「聴く」とは「相手の意図と自分の理解を一致させる」作業であり、「話す」とは「自分の意図と相手の理解のすり合わせ」である。



自分の意図を伝えようと思えば、まず相手に自分を信頼してもらうことが大事で、そのためには「まず相手を受け入れる」という作業が必須になってきます。
その「相手を受け入れる」ということが「話を聴く」ということになります。
そして、ある程度信頼関係ができたうえで初めて相手は「聴く耳」を持ってくれるので、相手が受け取りやすいボールを投げることで、コミュニケーションは成立するのです。
つまり、めちゃくちゃ難しいってことですね(笑)

根本先生、こんにちは。
メルマガは常に我が身を振り返らざるを得ない内容で、勉強させていただいております。ありがとうございます。

なぜ結婚&付き合った後~を読み、心底恐ろしく感じて身震いし、初めてご連絡差し上げました。

無自覚で悪意は全くないのですが、私も他の方からそう思われているに違いないと感じました(上から目線、揚げ足取り)。

子供の頃から思ったことをそのまま伝えていたようで、教師や上級生からは生意気だと暴力を受けたり、嫌われていました。
大人になってからは、「相手の核心ばかり突かない方がいい」と言って下さった方もあります。相手を守るため、また職責から誠心誠意したことが侮辱と取られ、仕事を辞める結果になったことも数度あります。同時にとても高く評価して下さった方々もいらっしゃいました。

罵倒されて数年後に、私は間違っていなかったと謝って下さった方も数人ですがいらっしゃいます。

見ないふりをすることは不誠実だと感じるために、思うことを伝え、表現も気をつけているつもりですが、よく地雷を踏んでしまっています。

今のところ自分ではどうしてよいかわかりません。もし、何かヒントをご教示いただけましたら、うれしく思います。
(Nさん)

要は、正義感が強く、頭の回転も速く、かつ、目の付け所が良くて、的確かつストレートな方だってことっすね?

なので、別にそれは悪いことではないですよね。むしろ、長所がいっぱい!てことです。

外国語を話されるならば全然問題ないかもしれませんよねー。

日本語はいろいろと相手の気持ちを察するとか、丁寧な表現をするとか、ストレートではなく婉曲的な表現を多用するとか、言語学的には相当高度なことをやっているようで、その一つがよく指摘する「主語の欠落」だったり、「敬語」だったりするんですよね。

だから、思ったことをそのままストレートに表現することはどちらかというと禁忌(タブー)とされておりまして、Nさんのような方は煙たがられることが多いと思います。

つまり、日本では、正しいことを伝えるよりも、その場の雰囲気を乱さぬような表現をすることが望ましいわけで、それでこそ「玉虫色の決着」的なことがまかり通ります。

なので「日本語、苦手なんすよね!いやあ、難しいっす」というスタンスでいらっしゃることをまずはおススメしたいと思います。はい。マジで。

なので、一番の解決策は「海外移住」かもしれねーなー、とテキトーなことを考える私です(笑)

さて、そんな in Japan におけるコミュニケーションてのは、相手の気持ちを慮るとか、空気を読むといった「俳句的世界観」が重要視されておりますので、それが苦手な方はうまく日本語が操れない問題が発生するものです。

とはいえ、そんな方でも日本で生きていかねばならぬ、人と関わって過ごしていかなければならぬ、ということであれば、そうした長所を殺さずに、うまいことやっていくテクニックが求められることになります。

なので、そういう意味でのテクニックを「学ぶ」「磨く」という意識で取り組まれるとよいと思うのですね。

それで、まず意識したいのが「話を聴く」というスキルでして、信頼関係を築く上で最も重要かつ効果的な方法です。

人はつい「何かを言う」ということに意識を持って行ってしまうのですが、何かを言うためには、相手に「聴く耳」がなければせっかくの名言も無効になってしまうわけで、その聴く耳を持たせる方法というのが「聴く」ということなのですね。

ところが、いざ話を聴かん!となったところで、私たちの中には様々な観念が渦巻いていますので、相手の話を聴いた瞬間に自分の中の観念と照らし合わせて様々な意見を持つようになっています。

つまり、相手の話に対して「それは間違ってる」「その考え方は良くない」「それはポイントがずれている」みたいな判断を瞬間的にしてしまうわけです。

でも、それは話を聴いているつもりで聴いていない姿勢そのものでして、その意見を言った瞬間に相手の心は固く閉ざされる仕組みになっています。

うちのお弟子さん制度の講座でもこの辺の話はあれこれさせてもらっているのですが、話を聴く、というのは、相手の心を聴く、ということで、表面的な言葉ってのはあまり信用が置けないものなんですね。

例えば、化粧品売り場に行きますと様々な色の口紅が売っておりますが、一言で「赤」というには気が遠くなりそうなくらい赤リップの種類がありますよね?
でも、表現するのは「赤い口紅」なわけで、ある人にとってそれは明るい赤であり、ある人はダークな赤であり、ある人にとってはピンク系な赤であり、意味するところは様々です。

だから、相手の言葉を聴いたときに「あたしにとって赤リップとは、真っ赤な、これぞ赤!!という色を意味するんだけど、この人にとってはどんな赤を意味しているんだろう?」という発想を持つ必要があるわけです。

それで「あなたの言うてる赤リップってこんな色ですかー?」なんて確認作業が出てくるわけで、そこで「あ、違うんです。あたしが言う赤リップって、もっとライトな感じの色合いなんです」という言葉をもって、お互いに意味が通じます。

