であり同時に毒であるというか。

歴史に残る高尚な作品は勿論心が震える力を持ってます。
でも私個人は昔から、それこそプロですらない人が書いた物でも、そこに「潔癖な程の理想主義、純粋さ」を見つけると魂が震えます。

説明が難しいのですが、
それこそ世界的文学賞をとるような情緒的にも知的にも成熟した作品にはない「未成熟で狭義な信念体系が作る特有な世界」にしか充せないものがあるというか…
それは多分に自己犠牲や他人軸を助長したり正当化や美化する趣があり(私個人の指向性でもありますがそれら全般にもある程度言える傾向と思います)
耽溺当時も半分の頭では「なんて幼稚で夢見がちなんだろうと」とは思ってました笑

それでも「これは私に必要だ」と理屈じゃなく思っていました。
そしてまた今改めて、やはりある程度は離れがたいし必要だと思い直してます。

これって多分日本人的価値観も大きく関わってはいると思うのですが…もっとざっくり「理想主義」の観点から考えています。

理想主義の弊害に新刊の中で根本さんは言及されてました。

その存在理由や、毒にも薬にもなる両義性についていつか根本さんの言葉で読んでみたいと思いました!
(Sさん)

ご案内。まことにありがとうございます。この本を読んで考えてくださったんですね。ありがとうございますっ!

『7日間で自分で決められる人になる』(サンマーク出版)

文章素敵ですねえ。たくさん本を読まれてる方だってのが良く分かりますねー。
いつものようにボケたりツッコミ入れたりしようと思ったんですけど、ちょうど今、新しい本の執筆に追われていて若干作家モードなので、むしろ、その調子で行けそうでありがたいです。

・・・でも、ちょっとやっぱり違うので、姿勢を正させていただきたく存じます。

ウンコ!!!

ということで、お前が一番幼稚なんじゃ?という声を華麗にスルーして本題に入っていきたいと思う次第です。

さて、私は何事も「諸刃の剣」だと思っていまして、「これが絶対いい!」とか「これが絶対正しい!」なんてものはこの世に存在しないと思っております。見方を変えれば解釈は人それぞれですし、また、時代が変わればその解釈も変わりますし、当然ながら「人それぞれ」なんですよね。
それを一律に答えを決めてしまうのはなかなか危険だと思っております。

さて、「少女特有の潔癖さや、理想主義な世界」という表現が本文中にありますように、正確にこのテーマを論じるならば、潔癖さと理想主義の関係性について述べる必要があると思われます。

少女が持つ潔癖さは、同世代の少女にとっては夢や希望を与えてくれると同時に、すっかり汚れちまった大人たちの心を少しばかり洗い流してくれる爽快さも持ち合わせていると思います。

そういう意味でジブリ映画の主人公のほとんどが少女で、その存在によって映画全体に清らかな空気が流れ、大人であっても子どもであっても心地よい感覚を伴うのであれだけ長らくヒットし続けているのだと思ってます。(ただ、私は映画について深く論じるほど知識も情報も興味もないので、ここは表面的な話としてサラッと流してくださいませ)

なので、Sさんのご希望に沿って理想主義の両義性について語る場合は、潔癖さを踏まえた上での理想主義を語るべきなのですが、そうすると話が複雑化しすぎるので、軽くその点を押さえつつ、今回は理想主義の功罪について話をさせていただこうと思っています。

要するに、めんどくさいから話を簡略したな、こいつ、と思っていただければあながち間違いはございませぬ。

理想主義ってのは大人にとっては時に寿命を縮めるほどの弊害があるので、本の中では「理想主義は悪い奴」なんてニュアンスで語っているのですが、当然ながら、物事には光もあれば影もありますので、理想主義そのものが悪いと思っているわけではありません。

理想主義が自分の首を絞めるのは、その理想に自分自身が振り回され、自己喪失してしまうからです。そして、そこでは必ず強い自己否定が伴うので、どれだけ成果をあげても自信につながらず、どれだけ素晴らしいものを今現在持っていてもそれを認められないので自己肯定感も低いままとなってしまいます。

「本来は○○すべきなのに、自分はそれができてない。ダメだ」
「ほんとうなら頑張って○○した方がいいのに、全然その気にならない。」
「これくらいできて当然なのに、自分は全然できてない。最悪だ。」
「ふつうなら○○するところを、私は××しちゃって、ほんとに情けない。」

みたいな感じで「理想の自分」を「正しい」とし、「今の自分」を「否定する」という形で、常に自分をいじめることを趣味としちゃってるケースがとても多いんですね。
もちろん、そこには他者と自分を比較してしまうことも大きく影響してるんですが。

ただ、この心理を細かく見ていると、「高い理想を掲げ、その理想に達していない自分を嫌悪し、否定し、責めている」というよりも、その逆で「自分を否定し、嫌悪し、責めたいから、そのために高すぎる理想を設定している」ことの方が多いような気がします。

つまり、理想主義を“使って”、自分を責める方向に仕向けてるんですよね。

自分を責めることが目的だから、理想と掲げるものは正直なんでもいいんです。
だから、「仕事ができるって言ったって、この年で野良猫男子を追いかけまわしてるなんて情けない。ほんとならば結婚して家庭をもってもいい年なのに」なんて思うわけですし、「これくらいの成果を残すのは、自分のキャリアを考えれば当たり前のことで別に褒められるほどのことでもない。むしろ、もっとすごいことをやってる人はたくさんいるから、私なんてまだまだダメだ」という話になるんですな。

