読みが甘かった運動会。



娘の幼稚園で運動会があった。
比類なき娘のパパラッチ(ストーカーとも言う)である私は、朝も早くから席取りの為の列に並び、開門と同時に会場に飛び込んで中央付近のスペースを確保した。
どの競技でも娘がよく見えるポジションである。

しかし、それでも最前列は更なるつわもの達に支配されていた。というのも、周りの会話から類推するに、一番乗りは午前2時半に、二番手でも4時半に到着をして並んでいたそうである。

開門1時間前に現れた私など、まだまだ甘い、パパラッチの風上にも置けぬ、と朝から妙な反省をしてしまった。その冷徹かつ謙虚かつ自虐的な姿勢は待ち時間に読みふけっていた三島由紀夫の影響もあろうかと思われる。


さて、確保した席は妻や母達に譲り、入場行進から障害物競走、かけっこ、組体操に至るまで、“いい角度から娘の映像を確保すること”を至上命題に、会場の正面から後方まで移動し続けていた。

娘が競争でケツから1位になろうとも、少々演技を乱そうと、そんなことはちっとも気にならない。
少しでも可愛い姿を見、ビデオに収めることができたら、それで満足なのである。

さて、この日、太陽は燦々と輝き、まさに運動会日和。カラッとした気持ちいい空気の元、元気な園児達はところ狭しと走り回り、それに負けじと走り回る先生方にも尊敬の念を禁じえないところであった。

うちの幼稚園、私が見るに美人の先生が多い。かつ、最近の母親はきれいな人が多く、妻や母達を離れて遊軍を気取りつつ、目の保養にも怠りは無い。
この点は、来年から息子を入園させる原にも申し送りしておこう。
きっと「楽しみが増えるね」と、喜んでくれるに違いない。

さて、話題は変わる。いや、変わるが本質は変わらない。

実はこの時期、私は花粉症である。おそらくは“イネ系”だと思うのだが、秋の声を聴く頃から妙に鼻がむずむずし、くしゃみが出る日々が続く。
しかも、場所によっては頭痛というか、気力減衰というか、いわゆるスギやヒノキと同じ反応を示す。

昨年はこれにまんまとやられ、ものすごくテンションの低い運動会になってしまった。

そのため今年は、週初めにきちんと耳鼻科を訪れ、薬を処方していただいた。
さらに万全を期すため、運動会当日には、念には念を入れ、マスクを着用して会場に入った。

折から新型インフルエンザが猛威を振るっており、幼稚園児を持つ親ならば、少なからずその影響に怯えている時期である。
しかも、運動会の後は大流行することも少なくないようで、笑顔で声援を送る父兄達の心にも、「今日はきちんと手洗いうがいをさせなければ」という決意があったろうと思われる。

そこにマスク男が登場である。

混み合っていても何となく歩き易かったのは、周りの人が自然と道を明けてくださったからであるが、その理由は「え?もしかして、こいつ???」という視線だったのかもしれない。
あまり人目を気にする習性のない私は単に「親切な人が多いなあ」と感じたのであるが・・・まさか、「花粉症」のためにマスクをしていたとは、ほとんどの人は考えなかっただろう。

もしかしたら、とんだ冤罪を被ったのかもしれない。

まあ、それは良い。実は本題はまだまだこれからである。

既に条件は述べた。
太陽が燦々と輝く晴天であったこと、そして、マスクをしていたことである。

その結果、何が起こったか?

運動会を終え、ふとトイレで鏡を見たとき、すーっと背筋が寒くなるのを感じた。
そして、すばやく次の仕事の日までの日数を数えた。
2日で何とかなるだろうか?
もし、できない場合は、妻のファンデーションでごまかすのだろうか?
声がこもることを覚悟してマスク着用でカウンセリングをするのだろうか?

していたマスクがUVカットでなかったことはかえって幸いしたと思う。

口の周りだけ白く、その他が赤かったら、これはもうロボットか案山子である。

そして、笑ってもらえるんだったらまだいい。
こちらも笑ってごまかせるし、ネタだと思えば安い。
しかし、さぞ残念なものを見る目で同情されるのは辛い。
「運動会が言い天気でね、しかし、花粉症でマスクをね・・・」言い訳をするだけ虚しい。

かくなる上は、明日の朝の散歩はできるだけ太陽に向かって歩こうと思う。
そして、昼はできるだけ外出し、太陽を浴び、そして、そのコントラストをできるだけ消したいと思うのである。

ということで、もし、私がちょっと残念な表情をしながらあなたの前に現れたとしたら、あなたには二つの選択肢があると思っていただきたい。

1.「何それ~」と言って笑う
2.見なかったことにする

皆さんの好意を期待したいと思う。


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