過去の栄光が気になって、今の自分を受け入れられない。



かつて成功したり、優等生で周りから褒められたりすると、そのモニュメントにしがみついてしまい、今の状況を否定的にしか見られなくなります。
実はその両方が今の自分に大きな教えを授けてくれているのですが、それを受け取るためにも自分軸、自己肯定がとても大切、というお話です。

私は子どもの頃、様々な賞状をもらったり答辞を読むような優等生タイプでした。
よく知らない先生や大人達からも話しかけられ褒められるような子ども時代だったので「子どもの頃の自分」よりもどうしても劣化したように感じてしまいます。
今の私の状況は、どう考えても幸せの部類ですし、また自分なりに精一杯がんばって今のところに来たと思っています。でも「あの子が大人になったらもっともっと社会で活躍しているはずじゃないか?」という思いがたまによぎります。
どこかで道をまちがえたのではないか、とずっと思っているところがあります。
(最も頭に浮かぶのは、氷河期時代に大学を卒業し全然就職できなかったことです)
ただこどもの頃は本当の友達もいなかったし(全員と仲良くできる子として認識されていました)
ギリギリで無理をしていただけなのかなあと思うこともあります。
過去の己が劣等感を刺激するような場合は、どのように考えれば良いでしょうか?
(Sさん)

過去の栄光が今の自分を縛り付けるって話は実はよくありまして。
私の常連さんも「20代はめっちゃモテた!ほんまモテた!男ができないって人の気持ちが分からないくらいモテた!でも、今は全然あかん!ほんまにあかん!あのとき嫁に行っとけばよかった!!」と激しく嘆いていました。
今は再びモテ期に入り、途端にカウンセリングやセミナーには足を運ばなくなり、時折、メールで近況報告をしてくれる家計に優しくない奴になりましたけど(笑)(それはそれで嬉しいことですよ、ほんとは)

過去の栄光に引きずられることを心理学では「モニュメント」って呼びます。記念碑、ですね。
「あの頃の俺はすごかったんだぞ!」と酔っぱらないながら語るオジサンは、そのモニュメントに今もしがみついているわけです。

さて、そんなSさんのお話ですが、もしセミナーとかでその質問をされたのならば、私はこんな質問をすると思うんです。

「Sさんがしたいことって何?やりたいことって何かないの?」

何て答えると思います???

「どう考えても幸せの部類」ってことは幸せじゃないってことですよね?
Sさんの幸せって何をもって成り立つものなのでしょうか?

人の評価?
人から褒められること?

大人になると褒められること、極端に減りますよね。

皆さんも覚えてます?
かつては一人でご飯を食べられるだけで、一人でお着換えができるだけで褒められた時代があるんですよ!!すごいよね!

それが今ではよほど突出した結果を残さない限り褒められることなんてありません。(日本では)

「子どもの頃は神童、大人になったらただの人」という言葉もありますが、子どもの頃、評価されたことが大人になってからは全然見向きもされないってこと、よくあるんです。

そこで、Sさんに更なる質問なんですけど、

「なぜ、子どもの頃はそんなに褒められたんだと思います?」

そこにヒントが隠れてるのかもしれません。
とはいえ、今はカフェのカウンターにコーヒーを飲みながらこの原稿を書いているので、残念ながらSさんはいらっしゃいません。

ということは、私の思い込みと一方的に伝えたいこととでこの原稿を埋められるというわけなので、言いたいことをしゃべってネタにさせてもらいたいと思います。

優等生たちの孤独、という話をたまにします。

子ども時代の優等生って確かに成績がいい、見た目がいい、受け答えがいい、などの理由で成り立ちます。
つまり、大人たちにとって都合のいい子どもが優等生として認知されるわけです。

「あの子は授業態度も真面目だし、成績もいいし、他の子たちの見本になる!」として祀り上げられることもしばし、です。

そして、私たちは褒められると嬉しいし、評価されると自信が付くので、ますますいい子になって優等生になろうと頑張ります。

それは自分の個性を伸ばす、というよりも、大人たちに気に入られる子どもになろうとする態度に他なりません。

その結果、大人にばかり意識が向くようになり、反面、同級生たちにそっぽを向かれることも多いんです。
Sさんが書いていらっしゃるように、優等生としていい子人生を進んできた方に、友達が少ない、心を許せる友人がいない、という方が多いのも、そのせいかもしれません。

