*
内側に刺激を求める気持ちがあり、しかし、外側には平穏な生活を望む思いがあると、その矛盾した欲求に振り回されてしまうものですが、実はそれらは両立するものなのです。
その道を探るのは自分自身との対話になるのですが、その内的欲求と外的欲求を同時に満たす道がそのままライフワークとなるのです。
*
自然や人の少ない美術館など静かなものを好み穏やかさを求める一方で、漫画などの作品は不安定なものを好む(たとえば背徳感のある関係性や絶望感の漂うストーリー展開など)傾向にあることがわかりました。外的な、というよりは内面的な刺激を好むようです。
人生を振り返ってみると、いつも自分にとって厳しい環境へ飛び込む選択をしていることが多くありました。人としゃべるのが苦手でパニックを起こしやすい性格なのに、
・上下関係と部活内容の厳しいテニス部に入部する
・高いコミュ力が求められるタイプの医療職を目指す
・初対面の人との交流の多いサークルに所属する
など、苦しんで当たり前の環境に行って、苦しんでいました。もちろん、その中で得たこともたくさんあったのですがそれ以上に傷ついたことも多いです。
刺激を求めるわりに、私は人よりも周りを気にしてしまう性格で、社会人なりたてのころは感情と思考の両面で頻繁にパンクしていました。
3年目には原因不明の体調不良で休職もしました。その後、比較的な穏やかな部署に異動し、仕事にも自分の扱いにも慣れ、人間関係もおおむね良好になり、心情としてはだいぶ穏やかになりました。
しかし、最近は燃え尽き症候群のような、無気力さというか、つまらないという感情に支配されてしまっています。
なるべくは自分のしたいことを優先して自分軸で、と思うのですが、そうすると仕事以外に人とのかかわりを避けてしまい、親しい人も少なくなり、それはそれで孤独感にさいなまれています。
今の好きな人もやはり一筋縄ではいかないタイプで、地で思っていることと正反対のことをのたまう人で苦しんでいるのですが、だからといって思っていることを素直に言える素敵な好青年に恋愛的な魅力を感じたことがありません。
周りからは、「おとなしい子」という評価も、「行動力のある人」ともどちらの評価ももらったことがあります。
根本先生にお聞きしたいのは、刺激を求めるくせに刺激に弱い私は、ライフワークをどのように考えたらいいでしょうか、ということです。いつかネタにしていただけたら幸いです。
(Yさん)
いいネタをありがとうございます~!!
分かりやすく言うと、「内面的な刺激を得るために刺激物を求める行動をしがちだけど、そもそも外側の世界に刺激なんざ求めていねーし」という状況なんだと思います。
私たちは当然ながら「内面」の影響を受けやすく、刺激を求める心が刺激を得るための行動に駆り立てます。
そうするとYさんも挙げていただいたような自分に合わないクラブに入ったり、仕事に就いたり、恋愛をしたり、ということになりやすいわけです。
内面的に求めるものをそのまま環境面に求めてしまうからこその問題かもしれません。
一方、Yさんは外側では「静かで穏やかな環境」を求めているので、そちら側を優先すると、内面的な刺激が得られなくなるので「無気力でつまらない仕事」に従事するようになってしまい、そこでも問題が生まれます。
つまり、Yさんが求めてるのは、
内的欲求=刺激
外的欲求=穏やかさ
ということなんだろうと思います。
このギャップをどう埋めたらよいっすか?というのが、Yさんの課題ですね(違ってたら「こいつ、読解力ねーな」と蔑んでいただけたらと思います)。
でも、この葛藤って多かれ少なかれ誰もが持っているものだと思うんですね。
そして、そこに矛盾が生じているのでそれを同時に得ることって難しいと思い込みます。
だから、内的欲求に従って常にハードな環境(=自分に合わない)に自分を置き続けて体を壊すか、外的欲求に従って退屈極まりない生活を送るかの究極の二択を迫られているような気分になっちまうんだと思うんです。
まあ、この辺はよくあるケースとしては「穏やかな旦那さんと結婚したんだけどめちゃくちゃ退屈なので、刺激的な恋人を作って気を紛らわせる」というものとか、「安定的企業に勤めてつつがなく仕事をこなしつつ、夜な夜なクラブ活動に精を出して刺激を得る」とか「穏やかで安定的な主婦業をこなしつつ、アンダーグラウンドとして風俗店で働く」とかいろんなケースが存在しています。
でも、それってほんとうは矛盾なんて何もしてないんです。
ええ、意外でしょ?(笑)
実はそれらは同時に存在することができるものなんです。
内的欲求というのは「感情的に求めるもの」で、Yさんにとっては「刺激物」です。
外的欲求というのは「環境に求めるもの」で、Yさんにとっては「美術館」のようなものです。
よくよく考えれば、美術館に収納されている絵画には「刺激的なもの」は山ほどありまして、そこに矛盾は起こりえません。
なんで問題になるか?というと、そのどちらか一方を満たそうとするしかないと思っていることで、「その両方を同時に満たすものってなんだ?」と意識してみれば、様々な可能性が浮かんでくると思います。
それこそ、Yさんが書いてくださってますが「刺激的な漫画」によって内的欲求を満たしてあげることは可能なわけですし、それを「美術館のような生活」の中で実現してあげれば、両方の欲求を満たしてあげることができます。
となると、一番分かりやすいのは何らかのクリエイティブな作業でして、そのクリエイティビティ(創造性)そのものが刺激物になりますから、それを静かな環境の中で実現させてあげればいいんじゃね?という図式が生まれます。
(静かで穏やかな環境の中で、何かを夢中になって作る生活など)
あるいは今の仕事のように一見退屈に見える職場で働きながら、オフタイムに内的欲求である刺激を満たすことをやっていく、とか。
人間関係があまり得意ではなく、あまり多くの人と関わらずに過ごすのが合っているのであれば、環境的にはそちらを優先します。
そのうえで、刺激を感じられるものって何なんだろうな?って考えてもいいでしょう。
ふつうのOLをしている女性が実はパンクバンドのボーカルで週末はヘドバンしまくってる、なんてことも珍しくないでしょう?
