温厚な仮面の裏にいる攻撃的な自分が怖い。



嫌われたくない→嫌われないようにする→いい人の仮面をかぶる、というのは、誰もが少なからずやっていることですが、その裏にある「嫌われると思ってる自分」を肯定することで、自分らしく生き易くなるものです。
そして、その仮面の奥の奥にはちゃんと大きな愛があることに気付くと肩の力がとても抜けますね。

根本先生

はじめまして。
彼氏とかゴタゴタが続いて悩んでる時に「7日間で自己肯定感をあげる」本とブログにたどり着き、少しずつ自分軸と手放しを進めています。
ハッとするお言葉ばかりで、その度にわんわん泣いたり、何かに気付いたり、なかなか読み進めるのにパワー要りますが、今までこんなに自分自身に対して向き合ったことないなぁと思い、根本先生と出会えて(実際お会いしていないですが)感謝しています。

自分らしさを取り戻すにあたり、質問したいことがあります。
自分の中に人を嫌な気持ちにさせるいわゆる性悪本性がある場合、自分らしさはどこまで優先すべきでしょうか。

私は元々自分の世界があり、その中に入ってこようとしたりペースを乱す人に対して、とても冷たい対応や攻撃的になります。(これ武闘派女子の一種でしょうか)
成長の過程で人に嫌われたくないと思うようになり、それを隠すために、とても温厚な仮面を被るようになり、今では周りからは「人当たりがよくて怒ることなんてないでしょ」と言われ、自分でも仮面なのか自分なのかわからないくらいです。
しかし、人によっては掴み所がないとか、もしかして羊の皮を被った狼?と言われたり、今までの彼氏からも何人か、私ののんびりした人格について強い否定や言葉のDVを受けたりします。
根本先生のブログを読んでて、おそらく自分の中の隠しきれない攻撃性みたいなのが見え隠れして、距離が近い人から見たらそれが恐れに感じてるんではないかと、分析しています。

自分軸に移行していくにあたり、自分の仮面を少しずつ剥がしていく必要があるのでは、と思うのですが、剥がしていくと攻撃的で人に不快を与える迷惑な自分が出てくるのが怖いです。

もしネタになれば幸いです。
よろしくお願いいたします。
(Aさん)

いいネタありがとうございます~♪

>私は元々自分の世界があり、その中に入ってこようとしたりペースを乱す人に対して、とても冷たい対応や攻撃的になります。(これ武闘派女子の一種でしょうか)

確かに武闘派女子の一種だから、ともいえるんですけど、でも、それ、ふつうのことですよね?

自分の世界に入って来て乱す奴なんてのは即刻退場願いたいですし、出禁にするでしょうし、何ならさらし首にするでしょう。

中には「おいでおいで」しながらも、結果的に「出てけ!」と矛盾したことをやっちゃう怖がりさんもいらっしゃいますが、でも、それだってふつうのことだと思います。

で、Aさんのように「私は性悪だ。中身は相当攻撃的だ。めっちゃ武器揃えてまっせ!」という方は、その攻撃性を隠すために「やさしい、温厚、穏やか」と言った仮面をかぶり、「あたし、人畜無害っす」という顔をします。

けど、それは元々持ってる優しさ(人を傷つけたくない、等)でもあり、その一方では、「嫌われたくない」「一人ぼっちになりたくない」などの怖れでもあります。

そして、その内側に隠している攻撃性を自分自身が怖れているほど外側の仮面は分厚く徹底したものになります。

つまり、めっちゃギャップができるわけですね。

そうして内側を上手に隠すと、こんな風に言われたりしますよね?

>今では周りからは「人当たりがよくて怒ることなんてないでしょ」と言われ、

更には、

>人によっては掴み所がないとか、もしかして羊の皮を被った狼?と言われたり、今までの彼氏からも何人か、私ののんびりした人格について強い否定や言葉のDVを受けたりします。

という状況にもなってきます。
内側の攻撃性が投影されて、彼氏が攻撃的になる、というのは心理的によく起きることです。

うちの常連読者の大半は「狼の皮を被った獅子」だったりするんですが、彼女たちも元々はその外側に羊の皮をかぶってた時代がある方も多いです。

でも、心の世界ってのはまだまだ奥深くて、Aさんが「性悪」と感じる攻撃性や、狼だと感じるものが「本当の姿」かどうかはわからないんです。

むしろ、そうなっちまった理由というのもあるわけです。

多くの場合、その攻撃性は「心の傷を守るため」に生まれます。

手負いの獅子に近付けば、猛然と威嚇されることは想像に難くないでしょう?