意識が大人たちに向いてしまっていたわけです。
中には「ちっちゃな大人」になって、周りの同級生を「子どもだなあ」と見下したり、大人代わりに始動しようとしたりして、逆にいじめられちゃう子もいますよね。

ちなみに、私もそういう部類に属しておりましたのでSさんの気持ちは分からないでもありません。
その後私は高校時代に優等生にはなれないことを悟り、若干ドロップアウトしていきましたので、それほど過去の栄光に縛られることはないのですが、そのまま、ストレートに大学、社会人と進まれた方は、少なからずSさんと同じ思いを抱いているように思うのです。

Sさんにとって挫折というのはやはり就職難の時代が思い出されるでしょうか?

挫折って悪いことじゃないんです。むしろ、ありがたいものでね。それは大失恋でも、受験失敗でも、友達の裏切りでも、就職失敗でも何でも構いません。
挫折をして初めて学ぶ、気付くことも多いですし、そこで「ああ、自分はやっぱり人間だったんだ」と知ることも大きいです。

さて、大人たちに褒められることが多いがゆえに、大人の方を向いて行動するようになると、このブログ/メルマガを通読されてる方ならピンと来られるように「他人軸」になってしまいます。

「自分」がいなくなってしまうわけです。
だから、最初の質問が出てくるんです。

「あなたは何がしたいの?」という意味で。

アドラー心理学では「子どもを褒めるのはよくない」という教えをしています。
なぜならば、子どもを褒めると、子どもは褒められるために行動するようになるからです。

Sさんの人生を振り返ってみて、思い当たるところ(うっ!と痛いところ)はありませんか?

子ども時代は大人が主導するので、大人好みの他人軸(大人軸)の子どもがちやほやされます。
ところが、その子どもが大人になると、急に「個性を発揮して生きなさい」と言われるんですね(つまり、「優秀だけど個性がない」とか言われるわけです)

まったくもって理不尽な話ですけど、ずっと優等生で生きて来た方からすれば、それはほんと驚天動地のできごとなんですよね。
だから、そういう方は社会人2、3年目までは好調なんだけど、その後に大きな壁にドカンとぶつかりやすくなるわけです。

そういうわけで、Sさんは挫折の経験を経て「自分とは何ぞや?」という哲学的命題に出会い、その上で、自分探しを始めて、「自分軸」で生きられるようにシフトを変えていく必要があるのです。

他人の評価よりも自己評価を優先できる人生にシフトチェンジするわけですね。

とはいえ、途方に暮れる必要もありません。

実際、優等生で周りから褒められるだけの“資質”があるんです。
それは紛うことなき「長所」です。

つまり、とても素晴らしい長所を持ちつつ、それを自分軸にて生かして行くことがこれからの人生の指針となるんじゃないでしょうか?

そしたら、今の状況は「劣化」でも何でもなく、「新しいステージに入ってどう生きようか苦慮してる状態」ということで、確実な進化を表します。

そう、劣化した、と感じられる今の状況は、実は、以前よりも進化した段階に入っている、ということなんですね。

どんなゲームでも、一面をクリアして二面に進むと、初めて出会う敵に翻弄されたり、プロセスが難しくなって戸惑うものです。
でも、それでも一面で培った知識や経験や、そのゲームをクリアしたいモチベーションがその難関を突破させてくれます。
もちろん、二面をクリアして三面に進んでも同じことが待っています。

私の経験に照らし合わせてみても、高校から浪人を経て大学に入ったときは戸惑いましたし、その後社会人になって挫折して人生を省みることになりましたし、その後、カウンセラーになってからもうまく行かないことが続きました。

そこで自分を支えてくれた思いってのは「自分が何をしたいのか?」という“欲求”なわけです。
女の子にモテたい、とか、カウンセラーでやっていきたい、とか、セミナーを開きたい、とか、あちこち旅をしたい、とか、各地の美味い食い物や酒に出会いたい、とか、そういう正当かつ不純な動機が支えてくれたわけです。

