あなたはどっちで悩むタイプ?分かってあげたい?分かってもらいたい?



分かってあげられなかった、と悩む人も、分かってもらえなかった、で悩む人も、それぞれ長所と短所があります。
どっちがいいの悪いの、ではなく、それぞれのステージで学びがあるだけですよね。

あなたはどっちで悩むタイプでしょうか?
「分かってあげられなかった」と悩む方でしょうか。
それとも、
「分かってもらえなかった」で悩む方でしょうか。

もちろん、人によって違う、という場合もあるでしょう。
子どもには前者だけど、旦那には後者、みたいな。
取引先には前者だけど、従業員には後者、みたいな。

前者は与えたい人。(与えたいモード)
相手の気持ちを受け入れ、理解し、そして、喜ばせてあげたい人。
だから、いつも相手の気持ちを考えて行動できるし、きっと多くの友人や仲間に囲まれているでしょう。

その一方で、自分自身のことは粗末にしがちではないでしょうか?
自分は後回しにして、人のために犠牲してしまうことはないでしょうか?

また、分かってあげたいが故に、お節介になりやすいところはありませんか?
自分の考えや価値観を押し付けたり、これが正しいだ、と主張したり。
もしかしたら、過保護・過干渉になってしまうことも。

こういうタイプは「ありがとう」って受け取ることが大事。
一線引いて、相手の価値観を受け入れることも大事。
「この人はこういう風に考えるんだ」って理解してあげることが大事。
それだけの器を持つことが今の課題です。

後者は受け取りたい人。
受け取り上手な面もあるし、どうしたら愛されるかを一生懸命考える人。
相手の気持ちを考えて一生懸命頑張る人。
だから、気遣いも上手、で配慮も上手。
人を喜ばせるのも上手な人ですね。
でも、我慢しぃで、言いたいことが言えない人でもありますね。

その一方で、相手にとっては重荷になってしまうかも。
いわゆる、ニーズ(欲)に捉われて、自分のことしか見えなくなってしまいがちでは?
こんなに頑張ってるのに!ってついつい「私が」と「我」を主張したくなってしまいませんか?

このタイプの人は「我」を手放して、「相手」のために「与える」ことを学ぶとき。
「相手のためにやってあげてる」と思った時点で、それは「与える」ことではありません。
「与える」ことは「無償」なので、見返りは求めないんです。
「こんなにしてあげてるのに」と思った時点で、それは相手のためでなく、自分のためにしていること。

相手を喜ばせることに純粋な喜びを得たいもの。

もし、この話を読んで「痛いな」と思った人は、自分を責めてる人。
もっと自分に優しく、甘くしてあげる必要がありますし、もっと自分を許してあげる必要もあります。

どっちの側面も人は持つし、どっちの側面も今現実に起きています。
一方だけって人は滅多にいないんじゃないかな?

「あるある~」って言える人は幸せない人。
自分のいい部分も、悪いと言われる部分も受け入れているから。

自己攻撃がないところでは、もっと「軽く」受け止められるんですよね。
深刻にならずに、重くならずに。
「あ、なるほど、確かに、そういうところ、あるわ」と素直になれるので。

大人になるとなかなか難しいですけどね。
かくいう私もまだまだ学び中。
私はどっちかというと「分かってもらいたい」と思うタイプかな~(笑)


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