>なるべくは自分のしたいことを優先して自分軸で、と思うのですが、そうすると仕事以外に人とのかかわりを避けてしまい、親しい人も少なくなり、それはそれで孤独感にさいなまれています。
ああ、これもよく聞かれる質問なんですよね。
でも、ほんとうに自分軸において、したいことを優先していくと、一時的に「孤独感」と出会うことがありますが、それで終わるわけではありません。
もしYさんがほんとうに人とのかかわりが必要ない人であれば、孤独感にさいなまれることはありません。
むしろ、人と付き合わなくて済んで楽だわ~♪と喜びがやってきます。
一方、自分軸でしたいように生きていたら、その世界の住人と出会うようになります。
最近私がお気に入りの表現を使えば「自分軸で好きなように生きている人の住む島」にYさんが移住すれば、同じ志の仲間とほどよい距離で付き合えるようになるんです。
でも、その島に移住する前ってのは「刺激的な人間関係を築く人たちの島」と「穏やかだけど退屈な仕事をしている人たちの島」を行き来しているわけですから、「自分軸で好きなように生きてる人の島」ってのは存在すら気付けません。
人は今まで生きてきた中で自分が体験したり、自分の周りの人が生きている島がすべてだと思い込んでしまうので、「内面的な刺激を求めながら、環境的には穏やかで静かな暮らしをする島」の存在など夢にも思わないんですね。
「ああ、そうか、私はそういう人間なんだから、そういう島に移住すりゃいいんだわ。そこにはそこの住人がいるから、その人たちと付き合っていけばいいんだな」という発想を持ってみるといいでしょう。
ほんとにそんな島なんて存在するの?と疑ってしまえば、その存在は霧に隠れてしまうわけですが、「どこかに必ずあるはずだ!」と思って探してみれば、意外と近いところに発見できたりするのが面白いところです。
そういうわけで内的刺激は求めてるけど、外的刺激に弱いならば、そんな自分がフィットする生き方を選ぶってのが一番です。
私たちはほんと自分が暮らしている島がこの世のすべてだとどこかで思ってしまっているので、少し視点を変えてみるとだいぶ景色が変わってくるものです。
Yさんに置かれましてはとりあえず「あたしの内的刺激を満たしてくれるものってなんだ?漫画以外に何があるのだ?」という意識であれこれ探索してみるといいと思います。
それが恋愛かもしれないし、何らかの仕事かもしれないし、新たな趣味趣向かもしれません。
けれど、自分が心から喜べる刺激を探してみることそのものが刺激的な行動かもしれません。
とりあえず、外的欲求は仕事においては満たされているわけですから、そんな自分を心から喜ばせる内的欲求を探してみてはいかがでしょうか。
その二つが両立することを前提に意識を向けてみると、ほどよい人間関係と日々の充実感がやってくるものと思われます。
★こちらもおすすめ!
*セミナー動画:ライフワークをデザインするワークショップ~こんなご時世だからこそ、「自分らしい生き方」改めて見つめ直してみませんか?
★お弟子さんたちのカウンセリングはこちらから。
>お弟子さん一覧
>オンラインカウンセリング無料相談「ココロノマルシェ」
>お弟子さんたちのセッション・セミナー予定
★自宅で、カフェで、移動中に、どこでも学べる根本の心理学講座
〇メルマガと動画付きで深い内容を学べるオンラインスクール
○音声・動画配信サービス
○セミナーDVD