家族の宗教が原因で嫌われる恐れから何年も恋をしていません。



嫌われる前提から行動すると常に自分をダメ出しし続けることになります。
愛される前提から行動すると勝手にものごとがうまく行き始めます。

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根本さんのブログに出会って、人生が少しずつ変わりはじめてきたように思います。
いつか根本さんのカウンセリングを受けさせていただくのが夢です!!!
わたしは3人兄弟(姉、兄、私)の末っ子で、子どもの頃から現在の30歳に至るまで家族が不仲ということはなくむしろ愛されて育ってきました。ですが、わたしは自分の身内が苦手です。
理由は、両親、祖父母、母方の親戚がある宗教を信仰していること。その宗教はわたしの見解では世の中的に正直評判は良くないです(インターネットの中の意見や、日々の生活の中で聞こえてくる声だったりから感じています)。
わたしは、保育園~中学に通っていた頃までよく仲間はずれに合うことがあり(仲間はずれにしてくる相手は全て同じ人でした)、それの寂しさや辛さからか世の中全員の人に好かれたいという感情が他の人より強い気がします。
なので、自分の家族が宗教を信仰していることは職場の仲間や友だちには一切話していません。一生知られたくないです。それが原因で嫌われたり偏見の目で見られるのが怖いです。
そしてもう一つ、自分の中ですごく心の壁になっているのが、このままでは結婚できないのではないかということです。その宗教が原因で結婚できなかったカップルの話を現実でも何件か聞いたことがありますし、そう思うと、誰にも出会えません。
出会って恋をしても、わたしの中での大きな大きなその壁がわたしに結婚を許さないだろうと思うからです。単純に、誰にも嫌われたくない、まして好きな人には絶対に嫌われたくないのに、家族のことを話してしまったら問答無用に離れていってしまうんじゃないかと思うからです。
そういう理由から、もう何年も恋をしていない、というか、不倫だったり‥結婚の話がリアルにならないであろうかなり歳下くんだったり‥。でも、本当は家族のことを気にせず思いきり恋をして、普通のカップルのように結婚への思いを馳せたいのです。
でも嫌われるのが怖いです。
普段は、広く浅くの関係は自分でもよくできていると思っていて、プライベートでも職場でも人間関係は良好です。
でも、この先誰もわたしとは結婚してくれないんじゃないかと思ってすごく憂鬱です。

こんな私に何かかけてくださる言葉があれば幸いです。
読んでいただいてありがとうございました。
(Mさん)
***

日本人にとって宗教というのは案外タブーな面がありまして、信仰を持っているだけで人間関係にひびが入るシーンを私もよく耳にしてきました。
「彼の実家が○○に入っているので、私も結婚したら入信を勧められるかも知れない」という風に。

正月は神式で、結婚式にはウェディングドレスを纏い、ハロウィンやクリスマスを楽しみつつ、亡くなるときは仏式でという器用な日本人の習慣では「明確な信仰」というのはタブーになるのかもしれません。

でも、こういうのって海外では案外ふつうなのかな、とも思うんです。
結婚相手も同じ宗派の人を選ぶのが自然な流れもありますよね。
日本人は信仰が明確でない分、明確な人が差別に近い扱いを受けるだけで。

そういえば、最近はそうでもないのですが「カウンセラーです」と言うと「どちらの宗教ですか?」って言われることもよくありました。
当時(と言っても10年ちょっと前)はカウンセリングといえばキリスト教などの宗教系が多かったですから。

「心理学って宗教みたい」なんて話もよく耳にしましたし、まあ、否定できないところもありますし(笑)、そもそもカウンセリングのルーツは懺悔室だって話ですし。
どちらも目に見えないものを扱いますし、「愛」を解くし、「罪」について語るし、共通点はとても多いです。
それを「神」という存在を意識するのか、「内なる自分」「心」を意識するのか、の違いかもしれません。
どちらも人の幸福を願うことに違いはないわけで。