その傷の深さ故に、その攻撃性は増していくものです。

そして、その傷は多く、幼少期の家庭環境や、思春期の学校生活などで培われたもので、大人になってしまえば、すっかり忘れてしまってることもあるものです。

だから、そうした時代を思い出して受け入れましょう、という話をAさんも読んでくださった自己肯定感本では書いてます。

「敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法」(あさ出版)

傷が心の中にあって、それを攻撃性という鎧で纏い、でも、それだと孤独になってしまうので温和な顔の仮面をかぶる、という仕組みになっているわけです。

この時点で3重構造ですね。

とはいえ、そこで終わる話ではなく、さらにもう一層深く掘り下げてみましょう。

こっからはちょっとクサい話になりますので、鼻をつまみながらお読みください。

じゃあ、その傷の奥には何があるか?というと、とてもピュアなハートがあるんです。
人のことを無邪気に信じ、人のことが好きで、人に与えたい自分がいるんですね。
そこはキラキラとして、可愛らしい笑顔で毎日を楽しんでる天使のような姿があるんです。

その子は愛がいっぱいで、みんなのことが大好きで、みんなを幸せにしたいんです。

でも、それはある意味無防備な状態で、その愛が大きければ大きいほど、周りの人たちの言葉や態度によって傷ついてしまいます。

愛が深いほど、愛を与えたいと思い、けれど、愛を受け取ってもらえなかったときに傷つきます。

愛が強いほど、助けたい気持ちが強く、けれど、助けられなかったときに罪悪感を背負います。

そして、その愛が強いほど、愛によって傷ついてしまうので、愛を信じなくなります。

それが「心の傷」と呼ばれるものであり、その攻撃性を生み出します。

だから、そういう意味でAさんはとても愛の深い人だと言えるわけですね。

ええ、そんな自覚なんてないでしょうけどー。

で、肝心のご質問なんですが、

>自分軸に移行していくにあたり、自分の仮面を少しずつ剥がしていく必要があるのでは、と思うのですが、剥がしていくと攻撃的で人に不快を与える迷惑な自分が出てくるのが怖いです。

という風に思われるのは至極当然のことでして、それは今まで「人に嫌われないように自分を隠してきた」のであれば、自分を出す、ということは「人に嫌われるかもしれない」という怖れと直面させられるわけですね。

でもまあ、これはほんとにわかには信じがたい話かもしれないのですが、実際に仮面を外して素顔を晒してみると、案外、人は「ああ、そうだよねー。うん、そんな気がしてた」みたいな感じで受け入れられることも多いものです。

嫌われる、と思ってたのに、逆に好かれちゃった!という人もたくさんいらっしゃって、時々私のブログでも紹介させてもらってます。

どちらにせよ、素顔で生きることは自分にとっては「とても楽で自然」なことですから、気分は今より全然良くなります。

更に言えば、その攻撃性の奥の奥にはちゃんと大きな愛があることを知れば、「じゃあ、その愛にフォーカスしてみればいいんじゃね?」ということも分かります。

ただ、急にはうまくできないので、時には誰かとケンカしたり、「あいつは変わった」と揶揄されたり、その攻撃性故に自己嫌悪が高まったりするんですけど、そこで取り出したるは伝家の宝刀「自己肯定感」で、「それが今の私なんだし~」と受け入れてあげると、その攻撃性も緩んでいきます。

つまり、その攻撃性も、その奥の傷も、さらにその奥の愛も、すべて「それが私」と受け入れてあげることで、案外被害は少なくて済むものなんです。

だから、ちょっと怖いかもしれませんけど、「人に合わせるんじゃなくて、自分の思いを実践する」ということをちょっと意識されてみてください。

その辺の事例なんかを知りたい場合はこの本なんか参考になると思います。

『人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本』(大和書房)

★根本のお弟子さんたちによるカウンセリングも受けられます。

http://cocoronooffice.jp/#counselor

★動画付きでより深い内容を学べるオンラインスクール。月額3,240円で毎週月曜日配信。
https://www.mag2.com/m/0001677732.html

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