神楽坂の個人セッションを終えてホテルに荷物を置き、時計を見れば約束の時間まで一時間半。
Google先生によれば距離にして約3㎞。
この数日ジムに行けてないしな、と思い、歩いて行くことにした。
地下鉄は言うまでもなく、タクシーに乗っていては気付くことのない景色に出会えるのが徒歩の魅力である。
途中、なんかの記念館や角打や変わった形の建物に、豪邸の数々、庶民的なラーメン屋や居酒屋などに目を取られているうちに気が付けば見知った場所に出ていた。
抜弁天。
愛読している浅田次郎氏の小説にも出てくる地名である。その小説の中では官と懇ろになっていた目細の安吉一家が拠点としていたのが、ここであった。
ホテルからここまで33分。2.9km。
ほどよく汗がじんわりと来てるし、まだ時間にも余裕があるからここは湯に浸かるべきであろう。
ちょうど彼の店の裏手には古い銭湯があり、時間を潰すにも、汗を流すにも、オンからオフに切り替えるにもおあつらえ向きな環境である。
東京が魅力的な理由のひとつにはこの文化的施設が根強く残っていることがある。
番台で湯銭を払い、タオルをもらって、脱衣場にて裸になれば、ここの住民に成りきった気分が味わえるし、程よい温度の湯に浸かっているうちに1日の垢も流されるというものである。要するにウォーキング後の銭湯ですっかり体も心も緩んでいるのである。
新宿区界隈では残念ながら黒湯の姿は拝めないが、それにしても大きな風呂に浸かって足を伸ばせばそれなりの効用は約束され、風呂上がりにはこのままだらたらと横になるのもよし、との気分にさせられる。
とはいえ、今日は仕事絡みの食事会が控えている。
約束の時間よりもわざと早く暖簾をくぐり、店主の鎌倉さんと久々の邂逅を味わうのも失礼には値しないはずてある。なんなら、この飲み分は身銭を切ってもかまわない。
劇団を率いる夫婦は意外にも約束通りの時間に現れ、杯を合わせて宴がはじまる。
鎌倉さんの料理の虜になって気が付けば3年が経つ。行きつけのバーで隣り合わせ、マスターに紹介してもらってご縁が始まった。
この2月に独立され、東新宿の辺鄙な場所に店を構えてから8ヶ月が過ぎた。
なんとか応援したいと思ってなるべく通うようにしていたが、そんな気遣いなど不要とばかりに常連客も着いて、繁盛店の仲間入りを早くも果たそうとしている。
味と腕が確かなだけに心配はしていなかったけれど、こんなにも早く賑わうとはさすがである。
私が行きたいときに行けなくなりそうで、その方が心配なのである。
お二人の酒豪っぷりに押されるように久々の日本酒をかなり煽ってしまった。
なんでもおいしく頂く私の舌なのだけど、一番好きなのはやはり日本酒かもしれない。とはいえ、年齢のせいか、その後のダメージを考えれば敬遠し勝ちな酒になってしまった。
調子にのって久々に酔った。
楽しい酒であるし、気のおけない雰囲気でもあるし、酒に合う料理が次々出てきたせいもある。
要するに一番の悪人は店主である(笑)
劇団の演出家からは、来春の公演でシェークスピアのマクベスを掲げるから、その終演後に、武闘派女子とダメンズの関係性についてトークライブをしてほしいとの依頼を頂いた。
彼らの舞台はこの9月にロミオとジュリエットを観劇したばかりで、その感動もまだ懐に暖かい。
断る理由など露ほど浮かばないので二つ返事でオッケーをしてしまった。
私の講演が彼らの演出に役に立っていることや、若い劇団員がすでに武闘派中の武闘派として頭角を表していることなどを聞けば、そのトークライブは楽しみでしかない。
そもそも私と仕事の話をするために、鎌倉さんの店を指定してきた時点で彼らの勝利は手中にあり、私はただ目の前で炎を上げる新鮮な鰹のタタキにうっとりしながらただ承諾の相槌を打つことしか出来なかった。
それどころか、私のblogを愛読してくれている彼らの若い劇団員をみんな招待して、鎌倉さんの料理を一緒に食らう企画まで考えていたほどである。
気が付けば絶品の鯛飯が目の前で輝きを放っていた。
それを美味しく頬張りながら、ご縁の持つ幸せにほどほど感激していたのである。
よくよく思えば、鎌倉さんとも、彼ら夫婦ともひょんなご縁からつながっている。
細い線を紡いでいるうちに気の置けない関係になれた。
ご縁はそれだけで様々な感動を呼んでくれるものなのだ。
*
熟成をかけたお刺身の数々。マグロ、にしん、鰤、鰆。柚子胡椒がそれらの脂と相性がぴったりで新たな発見をした。
お口直しの意味もあるサラダ。これがやたらにうまい。素揚げして甘味が増していたり、しゃきしゃきだったり。これがずっと続いても僕は怒らない。
シシャモの天ぷら。銀杏。熟成をかけた刺身も売りだけど、この辺のクオリティが鎌倉さんの真骨頂だと思う。丁寧かつ旨味を引き出す技術は天性のものなのだろうか?
焼き物は鰆。皮がパリパリになるところが炭火との距離感なのだろう。素人のBBQではこの味は出せない。
そして、酢の物がうまくその脂を中和してくれて口の中が爽やかさで満ちていく。
牛スジ。紛うことなき男飯。米が欲しいとしか言えなくなる逸品。濃厚な豆腐がまたいい仕事をしている。白ご飯の上に乗せてかき込みたい。
肝心の鯛めしの写真がないのだが、そこは想像にお任せするとしよう。
店を出る際、例のバーへのお土産を託された。
お腹はすでにいっぱいなのだけど、これだけのご縁を紡いでくれたマスターへの義理を果たすべく、タクシーに神楽坂上の交差点への道筋を示す私であった。
※来年四月にマクベスの演劇のあと、トークライブを開催します。また日程詳細決まりましたらお知らせします。なんだかとてもワクワクします。
東新宿・炭火割烹 倉乃介
>https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13218671/