さて、賢明な読者はもうお気づきかと思いますが(笑)ここまでは前戯でして、本題は別のところにあるのかなあ、と。

「家族の信仰している宗教が影響して結婚できないのでは?」という風にMさんも思われているわけですが、私はこれをひっくり返してみることが多いんです。

すなわち「結婚への不安や自信のなさを、家族が信仰している宗教によって隠している」という感じ。

だから、この宗教問題が解決したとしても、もしかすると「結婚」についてはちょっと臆病なMさんが出てくる可能性もあるかな、と。

例えば、「彼氏ができないのは太っているからだ」と思ってる女性がいたとしましょう。
でも、たいていは本当の理由は太っていること以外にあるんですが、太っている、ということが免罪符のようになって、恋愛がうまく行かない理由を成り立たせているんです。
そういう彼女に「え?でも、太ってても恋愛うまく行ってる人いるよね?」というツッコミはとてもヤバいわけですし、「じゃあ、痩せればいいじゃん」という提案は間違いなく彼女の地雷を踏むことになります。

そういう場合は「太っている以外に恋愛に消極的になってしまう理由ってなんだ?」ってところに注目していきます。

太ってることを人にからかわれて傷ついているのかもしれないし、自分が嫌いでそれを投影して「私は愛されるわけがない」と思ってるのかもしれないし、そもそも自分の性格に自信がないのかもしれないし、どこか男性に恐怖心を持っているのかもしれないし。

太っていることと相関関係がないわけではないのですが、それは入口であって、その奥にほんとうの理由が鎮座しているように思えるのです。

「太っているから彼氏ができない」が真実であれば、太っている人はみんな彼氏ができないことになっちゃいますからね。

という風に、Mさんにとっては「家族の宗教」というのがそれに当たると思ってみると良いのです。

>わたしは3人兄弟(姉、兄、私)の末っ子で、子どもの頃から現在の30歳に至るまで家族が不仲ということはなくむしろ愛されて育ってきました。ですが、わたしは自分の身内が苦手です。

なんか不思議な文章だなあ、と思いませんか???

「不仲ではなく愛されて育ったにも関わらず身内が苦手?それって愛されてきたの?不仲じゃないの?」って思いません?

ただ、こうした不思議な話は心の世界にはよくあることで、そういう思いが出てくるということは長らく葛藤を抱えながら生きて来たのかな、と思われるわけです。

「心のドーナツ化現象」って私が呼んでるものがあるんです。
それは、少し距離のある人とはうまく行くけれど、近い距離になるほどいい関係が築けない、という状態で、友達はいっぱいいるけど親友がいない、異性の友人はすぐにできるけれど恋人がなかなかできない、みたいな現象として現れます。

ちょうどMさんも「広く浅い関係は得意」ということなので、それに当てはまるかもしれませんね。

で、なんでそうなるんだろう?と思えば「仲間はずれ」って言葉が見つかりますよね。
保育園~中学ですから、だいぶ長い間です。

その寂しさ辛さを未だに心の内に持っているのかもしれません。
「嫌われたくない気持ちが人一倍強い」ということであれば、人に嫌われないために様々な補償行為をしなきゃいけなくなるでしょう?
人に合わせたり、付き合いを良くしたり、笑顔だったり、話し方に気を付けたり。

仲間はずれになって悩む時、私たちはその原因を自分に探します。
「何がいけないんだろう?」って。
それは悪いことではないのだけど、その多くは誤解であることも少なくありません。

話し方が偉そうだと思えば、大人しく振る舞うようになるでしょう。
集団にいてもなぜか目立ってしまうからだ、と思えば、気配を消す努力をするでしょう。
わがままだからだ、と思えば、自分の意見を言わなくなるでしょう。
無愛想だから、と思えば、笑顔を練習するでしょう。

でも、その葛藤や悩みは常に自分のダメなところ探しをすることになるんです。

「今はいい関係を築けてる、でも、いつか嫌われるんじゃないか」と思えば不安ですから、自分が一方的に思い込んでいる“私のダメなところ”が出ないように気を使います。
距離が近づけば近づくほど隠せなくなりますから、ドーナツ化現象ができあがります。

「私は嫌われる」という思い込みがそうした行動に常に自分を駆り立てるようになるのです。

そうすると大好きな人には嫌われたくないわけですから、大好きにならない努力をしたり、距離が近づくような関係性は築かなくなるんです。

つまり、「嫌われる恐れ」が強いと、「良い関係を築ける距離」を相手との間に取るんです。
だから、人間関係は良好に見えます。うまく行く関係しか築かないから。

Mさんにとってはその「仲間外れ時代」にものすごく考えたんだろうと思います。
なぜだろう?って。
そこに「宗教」を見つけたのかもしれません。

もちろん、インターネットで検索すればその宗教が嫌悪されてる記事や情報はいとも簡単に見つかります。
だってそれを探しているんですから。(←これ超重要です。見つかる、のではなく、探してる、ということ)

仮にその宗教の素晴らしさやいいことが書いてある記事を見つけたとしても疑いか否定的な目で見てしまうのも分かりますか?

