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「自分が罪悪感がこんなに強いとは思わなかった」
「自分にはないと思っていた罪悪感が実はあったことの驚いた」
罪悪感本を読んだ感想で多かったのがコレでした。
カウンセリングや心理学の世界に20年以上もいると、罪悪感なんてあって当たり前だし、ほとんどの問題の影に罪悪感があることは当たり前のことだったので、その感想はとても意外に感じましたし、それゆえ、この本を書いた意義があったんだと思っています。
私たちの心の奥深くにはいわゆる「良心」とよく言われるものがあります。
心理学的にはハイアーマインド、ハイアーセルフなどと呼ばれるもので、いわば「心の中に神様がいる」のです。
その心の中の神様は人を愛することを喜びとし、ワクワクや親密感、そして、その人の才能(ギフト)を与えてくれるものなのですが、一方、それに反する行為については罪悪感を覚えるものです。
例えば、誰かに対して攻撃的な感情が湧いたとします。
それは「思考的」あるいは「感情的」には「正当」だったとしても、「良心」からすれば愛ではないので罪悪感を覚えてしまうんです。
それは車の運転中にサッと割り込みされた瞬間に、部下が頼んでおいた仕事をやらなかった瞬間に、はたまた凶悪な事件をニュースで見た瞬間にも起こり得ます。
だから、皆さんが朝起きてこの記事を読まれる間にも「相当数」の罪悪感が心の中に生まれていると言っても過言ではないと思います。
つまり、そんな些細なことで私たちは罪悪感を覚えてしまうのです。
私たちは「愛せなかったとき」にもれなく罪悪感を覚えてしまうのです。
言い方を変えれば、それくらい愛に忠実な生き物とも言えるでしょう。
だから、明確に人を傷つけてしまった、とか、力になれなかったとか、周りに比べて自分が恵まれていると感じたとか、そんな場面では相当強めの罪悪感を覚えます。
ただ、それを敏感に感じられないのは、感情は「麻痺」するからです。
もちろん、これは罪悪感だけでなく、寂しさや怒りなども同じなのですが、何度も同じ刺激を受け続けていれば私たちはその感情を認識しないようになるんです。
ただ認識できなくなっただけ(麻痺しただけ)であって、その感情がなくなったわけではありません。
だから、罪悪感も愛が強い人ほど強く感じますから、どんどん麻痺していきます。
その結果、「何となく」幸せになっちゃいけないような気がするし、「なぜかわからないけれど」自分は幸せになれないような気がするし、「なぜか」愛を受け取れないようになってしまうし、「理由は分からないけれど」いつもハードワークするようになるんです。
恋愛、夫婦、家族、仕事、お金、人間関係でいつもうまく行かない、なぜか幸せにならない方向に進んでしまう、という問題の影に罪悪感の存在を疑うのは、そうした理由からです。
それくらい繊細に罪悪感を感じてしまう私たちですから、本で紹介したように「両親や周りの人の期待に応えられないだけで罪悪感を覚える」「自分の長所を発揮できなかったときに罪悪感を覚える」なんてことも起きてしまうわけです。
個人セッションではよくこんなお話を伺います。
「特に両親もふつうの人で、愛情を注いでもらったと思いますし、そんなブログに出てくるようなトラウマのようなできごとは思い出せないんです。でも、どうしてもロックマン氏を追いかけてしまうし、仕事もハードワークしてしまうんです。なぜなんでしょう?」
そう、一見、コレが原因と分かるできごとに心当たりはないのに、物事がうまく行かない、となれば、私としては「何らかの罪悪感の存在」を疑うことが多いのです。
「子どもの頃はどんな女の子だったの?もう武闘派だったの?」
「中高生の頃は学校でどんな風に過ごしてたの?やっぱり武闘派だったの?」
「どんな恋愛してきたの?やっぱり武闘派らしい恋をしてきたの?」
そんな風に歴史を繙いていくわけです。
そうすると「当たり前」と思っていたことが心の中では罪悪感を生み出す仕組みになっていることも多いのです。
「お母さんを助けてあげられなかった」
「お父さんを見捨ててしまった」
「弟に何もしてやれなかった」
「お姉ちゃんに何でも任せてしまってた」
意識の外にある、こうした思いが罪悪感を生み出していることも実に多いのです。
もちろん、「迷惑をかけてしまった」とか「志望校に行けなかった」とか「大会でいい成績を取れなかった」などのできごとが重なれば、当然、罪悪感はどんどん積み重なって行きます。
とはいえ、ビビる必要なんてありません。
それくらい繊細に罪悪感は生み出される、ということです。
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ある女性はずっといい子で育ってきました。
親からは「育てやすい子」と言われ、どちらかというとやんちゃだったお姉ちゃんよりも親に褒められることは多かったようです。
しかし、それゆえ、彼女は「道を外れる」ということができませんでした。
