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寂しいって感情はとてもプリミティブな感情なんですけれど、あまり感じたくないものですよね?
だから、幼少期より寂しさを抑圧して感じられないようにしてきた方も多いんです。
そんなあなたがもし寂しさを自覚したら・・・どうしたらいいのでしょう?
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いつもブログ拝見しています。
以前、権力との葛藤を抱えるパートナーについて取り上げていただいたSと申します。
その後、彼とは紆余曲折ありながら離れることはなく、少しずつ安定期(?)に入りつつありますが、そんな中、私なりに気づきがありましたので、聞いてください。
先日もブログで取り上げておられましたが、情熱系武闘派女子にとっては王道中の王道と言わる爆弾投下事件。
私も何度も何度もやらかしており、彼を不眠症かつ出社拒否に追い込んだ過去があります。
(彼は認めませんが、彼が病んだのは上司との関係のせいではなく、間違いなく私のせいだと思います。)
私はいつもそうやって彼を苦しめてしまうのが辛く、先生の書籍やブログに頼りながら自分と向き合ってきたのです。
それが、最近になって、私が大なり小なり爆発事件を起こす時、その怒りや苛立ちの奥の奥の奥の奥の方に、自分の寂しさを自覚するようになりました。
彼と会って離れる時、
彼が誰かと飲みに行く時、
私より他の人を優先した時、
私を放っておいて電話してる時、
いちいち、一つ一つ、寂しい。
自分でもアホかと思います(笑)
自分でも驚きなのですが、私は今まで約半世紀生きてきて、寂しいという感情を自覚できていなかったみたいです。
私も立派な自立系武闘派女子でした(笑)
さて、ここからが本題なのですが、
それを自覚できたとして…
それで…
私はどうしたらいいのでしょう?
自覚はしても、寂しいと口に出して伝えることができません。
困らせる、
ウザがられる、
飽きられる、
捨てられる、
という恐れが勝ってしまいます。
でもそれを伝えることができるようにならないと、また彼を押し潰してしまいますよね?
どうか可哀想な彼を助けると思って、ご教授お願いします。
(Sさん)
え?寂しいって言えばええやん。
ってツンデレ的に言われたらどう思います?
(1)キレる
(2)ちょっとお前、表出ろ、と言う。
(3)殺意が芽生える
(4)大阪湾に沈めると誓う。
まあ、たいがいこの辺かと思うんですけど、なんで「口に出して伝えることができない」と思いますか?
(1)恥ずかしいから
(2)恥ずかしすぎるから
(3)めっちゃ恥ずかしいから
(4)ものすごく恥ずかしいから
そもそも論として、どうして「寂しい」ってことに気付いたのでしょう?
偉大なるこの先生のおかげでしょうか?
また、なぜ、寂しさを伝えると、
>困らせる、
>ウザがられる、
>飽きられる、
>捨てられる、
と思うんでしょうか?
困らせたことがあるの?
ウザがられたことがあるの?
飽きられたことがあるの?
捨てられたことがあるの?
けっこう、この辺の「カウンセラーならツッコミを入れる基本的かつウザい質問」というのが重要でして、自分では「それがふつうっしょ?」と思うことでも、いざ、「なんで?」と考えてみるといろんなことに気付かされるものです。
単純に見ると毎度おなじみ「投影の法則」で、自分が自分の寂しさの取り扱いに困って抑圧してきたからかもしれません。
寂しいという感情について、自分がお手上げなんですよね。
寂しいという感情の扱いで自分自身が困っているしし、寂しさを感じてるってことがウザいと思うし、そんな自分が嫌い!という思いがあるのかもしれません。
また、そもそも「なぜ、寂しさを感じられないくらい抑圧してきたのか?」というのもひとつのテーマですよね。
子ども時代、寂しい思いを抱えて育ってきたんでしょうか?
我慢することが多かったんでしょうか?
感情を殺さないとやっていけないような修羅の国に生まれ育ったのでしょうか?
そもそも、その寂しさを感じたら、どうなってしまうんでしょう?
今までは寂しがりやな自分をどう隠して生きてきたのでしょう?
なぜ、隠さないといけないと思っていたんでしょう?
・・・。
まあ、質問攻めっっすね(笑)
そうして、ひとつひとつの質問に答えていくとだんだんその辺のからくりが見えてくると思うのです。
直接のテーマとはズレちゃいますけど、「これが問題だ!」と気付くと(それは素晴らしいこと!)、すぐに「どうしたらいいのか?どうしたらこれがなくなるのか?」という方法論に意識が向きますよね?