宗教って一生寄り添っていくものだからやはり同じ信仰を持つ人同士の結婚が多くなります。
その方が幸せを感じられる確率が高くなるからですよね。
家庭内に宗教戦争が起きたら大変ですから。

だから、きっとMさんの家族が信仰してる宗教内で結婚して、幸せになっている夫婦もいると思うんですよね。
でも、それを肯定的には見られないでしょう?

その宗教が世間で好かれてるか嫌われてるかってのは「後付けの理由」なんですね。
「自分がそれを嫌っている」から、その証拠を世間から探してきただけなんです。

「嫌われたくない」という思いが、いい人のMさんを作り、それゆえ、嫌われる理由を探しまくり、そうして、結婚したくなるような人とは恋に落ちない、という現象を創ります。

大切なことは、この状態を自分が望んで創っている、ということを受け入れることです。

ある人は自分の家族が信仰している宗教が合わなくて20歳の時に抜けて家族と距離を取りました。
大好きな彼ができて結婚したいと思ったんだけど宗教のことが引っかかってそのことを彼に言えませんでした。
でも、彼女は自分の好きになった彼を信頼することを選びました。
もし、彼が私の本当のパートナーであれば、彼は私と結婚してくれるはずだと思ったんです。
怖いけれど勇気を出してそのことを伝えたら、彼はあっさりと「ふーん、別に関係ないんじゃないの?君が熱心に教会に通ってるってわけじゃないんでしょ?」とあまり気に留めませんでした。
結婚が決まってしばらくしてから彼のお母さんがそのことを知って不安になったことがありました。
でも、そのとき彼は「僕は彼女と結婚するのであって、その宗教と結婚するのではない。そんなに嫌なら僕はお母さんと関係を断つ」と伝えました。

嫌われるのが怖い、ということは、Mさんが自分自身を大いに嫌っている、ということです。
だから、“ふつうの恋”に踏み出す勇気が持てません。
でも、その内面を見つめるのが怖いときに、宗教というのがいい理由になってしまいます。

「そうだ、宗教を理由にしよう。」ってわけです。

Mさんには魅力なんてないんでしょうか?
Mさんが愛する人はMさんの家族が信仰している宗教を知って逃げ出すほど勇気のない人なのでしょうか?
Mさんの素晴らしさや魅力に惚れてそうした障害を乗り越えようとする人はいないのでしょうか?

自分の素晴らしさを知ることはとても大切なことですよね。
実は昨日もそんな自分の価値を知るワークショップをしたんです。
いろんな実習をしたのですが、実はこうしたワークショップで私が提供したいことは「あなたにはどんな魅力があることを知ることによって自分は素晴らしいんだ、という前提を持つ」ということなんです。

「嫌われる」という意識から考えたり、行動するのではなく、「愛われる」という意識から動くことを目指します。

変えるのはその意識、その前提だけ。

Mさんがそういう目線に立てるようになると、不思議なことにその宗教の素晴らしさも理解できるようになります。
信仰するかどうかは別として、そのお陰で家族がみんな優しい、だとか、仲が良いだとか、たくさん愛してくれた、とか、感謝もできるようになります。
そして、それがコンプレックでなくなります。

私は今でも十分素晴らしい。

これを意識してください。

ということでこれから鏡やショウウインドウに映る自分を見たときに「あら、素敵な子がいるわっ」ってつぶやきましょう。

それだけだと飽きちゃうと思うので
「あら、私、今日もかわいいわっ」
「なんかすっごく色っぽい女がいるわっ」
「あら、とっても美人が映ってる」
等々変化を付けてもOKですね。

あまり深く考えずにやってみるといいですよ。
ある種の自己暗示ですが。

同時にノートに自分の素晴らしさをたくさん書き出していきましょう。

年齢×10個が最低ライン。
もし、31歳の方なら310個ですね。

自分で考えてもいいし、人に教えてもらってもいいし、ワークショップを利用してもいいし。

ただ条件が一つだけあって、それは自分なりに真剣にやること、です。

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