その「道」とは「親が期待すること」でした。
だから、気が付けば親が望む人生を歩いていました。
しかし、それは彼女にとっては苦しいものでした。
親に反発して好きなことを好きなようにやっているお姉ちゃんのことが、表向きは嫌悪していたのに、心の中では羨ましく思っていました。
それで中学生の時に仲良くしていた同級生の子にちょっと意地悪をしてしまいます。
宿題のノートを隠して困らせたり、彼女のよくない噂を流したり、好きな男の子にそのことを勝手にバラしたりしていました。
それで憂さを晴らしていたんですよね。
その後、高校に入ると優等生を続けていましたが、学校の勉強にだんだんついていけなくなります。
同時に、服や化粧に俄然興味を持ちますし、男の子にモテたいと思うようになります。
お姉ちゃんの派手なファッションに憧れみたいなものも持っていました。
けれど、表向きは優等生で、塾には行くけど、バイトはできません。(親が禁止したから)
だから、ある掲示板がきっかけで援交を始めるようになります。
男の人とホテルに行って1時間我慢するだけでたくさんお金がもらえる仕組みに喜びを感じました。
してはいけないことと知っていましたが、欲しい服やアクセサリや化粧品を買うためには仕方がないことと割り切っていました。
結局それは彼女が大学生になるまで続きます。
当時の彼女に罪悪感はあまりなかったと言います。
してはいけないこと=悪いこと、と思っていたので、十分罪悪感はあったはずなのですが、それを自覚したらとてもやっていけないので、正当化していたみたいです。
援交自体は大学生になって彼氏ができる頃にはしなくなっていたのですが、なぜか、付き合う彼氏がダメンズばっかりなんですね。
大学を留年してバイトばっかりしてる人、精神的に弱い人、お金のない人、仕事をすぐに辞めちゃう人。
友だちから「すっごくいい子なのに、恋愛は全然ダメなのが不思議」と言われるくらいでした。
まさか、自分が親や社会(友達、先生など)を裏切っている罪悪感からそんな彼氏ばかりを選んでいるなんて想像もつきません。
そんな時にあるカウンセラーから罪悪感の存在を指摘されます。
「私は無罪です、私の罪はすべて許されました、って言うてみ」と言われたのですが、なぜだかその言葉が言葉にならなかったのです。
「実はそれくらい自分のことを責めてたんやで」とそのカウンセラーはニヤニヤしながら言いました。
そのことに衝撃を受けました。
その後、彼女はある宿題に取り組みます。
「お母さん、お父さんにごめんなさいの手紙を書く」
「中学の時にいじめた友達にごめんなさいの手紙を書く」
書いているうちにどんどん涙があふれてきました。
こんなに苦しい気持ちを自分が持っていることにその時初めて気付きました。
そうして、彼女は罪悪感を癒していきました。
そのプロセスで彼女はある夢を見つけました。
それは「海外に暮らしたい。パリやNYでファッションの仕事をしたい」
実はそれ、お姉ちゃんの夢でもありました。
何かと「あたしは海外に行く!ファッションの仕事をする!」って言っていたからです。
しかし、実際、お姉ちゃんは若くして結婚して3児の母になっています。
お姉ちゃんにあこがれ続けた彼女は、お姉ちゃんが目指した夢を叶えたいと思うようになったのです。
そして、彼女はまずは語学を習得するためアメリカに飛び立っていったのでした。
「なんか、やりたいことが見つかってから男にはすっかり興味がなくなっちゃって・・・これでいいんですかね?」とは、彼女との最後のセッションで言っていた言葉です。
そのカウンセラーはいつものようにニヤニヤしながら「ええんちゃう?それで」と言ったそうです。
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罪悪感というのは自分を罰しようとする感情で、一見、敵のように見えるのですが、それくらい当たり前に存在するとなると、撲滅しようとすることはあまり賢いことではないと思っています。
だから、「罪悪感なんてあって当たり前、罪悪感と上手に付き合っていく」というのが本の主要なテーマの一つになるのです。
けれど、それが強すぎて幸せを遠ざけているならば少しは緩和した方がいいですよね?ということで、様々な方法を提案してきました。
その一部は本の中にも書きましたが、他にもたくさんあります。
もちろん、ケースバイケースですけどね。
そんなセッションをまとめたワークショップを開催するので、良かったら来てみたらどう?というのが今日のネタなんですよー。
ちょっと参加してみたくなった?なった??
『罪悪感から自分を解放する4時間ワークショップ』
名古屋:7/21(日)14:00-18:00
東京:7/28(日)13:00-17:00
大阪:8/10(土)13:00-17:00
https://nemotohiroyuki.jp/event-cat/30876
ちなみに本はこちら。
ないと思っていてもあるものが罪悪感。
だから、上手に付き合っていきましょうね!というお話でした。