つまり、相手の話をきちんと聴こうと思ったら、自分の意見や考えを伝えるまでに膨大な数の質問・疑問が浮かんでくるはずなのです。

だから、話を聴いてすぐに意見をしてしまうのは「話を聴いてるようで聴いていない」ということになります。

それで私なんかもカウンセリングでお話を伺う際は「傾聴する」とか「共感する」とか言う表現よりも「インタビューする」という意識でいることが多いですね。

「そうなんや。ほんまに好きやねえ。で、そのロックマンってのはどういう種類のロックマンなの?ほら、一応その気にさせるようなことを言うてくるタイプなのか、最初からずーっと固まったまんまなのか、いろいろタイプがあるじゃない?」なんて話を振ることになります。

そうして「話を聴きながら、相手の意図と自分の理解を一致させていく」という作業をしていくんです。

ねえ、これが難しいんですよねー。
もちろん、それができるできないも個人差がありますけれど、ただ、これってテクニックなので誰でも意識していけば身についていくものです。

さて、話を聴いた上で今度は伝えるって段になるわけですけど、これも基本的には先ほどと同様「自分の意図と相手の理解のすり合わせ」が大事になっていきます。

Nさんはドストレートな表現を使われるようですけれど、それが心地良いと感じる人もいる一方で、「それは痛い、い、痛すぎる」という方も少なくないようですね。

それは例えるならばプロ野球のピッチャーがボールを投げる行為に等しく、相手がプロのキャッチャーだろうが、素人だろうが、手加減せずにボールを放っていたらけが人が続出しますよね?
一部、プロのキャッチャーだけが「ナイスボール!」と言ってくれるくらいで、あとは「きゅ、救急車・・・」という羽目になるんだろうと思います。

せっかくいいボールを投げるピッチャーでもけが人を出しちゃうと場合によっては刑務所で過ごさなければならなくなるので、せっかくの才能がもったいないことになってしまいます。

つまり、話し言葉ってのは相手が受け取れるような力でボールを投げることでして、どんだけ核心を突いていても、それが相手が受け取れない言葉であれば、やはりものすごくもったいないことになってしまうのです。

とはいえ、先述の「聴く」ということによって信頼関係ができていれば、相手は自分を理解しようとしてくれますから、その辺、話は違います

例えば、私のクライアントさんの多くは私のこのブログを穴が開くほど読み込んでいる方であり、ある程度、私のことを理解してくださっている方がほとんどです。
そのため「愛想のない返事」「妙に長い沈黙」「時々鼻くそをほじる」「やる気のない提案」等があったとしても、「わあああ、本物だああ」と感動してくださいます。

しかし、たまに「知り合いの紹介」だったり、「お仕事上のお付き合い」だったりで出会う方に、そのような態度を取ったら、途端に私の人格を疑われてしまうので、「笑顔での返事」「沈黙を作らないようなテンポの良い会話」「背筋を伸ばして話をお伺いする」「情熱的なご提案」等をさせていただくようにしています。

つまり、信頼関係があるかどうかで態度がコロコロ変わるわけです。
でも、それって私がおかしいんじゃなくて、誰でも同じはずで、例えば、絶賛OL中の皆様も「取引先のお客様」「上司」「同僚」「後輩」「友達」「おかん」の前では使う言葉も、声のトーンも変えておられることと思います。

なので、信頼関係があればある程度、ドストレートな表現をしても「相手が好意的に受け止めてくれる」ということになりますが、信頼関係が成り立っていないと、単に「こいつは攻撃的な奴だ」という風に受け止められてしまいがちです。

そういうわけで、コミュニケーションにおきまして「相手が受け取りやすい言葉を選んで伝え、その意図が伝わっているかを確認する」という作業を目指していくことが理想です。

ええ、あくまで理想です。

そして、さらなる理想を言えば、その言葉に自分の思いや感情、情熱なんぞを乗せると、相手の心を動かす言葉になるわけです。

そうした聴く姿勢にしても、話す言葉選びにしても、「心に余裕」がなければなりませんし、意外なことかもしれませんが、「自己肯定感」もすごく大事になってくるものです。

心に余裕がなければ相手を受け入れる隙間もありませんし、言葉選びも雑にならざるを得ません。
自己肯定感が低いままだと、相手に対して委縮してしまうので、やはり心から余裕が奪われていきます。

また、さらに重要なのが「判断材料」として使われる、自分の中にある観念の数々でして、特に「正義感」(正解主義)やら「理想主義」やら「完璧主義」やらが出てくると、それはそれはもめごとしか起こせなくなってきます。

それで、Nさんの自覚症状のある部分から見ていくとすれば、

>無自覚で悪意は全くないのですが、私も他の方からそう思われているに違いないと感じました(上から目線、揚げ足取り)。

この「上から目線、揚げ足取り」というのは、これだけ見ると、たいへん自分に自信のない方なんだなあ、という風に捉えられますし、そこには自己顕示欲、競争心などが隠れているのかしら?と邪推してしまうわけです。

幼いころから人に理解される機会が少なかったのであれば、他人に対する不信感もけっこう強くなりそうですし、また、いじめられたりした心の傷があるならば、復讐心なり何なりで無意識に他人に対して攻撃的になってしまうものかもしれません。

けれど、冒頭のお伝えしたNさんのその長所を活かすという意味では、そうした観念はまことにもったいないですから、何とかしていきたいところですよねー。

ということで、気が向いたら、そうした自分の内側にある問題に目を向けつつ、聴く力、話す力を磨いていくことをお勧めしたいと思います。

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