なので、本質的な意味では理想主義が悪いんじゃなくて、自己嫌悪し続けることを何とかしたいよね!というのが私の主張なんですね。

※そういう意味では私も理想主義を悪役として“使って”いつわけですけど(苦笑)

で、理想を掲げるってのは本来、モチベーションをかきたて、希望や夢を与えてくれる素晴らしいものです。

その理想に向けて一歩一歩進んでいくことで自らが成長し、自信をつけ、そして、その実現に向けて様々な人生の扉を開けていくわけで、本来ならば素晴らしいものなのです。

また、より自分らしい成果を残すため、より自分の感覚にフィットした作品を創作するために「理想」というのはとても役立つもので、そこに向けて様々な力を投入することは自分自身をさらに高めてくれるものです。

特に思春期の頃は「こうなりたい」「あんな風になりたい」という理想が自分をより高めてくれることは必然で、その前提にはこれから大人になっていくことで広がる可能性を視野に入れているから成り立つものです。

ところが、その理想を掲げてそれを追い求める姿は潔癖さを持つ少女だからこそ美しいもので、それをそれなりの経験を積んだ大人がそのままやってしまうと、たいがいは自己否定を伴う結果となるものです。

単純に言えば、14歳の少女が持つ未来への可能性と、34歳の大人の女性が持つ未来への可能性はまったく異なるからです。

分かりやすく言えば、前者の少女はまだ日本的アイドルとしてデビューする可能性を大きく秘めていますが、後者の女性は今からアイドルになるには相当ハードルが高いと思います。

こういう話をすると心にグサッと刺さる方がいらっしゃるかと思いますけど、でも、現実ですよね?今からその辺のフォローをするので我慢して読み進めてください。

でも、じゃあ、34歳の女性に未来がないか?というともちろんそんなことはなく、当然ながら可能性はめちゃくちゃたくさんあります。

ただ、何が違うのか?というと、その20年の間に自分が培ってきた経験、情報、知識などです。

そこまで経験してきたものは、間違いなくその人オリジナルの歴史であり、相当な価値を持つものです。これが成熟性へとつながるものがあります。

だから、その経験や知識という価値を元に、理想を掲げることで、さらに成長し、魅力的になり、ワクワクする人生を送ることは可能です。

ところが、自分の人生で成し遂げてきた経験に対して否定的な視点を持ってしまうと、話が一気にネガティブになってしまうわけです。

自分なんてロクな人生を歩んでない、何も成し遂げていない、みんなと同じ凡庸な人生だ、、、などのように、自分の過去に対して価値を見出せず、否定的な見方をしてしまうのが問題なんですね。

だから、「自己肯定感」という言葉を使って、「今」と「過去」の自分をそのまま肯定しようぜ!という話をいつもするわけです。

そして、さらにその「今」と「過去」に価値を見て、自分の人生は素晴らしいものだったよね!嫌なこともあったけど、それは学びの機会で、そこでめっちゃ成長したよね!って思えるようになることを目指します。

そしたら、これから来る未来は素敵なものだと思えるようになり、希望を感じることができるでしょう?

じゃあ、その掲げる理想が果たして今の自分にとって「善」なのか「悪」なのかという判断はどこで付けたらいいんでしょう?

それはとてもシンプルでその理想が自分をワクワクさせてくれるか、それとも重たく感じるか、という感覚で見分けることができます。

また、仮に重たく感じたとしても「乗り越えてみたい!」という思いを感じるのであれば、それは自分を成長させてくれる理想だと言えるでしょう。

一方、注意したいのは「思考」ですね。
そもそも理想主義にありがちな「○○であるべき」「○○すべき」みたいな表現は頭で考えたもので、そう思う時点で心は「えー、やだ」と言ってます。

とはいえ、私たちはついつい思考が出した答えを信じやすいですし、そうしなければいけないと思いやすいですし(だって「正しい」から)、さらに自己否定も出てきたらますます安全策として「正しさ」を選んでしまうので、ここはしっかり踏ん張るところかと思います。

少女が持つ潔癖な理想主義は、それだけできらきらしています。その少女の目はきらきらと輝いています。
それは自分を成長させ、高みに登らせてくれる理想です。

経験を積んだ大人が掲げる理想もそのレベルでは同格である必要があります。
つまり、その理想を掲げた時に目がきらきらしてることです。

悲壮感が漂っていたり、仕方なくという雰囲気だったり、無だったりするならば、それは自分を苦しめる理想にしかならないわけですね。

そして、大人になって積み重ねた経験の中には、当然のように「○○すべき」とか「○○してはいけない」というルールが埋め込まれているので、無意識に「これくらいはできて当然だから頑張らなければならない」という悲壮感を漂わせることになるもんです。

いやあ、そんな人生しんどいですよね?

ということで、あなたの脳裏にふと浮かぶ「理想」は、あなたをその気にさせるものですか?それとも重圧をかけてくるものですか?

※こちらの記事も参照くださいませ~♪
>「今の自分を否定して理想の自分に向けて頑張ることが癖になっていませんか?

★理想主義を手放すならこちらの本や動画もどうぞ。

『「いつも無理してるな」と思った時に読む本』(大和書房)

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良い理想と悪い理想。あなたの理想は自分をその気にさせてる?
 


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