そう、きれいごとじゃなくて、そこは純粋な「欲」でいいんです。

だから、Sさんにも大いに不純な欲を持って欲しいと思うんですよね。

かわいい服を着たい、とか、男たちを見下したい、とか、私の靴を舐めなさい!この豚野郎!と言ってみたい、とか、パフェを思い切り食いたい!とか、そんなんでOKです。

他人軸で生きていると、どうしたって「他人が喜ぶもの」が優先順位の上位に来ます。そこでは、自分の思いや希望や欲は抑圧されてしまい、早い話が欲求不満状態になります。
それが苦しいわけです。

だから、内なる声を聴くことがとても大切です。

「私はほんとうにどうしたいの?どうなりたいの?何がしたいの?」

この問いかけをずーっと繰り返していくんですね。
そうすると、人の目を気にして後回しにされていた自分の本音が出てきます。

でも、いきなり前向きな答えなんて出てこないんです。

「もう人に気を使うのは辛い」
「会社でいい人をするのは疲れた」
「ああ、逃げたい」
「もうこんな人生嫌だ」
みたいな嘆きが出て来ることも多いんです。

そういうのはツイッターの裏垢で呟きまくるといいですねっ!まじで!

抑圧された感情が解放されるとき、初めから綺麗なものは出てきません。
長年使っていなかった水道を捻ると最初は茶色く錆びた水が出てきます。しかも、始めはちょろちょろとしか出ません。
でも、諦めずに蛇口を捻りっぱなしにしておけば、だんだんきれいな水が出てきます。
それと同じようなもんです。

私のカウンセリングのアプローチをまとめた絶賛増刷中のこの本、

「敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法」(あさ出版)

でも、始めの3日間は自分を振り返って、ありのままにその状況を受け入れることをテーマにしています。

自己承認、自己受容と言われます。

だから、Sさんにとってまず大切なのは、優等生として頑張ってきた自分、その後、挫折して懊悩している自分を、ただ、「よく頑張ったね」「偉かったよね」「よく無理してまでやったね」などと“承認”してあげることなのです。

分かりやすく言えば、そんな自分を抱き締めて「よう頑張った!」と励ましてあげることなのです。

同時に、「ほんとは辛かったよね」「寂しかったよな」などとその当時感じていた、思いに心を添わせてあげることなのです。

そんなプロセスを「自己肯定」と言うわけです。

ほら、結局は本の宣伝ばかりする記事になっちゃうわけです(笑)

そうして自己肯定をして、自分軸でモノを考えられるようになって、その上で、「ほんとうにしたいことって何なの?」って自分に問いかけ続けることで、Sさんの状況を抜け出すことが可能です。

その時は、かつての栄光もまた力を貸してくれるようになります。

大人に褒められる子どもというのは、空気を読んだり、相手の気持ちが分かったり、誰かのために一生懸命尽くすことに長けていることが多いです。

だから、ビジネスという面ではとても強力な長所を持っているので、組織の中で人をまとめる役になったり、顧客が喜ぶサービスや商品を提供したり、相手が喜ぶ提案ができたり、と素晴らしい側面を持っています。

これも過去のできごとを否定するのではなく、肯定することによって生かされるものだと思ってるんです。

今日、家に帰ったら早速、自分で自分を抱き締めて「今までよう頑張った!」と声をかけてあげましょう。
それを何度も繰り返していくうちに、心がだんだん温かくなってくるのが感じられると思います。

それが自己肯定感というもの。

そうして、自分を肯定して、自分が何をしたいのかを問いかけていくと、そのうち過去の栄光も挫折も「良かったこと」として感じられるようになるでしょう。

そんな人生の転機を加速させるならば、このセミナーもお勧め。

「12/9,10 京都リトリートセミナー」
https://nemotohiroyuki.jp/event-cat/21162

こうさりげなく(?)宣伝を交えるところに、根本さんのしたたかさがあるねえ、というわけです。


あわせて読みたい