そうするとどうしたって表面的な対症療法しか考えられなくなるのですね。
そこには二つの問題があって、対症療法ってほんとにたくさんあるわけですが、それが今の自分にフィットしているかどうか分からないってこと、そして、もう一つは表面的な問題を何とかしたとしても、その原因が取り除かれてないからまた同じ問題が起きる、ということ。
なので、こうして質問攻めをするわけですね。
ほら、武闘派の皆さんって言葉攻めされるの好きでしょ?ね?サービス!サービス!
例えば「寂しさをどうしたらいいでしょう?」って質問に、「そんなの彼に直接言っちゃいなよ!」(=対症療法)って言われても殺意しか持てないから解決にならないわけです。
また、仮に根性キメて気合い入れて寂しさを伝えたって、当然、変な空気と変な言い方になるから、たぶん、その思いは伝わらないと思うんです。
それが分かってるから「具体的にどう言うたらいいんですか?」「どんなタイミングで言ったらいいんですか?」「拒絶されたらどうしたらいいですか?」「ほんとに言って大丈夫なんですか?責任取ってくれます?」なんて疑問が次々に出てくるわけですね。
方法論を駆使するとどうしたってその疑問から逃れられませんし、さらに「彼にそう伝えてみたら、ふーん、て反応ですか?これって伝わってるんですか?スルーされてるんですか?」とまた新たな疑問が噴出したりするわけです。
なので、私は「まあ、どうしたらいいかはちょっと置いといて、もう少しその心の中を覗いてみましょうか?」なんていやらしい目で問いかけるわけですな。
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ということで、じゃあ、Sさんはどないしたらええっちゅうねん!という話なわけです。
それくらい寂しい思いを抱えて来られたわけですから、それに気づくと寂しさが噴き出してくるのは無理もないことです。
自立系な人たちは「それを何とかしなきゃ」と思いますが、「それを何とかしなきゃ」というのは、寂しさという感情をゴキブリか何かのように扱おうとしてる証でして、つまりは、ウザい、キモい、嫌なもの、という解釈を「寂しさ」に対してしているわけです。
寂しいって、そんなに悪い感情なんでしょうか?
なので、とりあえずは「その寂しさを自分がまずは受け入れること」です。
「ああ、あたしは寂しいんだなあ。彼とくっついていたいんだなあ。彼と離れるのがこんなにも寂しいんだなあ」と【ただ思っておく】ということです。
「自分は寂しがり屋なんだなあ。こんなにも寂しいんだなあ。」とただ、そう思っておくことです。
これには時間をかけます。数か月~半年くらい。
ながっ!と思われるかもしれませんけど、たぶん、それくらいは溜まってると思います。
久しぶりに感じることができるようになった寂しさを体になじませていく感じです。
そうすると感情と記憶はつながっているので、過去のいろんなできごとを思い出すことも増えるでしょう。
子どもの頃に感じていた寂しさ、学校でふとした瞬間に湧き上がってくる寂しさ、恋人と別れて家に帰ってきたときに寂しさ、等、当時は感じられなかったけど、ほんとうは感じていた寂しさなど。
いろんな寂しさがよみがえってくるのはちょっと辛く感じるかもしれませんが、そこで「これは昔の私の気持ち。昔の自分が感じていた気持ち」と意識すると、現在と過去とを区切ることができるので、寂しさに飲み込まれることはなくなっていくと思います。
そうして「かつての私が感じていた感情」(でも、それは今現在心の中にとどまっている)を流していくわけです。
ただ感じるだけでもいいし、何かに書きつけてもいいし、ただ瞑想するみたいに頭の中で想像してもいいでしょう。
そうして心の中にある感情を外に解放してあげるんですね。
なじませる。
解放する。
そうしてまずは自分が寂しさくんと上手に付き合えるようになっていくわけです。
自分が取り扱えないものを彼にいきなり扱わせるってのはなかなかハードっすからね。
そもそも彼だって寂しさの取り扱いが上手かどうか分からないし(たぶん、上手じゃないはず(笑))
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で、とにかく久々にご対面した「寂しさ」くんを悪者にしないってことが基本っすねー。
さて、どんな感情も表と裏があるわけですが、「寂しさ」がもたらしてくれる恩恵って何だと思いますか?
寂しさを感じられると、何を感じられるのでしょう?
ぜひとも考えてみてくださいませ。
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ずっと麻痺してきた寂しさに気づいたら?
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